中国の一帯一路 | 桃太郎日記~親日国家・台湾より

桃太郎日記~親日国家・台湾より

親日台湾は1895(明治28)~1945(昭和20)年の50年間
反日朝鮮は1910(明治43)~1945(昭和20)年の35年間、日本に統治されました
台湾は[日本の統治を受けた本省人(子孫)90%弱]と[大陸で日本と戦った外省人(子孫)10%強]が同居する国です

今の中国を好きか嫌いかで言ったら、大嫌いだ。

 

国内の貧富の差などお構いなく、お金を中央に集めて、その資本力で他国を「侵略」する。

共産主義は無階級社会のはずが、ずーっと過渡期と称して、戸籍(都市と農村)できっちり階級制度を作り、都市住民を優遇してきっちり現政権を支持させる。人権などこれっぽっちも無く、国として集団リンチを日常的に行っている。

 

けれども中国の一帯一路のような発想は、とても今の日本人には真似できないスケールの大きさを感じる。私は一番最初にその言葉、その計画を聞いたとき、できるかできないかで言ったら、とてもできないだろうと思った。しかしその計画は着々と進められている。それだけ自分のスケールは小さいと言うことだ。

 

もちろん現代の日本人には中国人のような拡張主義的動機が無いので、同じスケールの思考があったとしても思い付くはずもない。

でも、それとは別に現代日本人はどんどん小粒になっている様な気がする。八紘一宇を掲げ外に向かった昔の日本は、その良し悪しは別にしてやはりスケールが大きかったのかもしれない。

 

現代が重視する個性やその個性から導かれる生きるパワーはとても大事だし、いろいろな個性を認め合うことはとても大事だと思う。しかしそこは紙一重。結局、無責任な「好き嫌い論」が横行し、どっちの好きを相手に認めさせるかの「陣取り合戦」になっていて、まともな議論にならない。結果、人のやることに反対ばかりする人間の声がどんどん大きくなっているように感じる。


今は目に見えるお金を持っている人間がすごいですね、と言われる。まだ見えていないものを頭の中で組み立て実現していく、こう言う作業をもっと評価して行く社会になって欲しいと切に願う。

 

やりもしない人間が、やってる人間を声高に批判ばかりする。それが一定認められ、発言権を得ている。

そんな社会ではなかなか大きなスケールは育たないだろう。