中斉と栗屋敷の境界に立つ2本のカツラの木、これが今回の目的地に間違いない。
遠野遺産の第122号で、名前を中斉の夫婦カツラという。
高さはともに22メートル、人間はただその姿を見上げることしか出来ない。
推定樹齢はともに約300年。人間からすると何世代も昔から彼らは此処に立っているわけだが、カツラの中には2000年もの時を生きているものもあり、彼らはまだまだ若いカツラだと言える。
全く、たかだか何十年しか生きられない人間の醜い諍いも、彼らにとっては雑音にすらならないのだろうな……。人生って何だろう。
本当に、木が持っている力というのは言葉で説明し尽くせない。
日常の不安や不満、常に何かに追われるような東京での生活を、巨木と時間を共にしている間だけは忘れることが出来る。
周囲に視界を遮るものは無く、彼らよりも背が高いものは山しかない。
彼らに見守られる中斉の集落には、他の場所よりもちょっとだけ平静な空気が流れているみたいだ。
枝の葉は落ちてしまっているが、夏になれば全体が力強い緑に覆われる。
カツラの間を抜けて裏側に回ってみる。
他に高い木があるわけでもないのに、これだけでもう、異世界に迷い込んだ気分だ。
巨木というのは昔から信仰対象にもなっており、街を区切るように聳える一対のカツラというのはそれだけで象徴的な情景だったのだろう。
事実、此処は集落と集落の境界付近であり、街というのはこのようにして形成されていくものなのかもしれない。
またこの土地は、稲荷穴が近いこともあってか綺麗な水が何処からともなく湧いている。
長い年月をかけてこの湧水に育まれ、カツラの周囲には鮮やかな色の苔や水草が自生している。日常の中にこのような愛すべき光景があるとは、中斉で暮らす人が羨ましい。
かつてはこの水流を利用して仕事をしていたであろう、今はもう使われていない水車小屋が、カツラに寄り添うように残っていた。
カツラの根元からも、滾々と水が湧き出している。一部はこの湧水に侵食されて朽ちかけており、ぽっかりと空いた穴の奥に、水を湛えた暗い淵が続いていた。
このカツラの行く末を見守ることは、俺にはとても出来ない。中斉の人たちがどれだけの時間を重ねれば、それが叶うのだろう。
人間には及びも付かない静かな力を秘めた巨木に出会い、己の小ささと心の底から湧いてくる平穏を感じた、そんな達曽部の旅路であった。