好きになれない事の一つに『汚い』ことが挙げられる。


汚いって、内面や外面、両方共。


内面が汚いって、、

よく筋が通っていないやり方で物事を推し進めたり、

フラットでない状態で一人勝ち等々


外面の汚いって、、

早く言ってしまえば、不快感を与えるような服装ですね。

黄ばんでいるシャツやズボンを身につけることや

ファッション性のないボロを身にまとったり、、


とにかく、

汚いっていうのは、人との繋がりの中でマイナスとしかならない。


大昔から、人は群れになって行動し独自の進化と学びを得て、文明を築いてきたけれど

汚いってだけで、人の群れに群れることすらできないと確信を持っている。

特に現在社会においては。


戦時中や災害等々で、非常事態であるなら、汚いってあまり気にならないのかもしれないけれど、、

会社にお勤めの方や自営の方も含め、人との関係性を築くことで商売をする。

そんな場では、汚いことは大きく結果が左右する。

言わなくても解るって感じですね。


ファッション性を追及して、少しダメージのある小汚い衣類も結構売られているが、

私観点から言えば、やはりあまり好きになれない。


内面、外面でも清潔で綺麗さっぱりのほうが、人からの好感を得ることができる。


そういう意味では、女性の意見って一番無視できないですね。

清潔感を物凄く重視する方々ですから。


汚いことで得することなんて何もない。

だから、常に清潔で綺麗であり続ける。

不細工って言葉自体、好きになれない。
なぜかって、不細工であることで人に与える印象って最悪になってしまうから。

もちろん、外見がよければ
異性にもてそうだったり、
人から好印象を得られたり
・・・

色んな特があるのかもしれないけれど、、
自分が思うのは、自分が不細工だって思っちゃうことがダメ。

精神的なものですね。

少し前になりますが、
自分は毎日鏡に向かって、自分の等身大にあることを呟いていました。

「お前は、不細工だ、大したことない」

これを毎日繰り返した結果、
自分から人が去っていく現象が多発しました。

人が去る??

