ねねじーちゃんのばいくらいふ

ねねじーちゃんのばいくらいふ

MOTO GUZZIの鼓動に嵌り込んだぢ~さんですバイ(^^)

Amebaでブログを始めよう!

2017年7月30日に投稿した記事です。

 

ヤフブロからアメブロに移行したとき洩れていたので

再投稿です。

 

 

 

「ア~ナタワー、カーミヲ、シンジマスカ~?」

 

半世紀近く前、岡山の繁華街で聖書片手の外人さんに

何度か声を掛けられたことがありました。

 

悩み多き子羊だった私です(爆)

 

 

 

私の家は真言宗ですが、

幼少のみぎりより、正月は神社に初詣。

12月24日はキリストさんの誕生日を祝い

春と秋のお彼岸には墓参り、

お盆には迎え火、送り火、灯篭流しでご先祖様を供養。

祖父祖母が亡くなったときに高野山へ分骨にいったくらい

形式だけで、けして信心深いわけじゃありまっしぇん

(^^;;

 

なんでもあり~の

ごくありふれた生活で真剣に神様に願い事など

したことありませんでした。

 

あッ! 年末ジャンボ宝くじが当たるように

お願いしたことはあったとです(^^;;

 

 

 

つまらん前振りはこれくらいで

 

 

 

 

妻が他界して二年、三回忌の今日

ひとつの区切りとして

書き残しておきたい事があります。

 

書庫の日記の中で、「一年前」と

重複する部分もあって、少し長いですが

お暇な方だけお付き合い下さい(^^)

 

 

 

 

 

話は、二十五年前にさかのぼります。

 

私が三十八歳の春、平成四年五月

親の勧めもあり、官舎生活に別れを告げ

安普請ですが我が家を新築しました。

 

和風の家なので神棚のひとつも無いと

いけんじゃろと

壁に棚を作り小さな社を置いただけで、

お供え物も何もせず、ほったらかし状態

拝んだことすらありませんでした。

 

 

 

今から思えば罰当たりですバイ(^^;;

 

 

 

 

それから三年経った平成七年六月十日の朝

 

以前、日記に書いたように妻が脳膿瘍で倒れ

すぐに岡山日赤病院へ入院

 

CTを撮るとパチンコの玉くらいの膿瘍ができていた。

 

入院当日は左足だけ動かなかったのが

二日三日と経つうちに麻痺が広がり

一週間もたつと膿瘍の大きさが、うずらの卵くらいになり

左半身不随になってしまった。

 

 

家事が何も出来ない私は、子供たちを妻の実家に預け

年休と看護休暇をとり毎日病室に通っていた。

 

妻が入院した時、偶然同じ脳膿瘍で

入院されていた患者が二人居て、

一人は妻と同い年の主婦

仮にAさんと呼びます。

Aさんは患部が頭蓋骨に近いところなので

開頭手術で膿瘍を切り取り退院間近だった。

 

よく話を聞けば、ふた月前にも膿瘍の手術をしたばかり

今回は二度目の手術だった。

 

 

もう一人は高校生の女の子で、薬が合わなかったのか

ステロイドの副作用でムーンフェイス

車椅子で病棟の廊下を移動していた。

 

 

 

 

入院先の脳外科の部長は妻の母の詩吟友達で

妻の状態をわかりやすく説明してくれた。

 

「脳膿瘍で死ぬことは無いが

膿瘍の出来た部位が脳幹近くで開頭手術で取り除くと

足の神経を傷つける恐れがある、

もしかしたら左足は不随になるかもしれんがいいか?」

 

それは「一生車椅子生活でもいいか?」

と言う事を意味していた。

 

現在の医療技術なら安全に取り除けたのであろうが

当時の技術では不安があったのでしょう。

 

まだ37歳だった妻に

そんな残酷なことなどできるはずもなく

なんとか薬で膿瘍を小さくするように治療方針を決め

ひと月が過ぎた。

 

