遠野放浪記 2015.09.19.-09 白光 | 真・遠野物語2

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この街で過ごす時間は、間違いなく幸せだった。

続いてまた鹿踊りの一団が来た。

これは附馬牛の上柳しし踊りで、現代の早池峰郷の鹿踊りに於いて最も主流で活動している団体だ。踊り手に太鼓を持っている人はいない、幕踊系と呼ばれるタイプの鹿踊りだ。

 

 

 

 

 

後ろには張山しし踊りの一団が続く。珍しい白色の衣装が、個人的にはカッコ良くて好きである(以前は他の地域同様に濃紺だったようで当時を懐かしむ人もいるが)。

衣装には剣九曜紋の他、南部家の対い鶴をイメージした紋様が描かれている。元々は早池峰郷の鹿踊りの主流だったという話もあり、遠野城下までその名声が聞こえていたのだろう。逆に、角の間の立て物は、昔は様々な種類があったが現在は剣九曜紋に統一されている。

 

 

 

 

 

 

上柳、張山と来たので続いては東禅寺が来るのかと思いきや、後ろには土淵の鹿踊りが続いていた。

こちらは角の間の立て物がバラエティに富んでおり、地域の神社の名前が刻まれていたり、比較的近代になって登場したと思われる河童のモチーフなどもある。非常によく似た“鹿踊り”という伝統芸能でありながら、地域によって鹿の顔立ちや衣装、装飾品など、細かい部分では全くと言って良い程異なっていることもある。これはとても興味深いポイントである。

 

 

 

 

早池峰郷の鹿踊りは、附馬牛の寅という老人が伊勢参りの記念に伝えたとされ、その起源は遠州にあると言われている。駒木の角助も、鹿踊りの原型を遠州から持ち帰ったとされる。

一方で花巻や釜石、臼澤といった沿岸地域では、諸説はあるが地元で鹿の供養のために始まった踊りともされている。また現在の愛媛県宇和島地域にも似た踊りがあり、こちらはより現実の鹿に近い造形の鹿頭を被るが、こちらは伊達藩から伝わったとされ、起源は東北にあるようだ。

これだけよく似た踊りが偶然各地で勃発したとは考え辛く、ルーツを辿れば何処かで合流するのかもしれないが、それにしても鹿踊り自体の起源には不明な点も多い。今となっては正確なことを知る人はいないのかもしれないが、解き明かされない歴史の謎に思いを馳せながら現代の鹿踊りを眺めるのも、ロマンがあって良い。