一日市の衣装は、襟が青と白の縞模様なのが特徴。但し全員がそうではなく、行列を先導する立ち位置の人たちの衣装は、少し雰囲気が違う。手にするのは、季節に依らず春の花であるようだ。
踊りの後半では花を手放し、両手を大きく使った動きを披露。
元来テンポは緩やかで、それでいて流れるような美しさを表現する優美な南部ばやしだが、一見スピーディに踊るよりも踊り手たちに掛かる負担は大きい筈だ。一般の人でも、普段の半分以下の速さで歩いたり、しゃがんで立つ動きを十数秒かけてやってみると、意外にしんどいことがわかる。
増して南部ばやしは細部まで美しさが求められる踊りであり、技術と体幹の両方が高いレベルで求められている筈だ。
白鳥の美しい佇まいが、水面下で懸命に動かす脚によって支えられているように、南部ばやしも華麗な動きの裏に、技術だけでなく肉体的な鍛錬も積んだ踊り手たちの強さがあるように感じる。
手の動き、足の運びといった全身的なスケールから、顔を傾げるような小さな動きまで、まさに身体の全てで表現する踊りだ。
見る側もそんな踊り手たちの一挙手一投足を見逃すまいと集中し、何時の間にか完全に「非日常的な空間」の中に取り込まれている。
遠野の9月は既に少々肌寒いが、時を止めるような踊り手たちの佇まいと、燃えるような真紅の衣装が、そんなことを忘れさせてくれるようだ。