薬をあれこれ試したが一向に

妻の容態は変わらず行き詰まっていた。

 

そんな頃、Aさんが再び入院

Aさんはまた膿瘍ができ三度目の手術を行って

暫く入院していたが

 

頭の中が膿瘍だらけになり亡くなった。

 

 

 

「脳膿瘍じゃぁ死なないって言ってたのに・・・


話が違う!」

 

 

私は言い知れぬ不安に平静ではいられなかった。

 

妻の前では絶対に悲しい顔や辛い顔を見せなかったが

その日はとても笑顔を作れる状態ではなかった。

 

病室の前まで行ったが、踵を返し家に帰った。

 

 

その夜ひとり、言いようの無い不安と孤独、

妻を失うかもしれないという恐れ、

なにもしてやれない焦燥感にいたたまれなくなり

ふと、見上げた先に神棚があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

生まれて初めて真剣に祈った

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうか・・・どうか妻を助けてください

なんでもします。

せめて、せめて20年、命をください」

 

なんどもなんども涙ながらに祈った。

 

平成七年七月十五日の夜であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日、林原生物化学研究所に勤めている友人が

ひょっこり家に来て

「奥さん大変なんぢゃな~

今会社で開発中のプロポリスをあげるから

飲ませてみたら?

 

風が吹いたら桶屋が儲かる式に免疫が上がってくる

モノぢゃから副作用もナンもないから大丈夫」

 

翌日持ってきてくれた

プロポリスの原液を就寝前の妻に飲ませた。

 

その夜、「奈落の底に落ちてゆくような感覚になって

怖かったが、

翌朝、今まで頭の中にぼんやり掛かっていた

霞のようなものが無くなり意識がハッキリした。」

と、翌日妻が言っていた。

 

 

 

 

 

そしてその日は別の友人が難病の治療をされている

K本先生を紹介してくれ、その夜お宅へお邪魔してきた。

 

 

 

K本先生は私が知らないだけで有名な方だった。

 

妻の状態を話すと

 

「連れてくれば診てあげる」と言われ

藁をもすがる思いで

 

病院に外出届けを出し七月十八日の夜

動けぬ妻を抱きかかえて連れて行った。

 

治療は、からだのツボ(特に手足)を刺激すると

全身の血の巡りが良くなり

身体に滞った悪いものを汗や排泄物にして

身体から取り除いてゆく治療である。

 

ツボを掴まれると、とても痛いようだった。

 

治療が終わり病院へかえる車中

「おとうさん、これ見て」と

妻が左手の親指を動かせてみせた。

 

ひと月以上動かなかった指が動いた。

 

「K本先生に治療してもらっている時、

押さえたところが錐で刺されたように痛かったけど

身体がポカポカしてきたし指が動くような気がして

力をいれたらほんとに動いた」

 

 

 

目の前に一筋の光が射してきた。

 

 

 

翌日から毎日、仕事が終わったあと

病院へ迎えに行き治療につれていった。

その日以降、膿瘍が徐々に小さくなってゆき

妻は日一日と回復していった。


平成七年九月十日退院

元通りの身体にはならなかったが

半身不随とは比べようも無いくらいに回復し

日常生活が送れるようになった。

 

子供たちも私も喜び、家の中に光が溢れた。

 

 

 

 

 

 

K本先生は北辰妙見大菩薩をお祭りする宗教家なので

いろんな変わった人が出入りしていた。

 

そのなかの一人に我が家を建てる時に

方位を見てもらった人が居た

その人はいろんなものが見えるらしい。

 

その方曰く

「○野さんの家にはお不動様が居られる。

きちんとお祭りされたほうがいいですよ」

 

私は、そういった類が見えたり聴こえたりしないので

否定も肯定もしなかったですが、

これもなにかのご縁だと思い

壁に付けた棚から、床の間に場所を換え

天照皇大神とお不動様の社を置き

米、塩、水、お神酒を供え

阿仁神社から宮司を招き正式に不動明王をお迎えし

毎朝祝詞をあげていました。

 

