遠野放浪記 2015.09.20.-07 南方の人 | 真・遠野物語2

真・遠野物語2

この街で過ごす時間は、間違いなく幸せだった。

長野獅子踊りの一団が来た。長野は小友の中心より南にあり、同地にある西来院を開創した與庵篤隆和尚に同行して修行を積んだ東山五書という人物が、1597年に同地に踊りを伝えたとされる。

西来院の近くには、1742年の建立とされる獅子一吼百獣脳烈の碑があり、一説では現在の長野獅子踊りの様式が確立されたことを記念して獅子一吼百獣脳烈の碑が建立されたともされている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長野獅子踊りは参加人数が多く、一斉に多くの鹿が舞う様はとても迫力がある。

前掛けには、長野役獅子筆頭役じし・役じしといった文言が刻まれている。これは去る1935年、遠野八幡神社(現在の八幡宮)から本認許証状を得て同社の役獅子になったことによるもので、それから80年もの長きに渡って役獅子を務め続けている。

 

 

 

 

 

 

 

 

遠野の鹿踊りは、その長いカンナガラが特徴で、透き通る鬣の様なカンナガラが太陽の光を浴びて輝きながら振り乱される情景は、百年昔から変わらない。

遠野の鹿踊りの元祖は、大別して駒木と長野に分かれるというが、長野は東山五書が最初に遠野に踊りを伝えた時期を発祥とすると、歴史は駒木よりも長い。長野から分かれて各地で独立した団体も数多くあり、鹿踊りの元祖のひとつとして裾野を広げた功績は途轍もなく大きい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人間と鹿の関係性が濃密に感じられるのも、長野獅子踊りの好きなところだ。

 

これで本殿に踊りを奉納する団体はもうないようなので、我々も馬場に戻り、皆大好きな流鏑馬が始まるのを待つことにする。