【契約について思うこと20191009】

毎月20-30社ほどから契約書に関する相談を受けていますが、相手に譲歩しすぎている多くの方がいいることと、そのような方が困っているというように感じました。

相続案件でも家族や友人関係などでもそうですが、良かれと思って、とやったことがことごとく裏目に出ているように感じてなりません。

契約書には感情を入れるべきでないですね。
当たり前ですが、、、

もし入れるなら、そんなもの作らない方が良いです。
最近特に思います。

例えば、、
多くの方が一度は記入する契約書である婚姻届には感情的なものは一切入っていないのではないでしょうか?

無機質な、機械的なものであるように思います。
本来そういうものかと。

ただ、感情を含めてロジカルにしておけば良いかもしれません。
というかそれを踏まえていかにロジカルに利益衡量をはかれた契約が作れているか、、、

結局、契約書は、守ろうと思う人同士が作ってこそ意味があります。

そもそも守るつもりがない人と契約書を作った場合には、契約書が存在すること自体が、相手が約束を守るつもりがあったという、偽証でなかったことの材料になるだけです。
メールのやり取りも一緒に写真撮るのも良くないですね。

ですので、誠実でない人ととは、やり方を間違えると、契約書を作ったところで何の役にも立ちません。
また、これに関連して言えば、詐欺の立件も非常に難しいので、契約書があった時点で詐欺であることの立証も非常に難しくなる部分もあると感じています。

思えば、十中八九という言葉がるように、誠実に真面目に一生懸命やっていてもほとんどがうまくいかないのです。
それから考えれば約束事自体がナンセンス、また、もっと言えば、法律なんてほとんど意味がないんです。

一応日本も形式的には法治国家なので、法律を守ろうとする人は国が何となく守る風のことをしてくれますが、いくらでもそんなもの曲げられます。

確かに、裁判で訴えられたなどということがあれば驚くこともあるかもしれませんが、払わない人は払わないですし、「恥」を知っている人だけが約束を守ろうとするというように思います。

自分がいったことも忘れている人も多いですし、恩を仇で返す人も非常に多いように思います。

そもそも、恩を仇で返すような人がいるから法律のようなものが必要で、そういう人がいなければ法律なんていらないんでしょうね。

私も未だに、「人と関わらないことが一番いいのではないか」と思うことも多いですが、一人で悩んで苦しんでいる方が少しでも減ったらいいな、ということと、生きてて楽しくない人が楽しいと思える世界を作ることに貢献できればいいなと思いながら今日も生きてます。

契約に限らず、自分もできていないことがたくさんあるので、しばしば叱られますが、そう言ってくれる方々に感謝しながら、より良い、楽しい世界を作るよう邁進していきます。