自分は、よく考え込むことが多い。
上手くいかない時は、特にそう。

考えることは行動する上で必要な事だと思う。
けれど、考え込むことは、必要以上の時間を使う事であり、行動を止める事でもあるので、時間が有限である事を考えると避けたい。

こういう自分も、実はよく考え込む癖がある。
仕事もそう、人間関係もそう。
全てイメージがあって、それに沿って行動しようとする。
ホント文系の典型ですね。
計算して行動する理系とは違う。

だから、イメージができないと行動が滞る傾向にある。
イメージを浮べる為に、考え込んだりするけど、結局結果がでない。

最近意識していることは、考え込む時間を決めている。時間を決めて、それ以上かかるならば人に聞く。
そっちのほうが早いって最近気付きました。

何の為に考え込むのかって、今よりより良い自分になりたいから。もっと向上したいから。
だけど、考え込み過ぎは避けたほうが良いですね。
死とは無に変えること?
ただ間違いなく、今まで培ってきた人間関係、スキル、思い出、大切な人の存在等々全てがなかったことになる。
絶対自分はそんなの嫌。

一昔前までは、死ぬ勇気があるのなら何でも出来るって言われてきた。
だけど、現在は、生きることに勇気がいるって言う人もいる。

国や会社を信じて働いていれば安泰。
今までの教育で教えられて、絶対と思ってたことが突然保証されなくなる。
こんな状況で生活に困窮し死を選ぶ人もいる。
だけど、生活に困窮していない富裕層と言われる層の人も死を選ぶことがある。

死を選ぶ理由は人それぞれだけど、お金がないから死を選ぶとは一色単に考えられない。
資産を得て金銭的な余裕が持てたとしても、楽しめる仲間がいなかったり、資産を得るまでの過程で人間関係を崩し一人になった場合、何の為に頑張ってきたのか解らなくなる。

人の生死には、人間関係が占める割合は多いってことですね。
人間、一人では何もできないってよくいうけれど、資産を持ち経済自由を得たとしても一人では幸せを共有出来る人がいない。
結果、富裕層であっても孤独になり死を選ぶんでしょうね。
一つの目標を達成した反動なのかも。

結局、死ぬとは幸せを感じられなかった結果生じる悲劇なのかもですね。
お金が幸せを占める割合はもちろん大きいけれど、人間関係、すなわち成功を共有できる仲間がどれだけいるのかも幸せを感じられる割合に影響するものだと考えます。

人間、お金も人間関係もどちらも平均的な人が真に幸せを感じられ、死ぬという選択をしないのではないかと思う。
宗教的に死とはどういう位置づけなのかわからないけれど、幸せ割合が大きければ大きいほど死とは無縁な生き方になると信じてる。