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その後、平成十九年に二度目の脳膿瘍を患ったが

プロポリスだけを飲ませ一ヶ月の入院で回復した。

 

 

 

そして、まさかの事態

平成二十四年の暮れに食道ガンが見つかり

初期なので内視鏡で翌年一月に取り除いた。

その後のPETCTで身体の他の臓器には

ガンは無いのか調べたが医者の所見では見当たらなかった。

 

 

 

 

しかし、一年後の平成二十六年一月末PETCTで

 

大腸ガンが・・・

 

 

すでに腸閉塞寸前、

緊急手術でS字結腸のあたりを20cmほど

リンパ節とともに切除した。

 

ステージⅢのBであった。

 

それから亡くなるまでの一年半

できるかぎりの治療をしてきたが力及ばず、

平成二十七年七月三十日、午後五時二十八分

私の腕の中から妻が旅立ってゆきました。

 

 

慌ただしく葬儀が終り、妻の居ない現実に愕然とし

これ以上ないほどの淋しさ、悲しみ、喪失感

身体を二つに引き裂かれたような心の痛みに

打ちひしがれ、まるで廃人のようでした

 

 

 

しかし日々の生活は待ってくれず
日中他の人がいるときは努めて明るく振舞い

ひとりになると涙の流れない夜は無かった。

 

 

 

身体の不自由な妻を、

私が精一杯支えてきたと思っていたのに

支えられていたのは、

 

この私だった。

 

 

思うことと言えば、

あの時、ああすれば良かった、

こうすれば良かったと

後悔ばかりの毎日でなにもやる気が起きなかった。

 

 

 

四十九日が終わるまでは

神様のお供え等はしなくていいのですが

神事も一年間放置していました。

 

 

 

昨年の七月、一周忌を済ませた後

神棚を掃除し、

お供え物を上げている時

 

 

 

 

思い出した・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あの時、

 

二十年、命をくれと頼んだのを!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

平成七年七月から平成二十七年七月

ちょうど二十年。

 


 

 

偶然なのか?

 

それとも私の願いどおりなのか?

 

 

 

 

それなら


あのとき三十年と言えばまだ生きていたのか・・・

 

いろんな思いが頭の中を駆け巡ったが

時すでに遅し。

 

 

 

 

 


妻の遺影を見上げ、息を呑んだ。

 

妻の遺影を掛けている場所は

 

 

 

最初に神棚があった所。

 

 

 

 

 

 

 

 

神は約束を守ったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

哀しくて淋しいことに変わりはないが

一年間苦しみ抜いた自分に別れを告げるため、

 

私が頼んだことだからと

自分自身を納得させました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あなたは神を信じますか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キャブのセッティングでドツボに嵌った私ですが、

以前にも似たような体験をした記憶が・・・

 

昨年の夏、めんたい7号で同じ様な現象が。

あの時は点火時期が圧縮上死点0度で点火していて

ぜんぜんGuzziエンジンの力強さがなかった。

 

もしやこやつも点火時期が狂っているのか?

しかしポイント点火ならいざ知らず

ダイナのキットを組み込んでいるのに点火時期が

狂うとは信じられなかったが

とりあえずジュニアのガレージへ持ち込み

調べてもらった。

 

結果は、圧縮上死点0度であった。

 

どこの弩素人がダイナを組んだんぢゃ~(怒)

 

 

 

もともとダイナの信頼性に疑問を持っていた私は

このさいポイント点火に戻すことに決めた。

 

 

こやつらを取っ払い

以前タミさんに貰ったデスビを取り付ける。

 

部品を外して行くにと

クランクケースのブローバイに逆止弁はないし

オイルキャッチタンクはホースの取り付けが変だし

なんとかポイント点火に戻った。

 

 

 

やっとマーニらしいエキゾーストノートになった。

快音を響かせながら気持ちよく走っていたのだが

ある日何気なくメインスタンドをかけ

ユニバーサルジョインントの動きをチェックしたら

えらいもんを見てしもた。

 

 

ドライブシャフトが振れとるがな!

