遠野放浪記 2013.12.29.-10 近江弥右衛門の墓 | 真・遠野物語2

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この街で過ごす時間は、間違いなく幸せだった。

上郷から青笹へ向かうには、黙って釜石街道を北上すれば良いのだが、俺は路地裏を進んで行けば何か珍しいものに出会えるのではないかという期待を込め、止めておけば良いものを敢えて地図に載っていないような細い道を通って行くことにした。


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車がギリギリ通れるかどうかという小さな踏切を渡り、冬の静かな街に分け入って行く。

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車が行き交うような通りには除雪の手が及んでいるが、やはりその場所から見える光景は、雪に閉ざされ静寂が支配する街である。

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だいたい方向はこっちだろう、という感じで進んで行くと、やがて猫川の土手に出る。

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この川は早瀬川の支流で、この川を目安に進む方向を決めれば、より早く青笹に入れる筈である。

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しかし、俺がそんなに気の利いたことが出来る筈も無く、すぐに川からも街からも離れた、よくわからない場所まで来てしまった。

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そんな場所に、俺は偶然遠野遺産の案内板を発見した。

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此処は、近江弥右衛門の墓だった。

3年くらい前にこの遠野遺産を探して上郷を訪れた際には、結局発見出来ず全然見当外れの場所を彷徨っていたことが後から発覚するのだが、こんなところで出会えるとは。

と、いうことは俺は今、暮坪あたりにいるということなのか。

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近江弥右衛門の功績については、拙著の前作に記してあるので今回は割愛するが、兎に角この上郷、特に暮坪集落の発展に大いに貢献した、地元では伝説の人物である。

そんな彼が、元々は遠野の砂金で荒稼ぎしようとした近江商人としてこの地にやって来たというのだから、切っ掛けというのは本当にわからないものである。遠野の砂金は高純度かつ安価で、上方にコネクションを持つ商人にとっては良い儲けの種だったとされている。彼が上郷地区の発展に尽力したのも、地元に影響力を高めて自らも砂金事業の独占という見返りにあやかろうという、そんな思惑もあったのかもしれない。

本当のところはわからないが、歴史とはそんなものである。