だから、
お金にも困らない、信頼できる仲間にも囲まれる幸せな経済自由を目指す。

焦ったことでいいことなんて何もない。

焦ることは、おそらく誰かが作った仕組みに操られた時に起こる感情?なのかも。


誰かが仕掛けた仕組みとは、

たとえば、時間。

明日の9時までに待ち合わせ場所に来てくださいと依頼されたとする。

9時までに間に合うように行くための交通機関。

すなわち、交通会社の仕組みの中で、時間を操られる。


例を出すとすると、

JR上野駅 8:30乗車⇒JR東京駅8:50到着のように、交通機関の都合のよい時間に設定される。

のように、、


とにかく、焦るという人間の感情自体、何かしら誰かが作った仕組みや都合が起因となって引き起こされるものであるということ。


朝寝坊にしても、誰かが作ったインターネットという仕組みに翻弄されて夢中になり、時間を奪われた結果、睡眠時間が削られ寝坊をすることになったのかもしれない。

焦るという感情の根底にあるのは、誰かが作った仕組みに心、時間を奪われた結果にあると思うんです。


巷では、別の言葉で誘惑って言ったりもしてます。


家には、テレビや漫画、インターネットという多くの誘惑があるから、時間を奪われ、自由を奪われ、結果焦りを引き起こす。


誘惑に負けないように、周りの人たちは、自己管理をしろって言ったりもします。

ただ、あまりに誰かが作った仕組みが、人に与える影響が強いために、自己管理を阻害する。

結果、自己管理もできないって焦り出す。


焦りって、他人に感情を上手く操られたことにより引き起こされた結果?なのかもと思うんです。

誰しもが、焦ることって避けて通りたいと思う。

それくらい、焦ることって人間の感情の中で好まれない感情の一つなのかもしれません。

自分が好きになれない行為に落ち込むことがあります。


落ち込むことで、人は行動の手を止め、何とも言えない否定的な思考に捕らわれてしまう。

自分も何度も経験しました。


落ち込むことで、誰かから肯定的な対応を取られることを求めているのかもしれません。


たとえば、一メンズとして肯定的な対応は、

女性からの、

頑張ってー

元気だしなよー

かっこいいー

落ち込んでいる姿もまた好き

・・・

みたいな。。


ただ、悲しいかな。

不思議とこのタイミングで肯定的な対応は得られないことが多い.んですよね。


結局、人に求める前に、どれだけ人に貢献してきたか。

これが、落ち込んだ時に関わらず人間関係において、躊躇に表れてきます。

普段の人となりが見られるわけです。


でも、人間、感情の浮き沈みがあって当然。

立ち止まって、泣きたい時だってある。時には、羽目を外して遊びたい時だってある。

落ち込んで、何も手につかなくなることもあります。


ただ、夢や目標を実現したい人にとって、落ち込むことって、その分実現を遅らせることになりかねない。

落ち込む暇があるなら、行動あるのみってことですね。


落ち込むことは、

暇人がすること。

何かに守られている人がすること。

時間がある人がすること。


叶えたい夢や目標がある人って、これが解っているからいつもモチベーションを上げてられるんですね。

人はそのモチベーションに魅かれる。

結果、ビジネスでも成功を収める。理想のライフスタイルを送る。


結局、思いが強い人が望むライフスタイルを手に入れているってこと。

落ち込んでなんていられないですね。

怒鳴られていい気分になる人はそういないと思う。

怒鳴るのも怒鳴られるのも、どっちも好きになれない。


怒鳴るという行動は、人の心の乱れや弱さからくるものだと思う。

なぜなら、人は感情の生き物だし、精細な心を持つものだから。


心は、精細でもろいものであるから、怒鳴ることで威嚇を与え少しでも優位な地位を維持しようとしているのだと思う。


動物は皆威嚇を与えることで、自分の優位性を保つものだが、一番人に近い動物といえば、、

犬だと思う。


犬は、頭の賢い動物だと言われていて実際知能が発達した動物だが、

飼い主の環境によって影響を左右されやすい動物だと思う。


たとえば、、

室内で飼われている犬。


室内犬は、人が訪れると真っ先に吠える。

日本の入口だと、靴を脱いで家へ入るため、段差があり高い位置から見下ろす形になるので、犬が自分のほうが位が高いと勘違いするのだと思う。


巷では、お犬様といわれる場合が多い。


お犬様になると、吠えることによって、人と同じように怒鳴り散らし威嚇し、自分のほうが強うことをアピールする。

だけど、棒か足で刺激を与えると、びっくりしたようにおとなしくなるか、立ち向かってくるが応戦し勝つことでおとなしくなることが多い。

ほんと人と似てる。

結局、犬も心が精細なんですね。


人は犬ではないので、怒鳴り散らすことで優位性を保とうとする程度を下げる行為は慎むべきだ。
また、怒鳴ることは、好きにはなれない行為であると同時に、節度ある行動としてあるまじき行為の一つではないかと思える。

