寂しさって、人であれば誰しもが感じるものなのかもしれません。
まだ、見るものすべてが真新しくて環境に適応しようと必死になっている時は、寂しさを忘れていられる。
だた、その状態が何十年か続いて、慣れてきたところを見計らって、ふと寂しさは訪れるもの。
やはり寂しいって、好きにはなれないですね。
いつも人と集っていたいし、大切な人といつも一緒にいたい。
そして、モチベーションを高めたい。
大切な人のためになら。。っていうモチベーションをね。
ただ、人って勝手なもので、
慣れには勝てない。
というのは、
凄く尊敬できる人のそばでも
凄く相思相愛の中でも
年月が経つにつれ慣れがでてきて、
尊敬が鬱陶しさに変わり、
相思相愛がすれ違いや別居等といった結末を生むことがある。
寂しいから一緒になる
寂しいから結婚する
寂しいから子供を作る
・・・
寂しさが行動の発端となることもあるが、慣れが出てきた時点で崩壊の岐路に立つことが多いように思う。
だけど、寂しさ、つまり孤独と戦っている人たちも沢山いる。
寂しいのが嫌だから行動をし、誰かと一緒にいる選択をするのに、慣れたら物足りなくなり不幸を訴える人も多い。
かといって、孤独と戦っている人は、孤独の選択をするのに、家族を持っている人をうらやむ人も多い。
結局、皆寂しさから完全に逃れられていないんだ。
寂しさを払拭するために、色々な細工をするのに、寂しさが裏返って別の問題を引き寄せてる。
寂しさって何でしょうね。
大小なり何かしらの族を作って、集うことで寂しさを紛らわす。けども、満足しない。
・・・
多分、皆変化を求めているのかもしれない。
変化がない寂しさが、別の寂しさが生まれる。
寂しいって好きには慣れないけれど、避けては通れない運命?なのかも。
同じ場所、同じ人、同じ風景、同じ家、同じ国、同じ仕事に依存しているから?
依存が寂しさを逆に生んでいる?
経済自由人は、依存から解放されるかもしれないが、やはり仲間を常に求める。
仲間がいることで、同じことでも100倍楽しいもんね。
経済自由人でも寂しいがイヤ。
寂しさって、人であるからこそ飲まされる苦汁なのかもしれませんね。