遠野放浪記 2015.09.20.-09 毛を以て馬を相す | 真・遠野物語2

真・遠野物語2

この街で過ごす時間は、間違いなく幸せだった。

八幡の馬場で行われる流鏑馬は、まさに2日間に渡る遠野まつりのクライマックス。尤も、嘗ては遠野まつりとは別に八幡の例祭における神事として行われており、時代の変化を感じてしまうところでもあるのだが。

目の前を神馬が全力疾走し、射手が見事に的を射抜き、そして介添奉行が高らかに声を響かせながら後を追う。この様式美は約六百年の昔から既に確立されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本には幾つもの流鏑馬の流派があるが、中でも介添奉行が表に出るのは南部流鏑馬だけだ。これはとあるおじいちゃんの孫バカから定着したというから驚きだ。

もうどれだけ昔だかもわからない昔、橘左近という弱冠18歳の青年が射手の大役に指名されたことがある。左近青年は突然のプレッシャーにガチガチになってしまい、その様子を見た祖父は心配のあまり、自ら介添え役を申し出た。しかし左近青年はプレッシャーに打ち勝ち、見事3枚の的を全て射落とした。これに感動した祖父は、興奮のあまり「よう射たりや!よう射たりや!」と叫びながら、孫の後を追いかけて自らも馬で全力疾走した。

今であれば微笑ましいエピソードに留まりそうだが(もしくは勝手に叫びながら走るなと怒られそうだが)、これが当時は吉例だとされ、現代まで続く南部流鏑馬の作法として定着したのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

遠野郷八幡宮の流鏑馬は、6頭の馬が2走ずつし、計36本の矢が放たれる。よくも全力疾走する馬の上で両手で弓矢を構え、かつ正確に的を射落とすことまで出来るものだと、見る度に感嘆する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

左近青年と祖父のエピソードを聞くにつけ、俺はダイシンボルガードが勝ったダービーで同馬の厩務員が興奮のあまり「俺の馬だ!俺の馬がダービーを取った!」と叫び、パドック用のメンコを振り回しながら馬と並走したというエピソードを思い出す。これは当時、発走を見届けた厩務員が歩いて待機所に戻っていたために起き得たことであり、この出来事があったからなのかは知らないが、現在はバスに乗って待機所に戻る仕組みになっているためこのような出来事は起こらないだろう。

当然ながら最後の直線を馬と並走するというのは危険極まりない行為であり、公正競馬の観点からも本来あってはならないので、これが吉例として定着しなかったのは当たり前といえば当たり前なのだが、昭和の時代は良くも悪くも大らかだったことがよくわかる。