 

こんな状態で高速をぬおわkmで走ってたのを思い出したら

玉がきゅ~っと縮んだバイ。

 

そくジュニアのガレージで解体作業

ユニバーサルジョイントがガタガタであった。

 

マーニのジョイントはトンティ系と違い

シャフトの両側に一個ずつあるのでトンティ用を二つ

使って作製です。

 

 

リア周りをバラしたついでにパラレログラムのベアリングも点検

注油で済むかと思っていたが8個中6個が使い物にならん。

モノタロさんに注文して交換です。

 

ドライブシャフトが少し曲がっていたので

プレスで修正したが真っ直ぐにはならなかった

 

とりあえず組んでリアタイヤを回してみた。

 

やっぱりシャフトが振れる

プレスじゃ無理か。

 

ならば新品のドライブシャフトをMGサイクルから購入

ルマン1000用だけど使えるぢゃろと注文

ジョイントのストッパーを入れる位置が違うが

サイズはドンピシャ

溝は旋盤で切りなおせばよかでしょう(^^)

 

 

夜明けは近いぞ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

みなさまご無沙汰しております、

ねねじーちゃんでござる。

 

ヤフブロからこちらへ無料トレードされ

自分の足跡を残し

気が向いたときに読み返すつもりでしたが

春にニューカマーが我が家にきて

素直ないい子のはずが満身創痍のヨレヨレ状態

移籍記念に少し書いてみる気になったので

お付き合いくだされ(^^)

 

そやつの名前は「てんちょ号」

知ってる人は知っている

某マックスフリッツ福岡店の店長の愛車。

 

3月12日に我が家に到着その足で名変

初めて乗った印象は

「なんぢゃこりゃ?」

エンジンにパンチもなけりゃ力もない。

すぐさまジュニアのガレージに直行

その場に居たKENKENさんとジュニアに

試乗してもらったがどちらも「走らんなぁ」

色々原因はあろうからひとつづつ

直していくことにし、まずは外装から

かっこ悪いスクリーンを変えメーターパネル

ハンドル、テールランプ、サイレンサーetc

各部のバランスは追々煮詰めることにして

エンジンに力が無いのはヘッド周りだろうと

頭開けちゃいました。

予想通りバルブは四本ともベタ当たり

おまけにインテークバルブの一本は

ステムに傷があり使えない

 

バルブリフターも虫食いだらけ

 

OH前にサイレンサーを替えた動画

排気音がボソボソ言っとります(^^;;

 

 

悪い部品を新品に換えると圧縮があがり

エキゾーストノートが少し弾けだした

 

 

アクセルの開けはじめにもたつくのを

なんとかしようと今度はキャブのセッティングに

迷い込む。

OHキットでオ-リング等を換え~の

加速ポンプ、

アトマイザーとニードルも新品に

このあとはお決まりのメイン、パイロットジェットの

セッティング地獄

 

どツボにはまって分けわかめですバイ(^^;;

 

つづく

 



オルタネータ炎上後のめんたい7号です。

スクランブラーサイクルにオルタを発注して
18日後にやっと到着しました。
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       干瓢Ⅱ号に取り付けたモノとおなじKit。
     値段がわずかに下がっていて250$であった。
   送料が90$もするので少しでも安いのはありがたいと
         この時点では思っていました。

    さっそくジュニアに丸投げで取り付けてもらおう。


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バッチリぢゃ(^^)

干瓢Ⅱ号に取り付けたオルタでは
怒涛の東北遠征、阿蘇往復、秋には東九州。
約7000kmを走破、絶対の信頼を寄せていました。

ところが一週間後の土曜日
恒例の道の駅一本松で昼食後
エヌメカ・ガレージに寄り駄弁ったあと帰ろうと
エンジンをかけると・・・


発電しとらんがな!

