あづまの書斎 -2ページ目

あづまの書斎

基本的には私が読んで面白かった本のご紹介です。
時々、時事や身の回りの出来事なんかもお話させていただきます。

思い返せば、生前の母からは様々な贈り物をもらいました。

母に生んでもらい、母の手作りの料理をおなか一杯食べさせてもらってできている私自身の体はその最たるもので、これは一分一秒でも永らえさせるよう、大事にしたいと思います。

 

他にも様々ともらったように思いますが、最後のプレゼントは、兄弟のきずなが強まった事だと思っています。

私は三人兄弟の真ん中で、上の兄弟は関西の地元にとどまりましたが、下の兄弟は関東へ、私自身は東海地方へと散らばり、互いに忙しく、連絡もあまり取れていませんでしたが、母の病気が判明して以降、連絡体制を整え、さかんに連絡を取り合うようになりました。

そんな事でもない限り兄弟間で満足に連絡もしていなかったのか、とのお叱りもありそうですが、そのような状態を母が戒めてくれたのだと、私はそう理解しています。

 

『兄弟仲良くしなさい』とは、人事不省に陥る前に、母が私にかけてくれた最後の言葉でもあり、それに対して私は『兄弟の絆は何があってもオレが取り持つ』と約束しました。

 

 

リリースから三十年も経ったんですね。

音楽番組でこのMVをテレビで初めて見たのははなたれ小僧の頃でしたが、今聞いても、いい意味での古さと、それに伴う味のある一曲ですね。

生前、母は金魚とメダカを飼っておりまして、やりたいことを我慢し、言いたいことを飲み込んで家族のために尽くしてくれた母の数少ない娯楽でした。

母が入院し、快復の見込みがないと判明してから、母が大切にしてきたその金魚とメダカをどうするか頭を悩ませました。
金魚は妹夫妻が引き取ってくれる事になりましたが(とは言え、7匹いるのですが、年季が入っているのでどの個体も縦にも横にもとにかくデカイ)、問題はメダカで、母が飼い始めた時は10匹未満だったのが増えも増えたり、ザッと見ただけでも100匹以上。正直、どうしたものか頭を抱えました。

水棲生物の引き取り業者というのもネットで見つけましたが、更に調べてみると、その手の業者に引き取られた商品価値の低い品種というのは、病気の個体は生ゴミとして廃棄され、健康な個体は他の肉食種のエサにされるという事が判明。
それは、あまりにも…、という事になりまして、ダメ元でとある公的施設に引き取っていただけないかを相談したところ、案に反してご快諾いただけました(同様の引き取りの相談が同種施設に殺到するのは本意ではないので、どのような施設に相談したのかは伏せます。皆さん、命を預かるという事を、ゆめゆめ軽んじられぬよう、お願いいたします)。

母の葬儀の翌日に、フィッシュバッグに移し酸素を充填して引き渡し。
毎日餌が与えられるとは限らないなど、以前の環境とはガラリと変わってしまって、全ての子が困難に直面することになると思われますが、何割かは生き残ってくれるでしょう。
その子たちが子孫を残す事で、母の心は末永く受け継がれます。

お引き受けいただいた施設には、お礼状と粗品を気持ちとして送りたいと思います。

この3回、母が末期の難治性癌である事を綴っておりましたが、8日夜に、父に看取られて息を引き取りました。
70前でしたので寿命といえば寿命なのですが、人生100年とも言われている昨今に鑑みて、早く、突然すぎる死に何とも言い表せない気持ちを抱えております。

9日に通夜、10日に本葬だったのですが、参列は親族のみ、としたにもかかわらず、40人ほどの方々の弔問をいただき、口々に『いい人だった』と別れを惜しんでいただいた事については感謝に堪えません。
幸いな事に、と言うべきか、私にとって母は、8日に亡くなった母1人しかおりませんので、母というのはこういうものなのだと、当たり前になり過ぎていたきらいもありますが、そのようにお悔やみのお言葉を皆様よりいただいき、ようやく母が素晴らしい人物であった事を知りました。
特に印象的だったのは、父方の祖父の葬儀以来、10数年ぶりにお会いするとある親族の方より弔問をいただいた事です。

私とその方との関係がどのようなものかというと、私の父方の祖父に弟(故人。仮にX氏)がいたのですが、そのX氏のご子息となります(仮にY氏)。
X氏は私自身が幼い頃の数度と、父方の祖父の葬儀でのやりとり、そして仄聞している情報を総合すると、非常に問題のある人物だったようです。
対するY氏は、対人関係については良くも悪くもメリハリの効いた対応をなさる御仁で、実の父であるX氏の葬儀に参列しなかった事で親類縁者の眉をひそめさせたほか、他の親類についても問題のある人物については辛辣な言葉で罵倒するなど、私は嫌いではありませんが、親類からは鼻つまみ者として扱われている方です。
通夜振る舞いの席もお開きとなり、親類が皆引き上げた後でそのY氏がお一人でお見えになり、お線香をあげていただいた後で『優しいええ人やった』と、時間も時間でしたので短いながらも、別れを惜しんでいただきました。
前述の事情がありますので、他の親類とは顔を合わせたくなかったという事もあるのでしょうが、そうであれば、弔問にいらっしゃらなければ確実に顔を合わせずに済むところを、わざわざ時間を選んでおいでいただいたあたり、母がいかに親類縁者より慕われていたかを思い知った次第です。

取り止めもなく、単なる母親自慢とも取れる記事となってしまいましたが、正直、私自身も母の死を現実のこととして受け止めきれていないのではないかと思うところがありますので、ご容赦願います。