IGRの線路を頼りに南下していくと、やがて道は馬渕川とも合流。
丁度川がくねっとカーブしているあたり、向こうに見えているのが一戸中学校。
その先の一戸南小学校があるあたりが、一戸の街外れだ。
一本路地に入ると、そこは舗装もされていない道だったり、家と家の間の隙間に下りていく小さな階段だったり……いつか何処かで見たような光景が、未だに残っている。
やはりこの根拠の無い懐かしさが、俺が岩手に惹かれる理由のひとつなのだろうと思う。県北――遠野よりもさらに奥の地で、知らない街でそれを感じる瞬間に心を包む暖かな風。日本人のDNAに漣を起こす風とでも言おうか。
ところで英語には、懐かしいという意味に合致する単語が無いそうだ。郷愁、という意味を持っているNostalgiaという語はあるが、心の底からゆるやかに満たされていくような懐古的な感情は、日本人特有の感性のひとつであると言えるのではないだろうか。
例えばこんな小さな街、其処に流れる川に対する形容の言葉だって、幾らでも頭に浮かんでくる。
生まれながらにして、言葉の宝石とさえ表現できる極めて美しい文化の中にいることを、日本人はもっと誇って良い。
そのように俺の心の中の「懐かしさ」を擽る小さな街はやがて終わり、次の街へ向かう道に差し掛かった。
人の生活の気配は急に無くなり、まだ寒そうな姿をした木々が立ち並ぶだけの寂しい道だ。
この心の奥底にこびり付く寂しささえ、昔の日本人ならば誰もが持っていた「懐かしさ」のひとつなのではないかと思う。知らない土地を旅していると、余計に。