どういうことかっていうと、
人と出会って連絡先を聞こうとしたら去っていく
仲良くしていた友人が自分の元から去っていく

何かあなたといると、しんどい、異次元だ。。

こんなことまで言われる始末でした。

ここまで来ると、
楽しくないし、何事も億劫になってしまう。

何のために生きているんだろう。

そんな気持ちすらなる。
不細工って考えることで、良いことなんて一つもない。

人生一度切りって考えるなら、楽しいほうがよいですよね。

だから、不細工って言葉は自分にはインプットしない。
最も好きになれないものの一つ
「社畜」

社畜ってそもそも何か

会社の資産を築く為にせっせと働く人達のこと。
すなわち、サラリーマンってことですね。

もう絶対サラリーマンには戻らない。
そう自分の中で決めている。

かの言う自分も、約7ヶ月前まではサラリーマンをやってました。
人が作ったレイルに乗り、ただひたすら目の前の業務をこなす。
それが当たり前だと思ってた。

早朝から終電まで、毎月400時間以上の労働。

何のためにやっているのかって、、
生活のためが第一。
あとは、スキル向上?自己満足?
・・・

人それぞれだと思うけど、
共通して言えることは、会社の資産すなわち社長の資産を増やす為に働いているってこと。

Eクワドランドでいう会社員は、
社長を金持ちにする為に、せっせと働き体力が無くなって動けなくなったら解雇対象に。
そんな人達です。

組織のダウンサイジング
アベノミクスの解雇規制緩和、派遣法改正
源泉徴収

会社員で安泰なんて嘘

会社員が安泰だった時代は、産業時代。
つまり、2000年辺りまで。

今は、インターネットが復旧した情報化時代。

会社経営者が、
インターネットを使って、外国人を含めより安く人を使って
資産を増やすことが可能となった時代。

さらにさらに
人工知能が開発され、ルーチン作業の自動化、肉体労働の消滅、
ストレスや病気、疲労すら感じないコンピュータが取って代わる時代。

国がなんとかしてくれる
会社がなんとかしてくれる
なんとかなる
・・・

色々なことを言う方がいますが、
絶対に言えることは、なんともならないってこと。

社畜で生きることほど、愚かなことはない。
自分の労力を他人に提供してどうする。
自分の労力は、自分に提供して意味がある。

会社に労力を提供して、会社が面倒を見てくれた時代は終わってる。
自分から何かを発信しないといけないと思う。

私たちは、ちょうど時代の変わり目に生きているのかもしれません。

つまり、、
変化が求められているってこと。

会社員、つまり社畜ほど不安な立場はない。
人に依存し、人に物事を決めて貰うのではなく、自分で決めようよ。
「ストレス」は誰しもが抱えたくないもの。

満員電車
人間関係
・・・

現在社会でまともに生きようとすると、ストレスは絶えないですよね。

ストレスによって、体調を崩したり、肥満になったり、髪の毛が抜け落ちたり。。
ストレスを起因とする病気や身体の異常って結構あったりする。

自分の場合、ストレスに感じない自分になるために、物事の意味やどうなりたいのかの着地点から物事の置換えを行うことが多い。
たとえば、、

満員電車
→人の観察が出来る、一人の世界で考え事が出来る
スペース確保の為に、朝から対人筋トレが出来る
自分の知らない世界を知る、自分との対話。

人間関係
→この人となぜ繋がるのか、なぜ関係性を維持しようとするのか
割り切りなのか、深く付き合うべき相手なのか
自分はどういう人と付き合いたいのか
・・・


何のためにそれをするのか
どうすればストレスと感じないように出来るか
どうすれば楽しくなるか
これをすることで何を得ることが出来るか

ってことを考えてる。

以前、出たセミナーの場でも、改めて感じさせてくれたことがありました。

それは、、
目の前の出来事に無駄はないってこと。

なぜ自分の目の前で、その出来事が起きているのか
なぜストレスと感じるのか

全ては、自分の行動の結果
自分の選択の結果がもたらした出来事ですよね。

満員電車に乗ろうと決めたのも自分
人間関係を維持しようと決めたのも自分

自分で決めて行動しているのに、ストレスだ
ストレスを感じるから、身体に異常をきたしたって。。

結局、ストレスって何って話。
ストレスって感じるからストレスなのでは?

逆にストレスと思うのであれば、最初から選択しなくてもよい。
やってみてストレスに感じるのであれば、止めればよい。

自分が思うに、物事には意味がある。
何も考えずにただ流れるように生活していてはその意味を考えるっていう行動すらしなくなる。
これが慣れってやつですね。
当たり前でないことを当たり前と捉えること。

慣れがあるから、ストレスと感じることに慣れてしまう。
・・・

ストレスに感じることに慣れる必要ないじゃん。

どうしてもストレスと感じるのであれば、
他の人がやったことのないことにチャレンジして、ストレスを感じないようにすればいい。
ストレスと感じる環境に身をおいていては、ストレスって消えない。

自分もそうだけど、他の人がやらないことに挑戦することって何かしら抵抗があるものですよね。
だけど、他の人がやってきたことにストレスを感じるのであれば、何かしら行動をし変える必要がる。

挑戦にストレスを感じることってあるかもだけど、その先にストレスを感じない環境があるって考えれば、ストレスがストレスって思えないしモチベーションに繋がる。

自分は、今経済自由っていうストレスを感じない環境に自分の身を置こうと決めている。
生き方を変えないと何も変わらない。
生き方を変えれば、苦痛な人間関係を維持する必要なんてない。

ストレスは、行動して現状を変える必要があるってことを教えてくれる。
ストレスと感じるのであれば、ストレスを感じない考え方もしくは、ストレスを感じない環境に身をおくっていう行動が求められている。

変化を求めるサインなのかもしれません。
世の中ってよくできていますね。
「叱責」されて気持ちの良い人なんているんだろうか。

いるとすれば、叱責されることで愛を感じる人?
例えば、教えを請いたい人がいて、
その人のようになりたい、
またはその人の持っている技術を盗みたい、学びたいって考える人
くらい。。