寂しさって、人であれば誰しもが感じるものなのかもしれません。

まだ、見るものすべてが真新しくて環境に適応しようと必死になっている時は、寂しさを忘れていられる。

だた、その状態が何十年か続いて、慣れてきたところを見計らって、ふと寂しさは訪れるもの。


やはり寂しいって、好きにはなれないですね。

いつも人と集っていたいし、大切な人といつも一緒にいたい。

そして、モチベーションを高めたい。


大切な人のためになら。。っていうモチベーションをね。


ただ、人って勝手なもので、

慣れには勝てない。


というのは、

凄く尊敬できる人のそばでも

凄く相思相愛の中でも


年月が経つにつれ慣れがでてきて、

尊敬が鬱陶しさに変わり、

相思相愛がすれ違いや別居等といった結末を生むことがある。


寂しいから一緒になる

寂しいから結婚する

寂しいから子供を作る

・・・


寂しさが行動の発端となることもあるが、慣れが出てきた時点で崩壊の岐路に立つことが多いように思う。

だけど、寂しさ、つまり孤独と戦っている人たちも沢山いる。


寂しいのが嫌だから行動をし、誰かと一緒にいる選択をするのに、慣れたら物足りなくなり不幸を訴える人も多い。

かといって、孤独と戦っている人は、孤独の選択をするのに、家族を持っている人をうらやむ人も多い。


結局、皆寂しさから完全に逃れられていないんだ。

寂しさを払拭するために、色々な細工をするのに、寂しさが裏返って別の問題を引き寄せてる。


寂しさって何でしょうね。

大小なり何かしらの族を作って、集うことで寂しさを紛らわす。けども、満足しない。

・・・


多分、皆変化を求めているのかもしれない。

変化がない寂しさが、別の寂しさが生まれる。


寂しいって好きには慣れないけれど、避けては通れない運命?なのかも。


同じ場所、同じ人、同じ風景、同じ家、同じ国、同じ仕事に依存しているから?

依存が寂しさを逆に生んでいる?


経済自由人は、依存から解放されるかもしれないが、やはり仲間を常に求める。

仲間がいることで、同じことでも100倍楽しいもんね。


経済自由人でも寂しいがイヤ。


寂しさって、人であるからこそ飲まされる苦汁なのかもしれませんね。

悲しいことは、一生に何度も経験したくない。
何度となくある好きになれないことが、悲しい思いをすること。

悲しい思いをすると、
心に大きく傷が刻まれる。

しかも見えない傷なので、治療するのに大変な手間と時間がかかる。
大人になってからの心の傷は、人それぞれなのかもしれないが、
友人との人間関係や趣味で忘れさる人もいる。

だが、幼少期の心の傷は、未熟な上に大きな悲しみとして心に刻まれる。
そして、将来に渡って影響を及ぼしかねない状況に陥る。

悲しい出来事は、必然的に起きていると思っている。
なぜなら、自分自身の行動が起因して起きるものだから。
また、幼少期であれば、保護者としての役目を負う両親が起因となって起こることが多い?ように思う。

悲しみを乗り越えて得た経験や実績は、何よりも勝る武器となり得ると思う。
武器とは、未来の自分をより良いライフスタイルにするためのきっかけ。
きっかけは、その人に行動と学びを与えるもの。

悲しみを含む喜怒哀楽は、人として本来備わっている機能であり、感情を意味する。
感情は、時に失敗を招くことがあるが、多くは素の自分を表現するツール。
この感情に他人は惹かれ、共に起業を志したり、共に生きていくことを決意させるものと思う。

悲しいことは、その人の喜怒哀楽や人としての素直さを養う為に起こることなのかも。
そう考えると、悲しみは人を成長させるために必要不可欠な事なのかもしれません。
恐怖からくる怖さ。
自分の中にはいつも付きまとう。

この怖さは、何からくるのか。
この怖ささえなければ、もっと色々なことに挑戦できるのにってずっと考えてる。

怖さは、
過去の上手く行かなかった経験が起因?と思われる。

幼少期は、何でも好奇心旺盛で、虫を素手で掴んだりと、とにかくトライの連続だった。
それが、いつの日か怖さを覚えるようになった。

大部分は自分の理想やビジョンが明確でなかったことが原因。
他の人と違う道や考え方をすることで嫌われたり、恥をかくことが何よりも変えがたい屈辱と考えるようになった。
考えたくないが、軍隊のように皆同じ道を歩むことを強要する学校教育も若干の影響を受けているのかもしれない。

