遠野放浪記 2015.01.12.-10 遠い春 | 真・遠野物語2

真・遠野物語2

この街で過ごす時間は、間違いなく幸せだった。

池之端から無縁坂を上ると、東大の裏手に出る。此処からが俺のテリトリーである文京区だ。

 

 

 

坂の途中には講安寺という小さな寺院があり、夜でも庭園を覗くことが出来る。

 

 

本堂の前には一本の桜の木が植わっており、春になると美しい花を咲かせるのだ。

 

 

 

山門に掲げられた「還愚唯黙和」の意味は様々に解釈出来そう。まあ字面通りに考えるなら、「自分の愚かさを自覚し余計なことは言うな、それが唯一の平和への道だ」といった感じだろうか。

 

 

鉄門(24時まで開いている)をくぐり、東大の中を通って菊坂の自宅へ。

医学部研究棟の前には円形の広場があるのだが、この場所で年が明けてもクリスマスツリーのイルミネーションに明かりが灯っていた。

 

 

 

派手なキラキラしたイルミネーションより、こういうのが好きだったりする。

 

 

 

赤門に続く銀杏並木を歩く人は、この時間には流石にいない。街灯の明かりが寂し気だ。

 

 

赤門はもう閉じられているが、脇の通用門は日付が変わるくらいまで通ることが出来る。

 

 

夜の赤門は昼間の表情と違い、芥川龍之介の小説に出て来そうな迫力がある。

 

 

正門も同じように、通用門は日付が変わるまで通ることが出来る。

調べてみたら龍岡門と地震研正門は終日解放されているので、敷地内に閉じ込められてしまうということはないようだ。

 

 

本郷台地から菊坂下に下る坂は幾つかあるが、今日は新坂を歩いて見る。かなり急な坂で、上るのにも下るのにも少々苦労する。

この坂の上にはかつて蓋平館という安下宿があり、金田一京助さんや石川啄木さんが下宿していた。石川さんは蓋平館に来る前は、与謝野鉄幹さんの自宅に転がり込んだ後に赤心館というところで暮らしていたが、家賃が払えずに追い出されたらしい……。

 

 

 

ようやく菊坂下の自宅に戻った俺は、簡単に晩ごはんを用意して食べることにした。

以前岩手で貰ったいわちくのチャーシューを使った野菜炒めと、これまた貰いものの岩手県産舞茸その他を具材に煮込んだ蕎麦ひっつみ(ひっつみみたいに幅広で薄い蕎麦)を作った。どちらも俺の腕前故に見た目は微妙だが、味は非常に良い。

 

 

 

また、彼女から別れ際に岩手の菓子を貰っていたので、おやつにつまむことにした。こんな夜中に食べて、腹回りが心配だ。

 

 

このような感じで、とても長い3日間が終わった。今回は出初式の見学は独りで行ったが、彼女と一緒に宮沢さんの所縁の店で蕎麦をいただいたり、途中下車して渡り鳥に会いに行ったりと、こういうエクストリームでない旅も良いのかもしれないと感じた。

これからどんどん、彼女と一緒に遠野に足を運ぶ機会があるのだろうか……と思っていたが、彼女の実家や岩手県外の知人を訪ねる機会もあったりで、次に一緒に遠野に足を運ぶのは、すっかり暑い季節になってからなのであった。