多くの人は、叱責されることで自己嫌悪に陥ったり、または逆ギレ状態になったり。。

叱責する人も選ぶわけだし、
なぜ叱責するのかも考える。

人を教育するため?
あとは、、感情的になってみたり??
・・・

これくらいしか、思いつかない。
多くは、叱責をしたくてしているのかもしれない。

つまり、物事が上手くいかないことを八つ当たりしてみたり、、
単なるストレス発散とか。

とにかく、叱責の多くは、人の自信を消失させるものであると思う。
特に、何となく生活のために会社員をしている人や、社会人になりたての学生は、自信を消失させるだけでなく追い込むきっかけになりうる。そんな傾向があるように思う。

鬱になる人は、暇な人が多いって聞いたことがあるけれど、、
暇な人ほど、叱責を受けると抱え込んでしまい鬱になってしまう習性があるのかもしれませんね。
それしか考える事しかできないから?
もしくは自分の着地点がどこなのかを掴んでいないから?
・・・
よく解らない。。

私も実は、過去会社員だった時に、上司から執拗な叱責を受けたことがあります。
「なんでお前の為に...」
こんな口癖を多用する上司でした。
正直、教えを請いたい人でもなかったけれど、給料の査定をしている人だから仕方なく従っていた人。
おそらく、上司も管理能力を問われるから仕方なく私と相手してくれたのかもしれない。

その時の私は、とにかく生活のために会社員をすることしか見えていなかったので、
やはり鬱状態になり、仕事も手に付かない、自信が持てない。
そんな状態になっていました。

私の場合は、どこかでこのままではいけないという思いがあって、
心理カウンセラーに助言を求めたので、大事に至らなかったのですが、
行動が伴わなかったら、自信そのものを失い今の自分もなかったのかもしれません。

それくらい、自信ってその人の源なんですね。
自分を信じられなければ、活動そのものが鈍ってしまう。

なので、人の自信を損なわせる叱責そのものを好きにはどうしてもなれない。
将来経済自由を得て、自分を信じて教えを請うてくれる人ができたら、
愛の一環として叱責を取り入れるのかもしれないけれど、自己満足のための叱責は絶対しない。
季節が夏から秋に移り、涼しい陽気になってきましたが、何故かこの季節が一番臭い。

そう、、
体臭。

夏が一番臭いって認識が多いと思いますが、、
夏はエアコンが効いているところが多々あり、個人的には寒いって感じることが多いです。

電車内が特にそう。
絶対エアコンが効いているし、めちゃくちゃ暑いって感覚はない。

それに比べて、秋は一斉にエアコンを切るところが多いんです。
更に、学生や会社員だと衣替えを強要され、暑いのに上着を着なくちゃいけない。
特に秋になりたての10月頃が一番暑く、汗っかきが多いって感じる。

そこに臭いがこもるんですよね。

臭いの素になるのが、汗と言われていますが、汗そのものは本当は無臭なんですよね。
私は最近知りました。。

汗をかいて、脇につたって、ミックスされることで臭いに変わる?
臭いに関するメカニズムはよくわかりませんが、体臭は体質からくるものらしいです。
あと、食生活も関係するんですかね。。

偏見なのかもしれませんが、
中年の親父さんのニオイって、ワキガより強烈です。
あの焦げ臭いニオイと、汗が混じった?ニオイと、腐ったニオイ。
なんとも言えない、例えようがないニオイです。

更に更に、口が臭いと最悪。
おそらく、歯は磨いているのだと思いますが、
タバコのヤニや歯周病?、ゲップ等からニオイが発生するですかね。

思い出しただけで、ゾクゾクって身震いがします。。
嫌だー!

よいニオイは、人を引き付ける魅力に変わる。
臭いニオイは、人を遠ざける凶器に変わる。

臭いニオイは、人を不快感にする典型なので人とお会いする以前の問題だと考えます。

ニオイは、エチケット。
体臭や口臭はもってのほか。

心に留めておきます。

経済自由人は、人に会って関係性を築いてなんぼ。
人に不快感を与えないよう常に心がけます。
私が好きになれないことに「泣く」ことがあります。

泣くことは、ストレス発散にもなるし同時に感情のリセットにもなる。
良いことずくめのようにも見えますが、どうしても恥ずかしいという感情が先行してしまいます。

男のくせに泣くな!