変わった考えを持つものなら、学校や両親から何度も何度もルールに従うことを刷り込まれ
自分で考えて行動することを抑止されていたように思える。

不良。
学校教育の中で良くない考えをした生徒、規則を守らない生徒のこと。

まるで、レールでひかれたルートから外れることを恥としているような風潮。
今思えば、流されるまま流されてたなって感じる。

今になって、経済自由人になるって決めて行動を起こしているが、
いつも怖さとの戦い。

今まで集っていた友人が自分の考えを聞いた時に去っていくのではないかっていう怖さ。
経済自由を手に入れる為に、ビジネスをしようとした時に断られる怖さ。
両親から自分の考え方そのものを否定される怖さ。
・・・

表面ではどうでも良いって考えているけれど、
まだ潜在的にどこかで気にしている自分がいる。

怖さを無くすには、
小さな成功を積み重ねることが一番の処方箋だと信じてる。

トライアンドエラー。
エラーになることを恐れていては、成功することもない。

とにかく行動あるのみ。
怖さは、もちろん好きになれないけれど、乗り越えなくてはならない運命?宿命?と思う。

自分は、絶対怖さに負けない。
負けてたまるか。
自分のこれからの人生は、ビジネスオーナ、投資家以外ありえないんだ。
暑すぎる気候や環境。
たまらなく好きになれない。

暑い環境って、いくら服を脱ぎ捨てても、裸になったとしても暑い。
温度調整ができないもどかしさも何ともいえない。

かといって、冷房を入れて涼しくしすぎるのもまた逆効果で、苦痛でしかない。
だからといって、温度調整しないのは、これもまたナンセンス。

それを考えると、
結局暑すぎずの寒すぎずの環境がベターってことですね。

今、私が実現する為に懸命に努めていることが、経済自由人の実現。
経済自由となって、気候に応じて住む国、生活をする国を変える。
そんなライフスタイルをおくるんだ。

思えば、
20世紀後半の暑い季節に生まれ、20世紀の考え方を植え付けられて育った自分。

21世紀になり、価値観や社会情勢、社会人としてのあり方そのものが教えられた事柄と異なっている現実。
でも、周囲の人達は、目をつむって背を向けて現実から逃れようとしている。
見ないように、気づかないふりをしている。
これが、時代の変わり目ってやつなのか。

それで良いかどうかは別として、自分はそうでありたくない。

だから、
暑いといった、自分が好きになれない事柄を題材にし、実現したい事柄をより明確にイメージするようにしている。

気候が気になるなら、適した気候の国に行くなりして、自分が生活する国を決める。
もう時間やお金、人間関係にとらわれて、嫌なことに背を向けて生きたくない。
自分のことは自分で決める。
そんな癖付けをつけるんだ。

今の時代に生まれたことに感謝。
日本は四季のはっきりした国と言われていますね。

海外にも四季はもちろんあるそうなんですが、
日本ほど四季がはっきりしている国はないそう。

四季は、自然の変化による美しさを感じることができるけれど、、
四季で気候がはっきりしているのが好きになれない。

特に寒い、寒すぎる気候がやっぱり苦手。

寒いってことは、
ファッション性として服装を買えていかないといけないし、
もっと嫌なのが静電気を誘発するってところ。

寒い気候だと、商業施設やオフィス等では、当然暖房を入れて温かい環境をする場所が増える。
そうすると、温度変化からか、身にまとっている服装やドアのノブから静電気が多発するんですよね。
そもそも、乾燥肌なのが原因なのかもしれませんが、、
どちらにしても、寒いって好きになれない。

経済自由人として、ビジネスオーナー及び投資家になれば、
寒い季節は過ごしやすい南国で生活をするっていう生活が出来る。

そうやって、
季節ごとに自分が生活をする国を変えていける。
そんな生活をおくれる自分をイメージしている。