今夜の遠野は少々雲が多いが、その合間からは綺麗な月が顔を出している。
バイパスから外れて六角牛山へ向かう道に入ると、僅かな集落の明かりを除いてはこの月だけが頼りだ。
青笹の水田に、集落と月の明かりが反射し妖艶な景色を作り上げている。
六角牛山への道からさらに外れ、中沢へと続くひぐらしの林に差し掛かると、あたりは本当に何も見えない黒に覆われてしまう。
ひぐらしがなき始めるにはまだ早く、林は俺以外のあらゆるモノを飲み込んでしまったかのように沈黙している。しかしこの闇の向こうから感じられる、人ではない何かに見られているような気配に怯えながら、俺は時折見える中沢の明かりを頼りに足早に林を抜ける。
昼間に比べ倍は長いのではないかと思う黒い林を抜け、中沢の集落に辿り着いた。ぽつんぽつんと立ち並ぶ街灯の明かりがどれだけ俺の心を安心させたことか!
さて、俺が中沢に足を運んだということは、当然お目当ては荒神様だ。先日、青笹に住む知人から「荒神様の田圃に水が入った」ということを教えて貰い、今回の旅の大きな目的として楽しみにして来た。
そして折角荒神様の近くに来たのだから、夜の荒神様がどんな様子なのかを拝んでみようと近くまで行ってみた、のだが……。
当然ながら荒神様の周囲は明かりもなく真っ暗で、殆ど何も見えなかった。中沢集落の外れにあって、その先は峠道に入って行くような場所だから当たり前と言えば当たり前か……。
これで雲ひとつない、月明かりが眩しいくらいの夜だったらばもっと違った風景が見られたのかも知れないが、それは今望んだところで仕方のないことだ。
俺は明日の朝、改めて荒神様に挨拶しに来ることを楽しみに、近くにあった倉庫の軒下で一夜を明かすことにした。晩春ともなると、夜も優しく暖かい。これもひとつ、今まで俺が味わうことのなかった空気だ。