私が幼い時に、両親から学んだ男としての生き方です。
男だって泣いていいじゃん!って思ったことも何度もありましたが、幼い時から潜在意識を植え付けられたものは中々消えません。

どうしても抵抗があるんです。

とは言っても、
今まで人前で恥ずかしく号泣したことなんて多々ありました。

学生時代の大半の時間を使って挑んだ最後の陸上競技大会で結果を残せなかった時
ネットワークビジネスでのダウンライン崩壊を目の当たりにした時
信じていた人達が自分の元から去っていった時
自分が今まで関係性を持ってきた人間関係が上っ面であったと知った時
・・・

まだまだ沢山出てきます。
ホント沢山泣いたな。。

家の親父がいつも私に教えてくれたことがあります。

それは、、
男は人前で弱いところを見せてはならない。
常に強く太くあらねばならない。

戦時中に育った親父の口癖でした。

そんな生き方が一番かっこいい。親父こそ男だ。
そうずっと思ってた。疑いもしなかった。

だけど、ネットワークビジネスに携わった時、
アップラインが人目を気にせず、辛いことを思い出し号泣する姿を見て少しかっこいいって思えるようになってた。

辛い時の事を人に語れるって、その人を鍛錬したものが何かを教えてくれる。
その人の味が出てて良い。

だけど、それでも
自分にとって、
人前で泣くことは、どうしても抵抗がある。
好きになれない行為の一つだ。

嫌味って、誰しもがしたことあると思うけど、誰しもされたくないこと。

嫌味言われて気持ちの良い人っているのかな?

いたとしたら変態なのかも。。


昔からいるいじられキャラで.も、嫌味言われると内心イライラしていると思う。

もちろん、こんなことを綴っている自分も嫌味は好きになれません。


これだけ、人が嫌がることをなぜ人はしてしまうのか。


自分が思うに、おそらく人は優位性を保ちたい生き物なんだと思う。

自分が誰よりも優れているんだと相手に知らせることで、少しでも相手より優っていることをアピールしたい?のかもしれません。


野生動物で例えると面白い。

野生動物って、自分がいかに強いかを威嚇して相手の動きを鈍らせようとする。

これと、同じことを人はやっているんじゃないかって思います。


つまり、持って生まれた一種の性質?なのかもしれないですね。


そんな優位性を高めたり、威嚇をすることにより、何が起きるかってたかがしれてる。

自分が強いってことをアピールできるだけ。

野生動物の世界で、弱肉強食で食べ物にもありつけられない環境下なら必要なものの一つであると思う。

だけど、人間の世界で更に現在社会において、まず弱肉強食で飯が食えないってことはあまりない。

だから別に優位性を高めたり、威嚇したりする必要性がない。

女の子にちょっと良いとこ見せたいのなら、少しだけ強さをアピールすればちょっと効果的?なのかもしれませんが、、所詮その程度。おっと、これは嫌味ではないですね。すみません。。


こう考えると、嫌味を言う意味や理由がよく分からなくなりますね。

単純に、嫌味を言うことで相手が不快感になることが気持ちいいから?

自分が相手より優っていることを知ってほしいから?

・・・


これくらいしか、嫌味の利点って思いつかない。。

正直言って、自分の考えからすると、無駄って考えてしまう。

多分、暇で時間があるから、嫌味ってしてしまうんじゃないかな。


昔流行ったテレビアニメ『あさりちゃん』でも、あさりとたたみの関係で嫌味が凄いですね。

主題歌でも嫌味言ってますし、

アニメ内でも、お互い学生同士で、時間に余裕がある、もしくは人生について何も考えなくてもよい。

そんな感が拭えないアニメでした。


すこし脱線しましたが、、

嫌味って要らないです。


もっと人生に真剣になる。ただでさえ、10年後20年後、国がどうなっているか、自分が幸せを感じれる生活をしているかさえ解らないのだから。

経済自由になるのなら、もっと要らない要素だと考えます。

なぜなら、人を遠ざける行為だから。

やらなくてもよいリストに真っ先に入る。

私が好きになれないことの一つに『裁判』があります。


裁判といえば、

自分の正当性を主張し、賠償金取ったり、無罪を勝ち取ったり、はたまた有罪判決を受けたりと、、

とにかく法を知っている人が得をする。そんなイメージ。


実際に裁判を経験したことがないので、昔見たテレビ番組等のイメージが優先しています。

法は、変更されても教えてはくれないので、必然的に法に関連するお仕事に従事している方のみぞ知る?、ちょっと言いすぎなのかもしれませんが、一般人には中々情報が出回らないのが現状。


