小鳥谷駅から少しだけ一戸方面に歩くと、姉帯踏切に差し掛かる。
これが今回の夢の入り口だ。
踏切を渡ると、其処はもう小鳥谷駅前とは違う世界。飾り気も何もない、北東北の片田舎の「本当の夜」が待ち構えている。
明かりはそう多くないが、幸い空は晴れ、月明かりだけで充分に旅が出来る。
こんな経験も、人生においてそう何度も経験出来るものではない……。
暫くは何もない暗い道が続くが、やがて姉帯村内の最初の集落が見えて来る。
派手な明かりも無ければ、静寂を破る音楽も無い。
ただ柔らかな風の音と、時折聞こえて来る家族の団欒が旅のBGMだ。
東京から遠く離れた、大好きな土地の夜を旅することが出来る、その何と幸せなことか。
3月上旬の岩手県北はまだ寒く、増してや山が近い姉帯村にはたっぷりと雪が残っている。
薄明かりの中、俺は雪に突っ込んだりしてしまわないように、用心しながら村の奥へと進む。万が一転んだりしたら、姉帯さんのケーキがおじゃんだ。
街灯は数える程しかなく、家の明かりも疎ら。日本人が忘れていた夜がこの場所にあり、そして今はこの薄明かりが心地良い。
姉帯村を訪ねるのは2回目だが、道は全て覚えている。基本的に一本道ということもあるが、俺は迷うことなく歩みを進めて行く。
行く手に幾許かの明かりが見えて来て、俺はいよいよ姉帯村の中心へと差し掛かる。
辿り着いた姉帯バス停は、3月半ばだというのに半分以上雪に埋もれていた。
村の中心には商店があるが、まさか盛岡のようにこんな時間まで賑わっている筈も無く、固く戸を閉ざしている。暖かい家の明かりが、外から来た俺にとっては遥か遠くの世界のもののように感じられる。
弁えなければならないことはある。旅人はあくまで、何処まで行っても旅人であると。
姉帯村の最奥、面岸へと向かう道はさらなる闇に閉ざされ、星屑のような明かりが不安気に瞬いている。
今日はもうバスも人も来ないので、俺は姉帯バス停の待合小屋で一夜を明かすことにした。
中はかなりしっかりした造りで、これならば夜の寒さも凌げそうだ。
明日はいよいよ、一年で最も世界が輝く一日である。年が明けてからというもの、俺はこの日のために生きて来たと言っても過言ではない。未だ冬の色濃い姉帯村に、ひと足早く春が来る。
俺の岩手ファンとしての全力を懸け、3月16日という特別な日を過ごそう。