自分にとっては、個人の感情や思いを無視して、国の偉いさんが勝手に作ったルールと受け取めています。


話が変わるのですが、

裁判を好きになれないきっかけになった出来事を綴ります。


以前私は、Sクワドランドに属していますが、6か月前までは会社員をしていました。


そこでは、朝9時から夜12時まで、休みを与えられない重労働を強いられていました。

一カ月に27連勤という、寝る以外の時間すべてを社畜に捧げることを強要される。

総労働時間は、400時間以上。

気が狂いそうになります。


その時の唯一の楽しみが給料。

幸いにも、残業代は全額支給ということで、ワクワクしていました。


これだけ仕事をしているんだから、自由な時間ができたら豪遊してやる!

美しく可愛い女性に囲まれ、お酒を飲みデートをし、、そんな楽しい日々をイメージしていました。


そして、待ちに待った給料日。

郵送で送られた来た明細書を見ると、、50万円の支給。。

サラリーマンにしては、多いのかもしれませんが、寝る時間や休日を全て捧げてこの金額。

愕然としました。

その傍で、社長が新車を納車したとう噂が出回る。

悔しかった。


もう嫌・・・

27連勤という勤務状態が続き、体力的にも精神的にも休みがほしいとお客様のプロジェクト責任者に伝えると、こんな答えが変えってきた。


『御社と弊社との契約条件に、業務命令に従うことという契約がある。だから、俺が休日出勤してほしいと打診して従わなければ契約違反だ。もし、気にくわないのであれば民事裁判を起こす!』


契約内容を知らされていなかった自分も情けないですが、

民事裁判を起こす!と言われ、何も反抗することができない自分もまた情けない。

無知であることも情けない。


自社の社長に相談しても、『頑張ってくれ』の一点張り。

労働基準法に違反していると話しても、

『月4日休みを与えていれば問題ない、

1カ月31日なので、27連勤なら1日だけ休日手当を支給してやろう。』の返答。


・・・


労働基準法、民法等々の法律を知らないがために、悔しい思いをする。

さらに、国の偉いさんが勝手に都合良く変更するから、知っているものだけが得をする。

平等を守るはずの法が、上手く利用されていると知った時、とても好きとは言えない。

その法を基に判決を下す裁判もまた好きとは言えない。


経済自由という生き方を選択するのなら、好き嫌い関係なく法は知っておきたい。

ただ、裁判という舞台にはできる限り出たくない。

好きではないから。

口論になる。
それは、人との意見の衝突?もしくは人とウマが合わない?等々

色々と考えられますが、
少なくとも、今後お付き合いができるかできないのかの岐路に立たされていると見ています。

口論になるというのは、人との繋がりを持った証ともいえますが、
それでも出来る限りは口論はしたくない。

気持ちのよいものではないですし、
やっぱり好きにはなれないですね。

私だけなのかもしれませんが、よく口論と喧嘩を混合して考えてしまいがちです。
というのは、口論は口で論じる、すなわち自分の正当性を主張を強く発しているそんなイメージ。
それに対して、喧嘩は拳等を使ってほぼ強制的に相手を動かそつとするようなイメージ。

どちらも嫌ですし、どちらも極力避けたい。

人は感情の生き物ですので、色々な感じ方捉え方があると認識しています。
なので、衝突?するのはある意味自然なのかも。

仲良くなる、もしくは友人になる過程においても、一度や二度は経験したりしますよね。
それだけ、語り合っている証なのかもしれません。

こういった語り合いは、学生時代によく経験しました。
そして、もちろん口論や喧嘩もしました。

働くようになると、仕事に関わる人と語ることが多くなりますが、どことなく仕事と割り切っている感がある、
それは、私だけでなく、相手側もそうだと思います。

こういった関係の中での、口論はいただけないですよね。
私が最も好きになれない口論です。

口論と一言で言っても、様々な口論がある。
経済自由という生き方を実現する過程で、おそらく経験もすると思う。
ただ、極力避けたいというのが本音。

一致団結。
こんな人達に囲まれたい。
出来る限り、正当性を主張しあう口論には出くわしたくないものです。