ICレギュレータのパンクか?
配線を確認しても緩みも断線も無い。

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ならばと、
その場に居た御大に家まで車で送ってもらい
干瓢Ⅱ号のオルタを外し
めんたい7に取り付けた。

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ちゃんと発電しております(汗)

こりゃ困ったバイ!とFBに投稿すると

ガンバさんからクボタのオルタが逝けそうバイ(^^)
と品番を教えてくださった。
ありがたやありがたや。

早速近所のクボタの代理店に行き値段を聞くと
税込み6万円強!!!

た・か・い!

ぢゃが日本電装のものならあたり前の価格

ならばネットでリビルトを探すと
3万円ほどで見つけた。
早速注文して届いたブツを見ると
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B端子の位置が違う。

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これを干瓢Ⅱ号に取り付ける。

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端子の位置が下なので
ステーと緩衝しないか不安だったがダイジョブでした。


DENSOの製品ならまず壊れはせんぢゃろ(^^)

干瓢Ⅱ号はこれで良しなのだが
めんたい7に不安が残る

再びネットで検索をつづけると
端子の位置も同じオルタネーターを発見

部番100211-1670
これで調べていくとアメリカのアマゾンで
137$で売っている。

そりゃ安過ぎりゃせんか?
の疑問どおり中華製であった・・・

ということは。

スクランブラーサイクルで売ってるキットの
オルタネーターは間違いなく中華製ぢゃ!!!

この部番のオルタでは新古品があって
14000円ほどなので迷わず注文

二日もすると届いた。

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信頼のNDマーク。

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これで二台とも発電、
充電の不安は一掃されたとです!

オルタで手間取って車検を切らせてしまった
めんたい号は輪番借りてユーザー車検に行ってきました

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メーターがマイルなのでキロ表示に(^^;;

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ラインで寸法測ってOK
テールレンズの反射板でクレーム
「10平方cm無いので反射板貼ってください」

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いつもなら四角い反射板を貼ってくるのに
うっかりしとったがな(汗)

自動車協会で丸いのを買ってはりつけた。

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これで無事車検終了

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六月に手に入れてから約6000km
次の車検までにどのくらい距離が延ばせるのだろうか?





今年もあと二日とすこし
みなさま良い一年を過ごされたでしょうか?


来年もみなさまの更なる飛躍を信じております。
良いお年をお迎えくだされ。


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PS

玄関先にこんなのが転がっちょります
誰かいる?
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中華だよ~~~ん(^^)


ご無沙汰しております。
灼熱の夏もいつの間にやら過ぎ去り
十月の楽しみだった金太郎祭りも終わっちまった。

金太郎祭りの模様は、かときっちゃんやクマモンおやぢ、
106さんにお任せして
ポイント回りの整備と点火時期の調整で
快調に走っていためんたいセブンの近況でござる。



エンジンは快調ですが入手時より聴こえていた
カムギアの唸りを無くすためハーパースから
三枚のギアを購入。

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もう少し走りこんで暇な時にでも自分で替えようと
不良在庫の中に埋没させ
手軽にできる事を優先しました。

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ユルユルだったデスビのゴムをカワサキから購入。
ゴムは日本製にかぎる!

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右にある集合スイッチを左に

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小ぶりの工具バックを取り付け

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パワーフィルターをファンネルにしてみた。

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この頃からエンジン回りからの異音が増し
ダイナム~ンのあたりからヒュルヒュルと音が聞こえ出した。

異音チェックのためダイナモベルトを外し
エンジンを回したが異音は変わらない。

しかしエライもんをみてしもうた。

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切子が~~~!

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こりゃ~自分の手に負えんぢゃろと
ジュニアのガレージへ持ち込もうと
ベルトをはめてプーリーのボルトを締めこむと
三本のうち一本がニュルっと破断してしもた(汗)

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こやつは刻印もなにもない鈍らボルト
あわてて同じ長さ(18mm)の強化ボルトを買ってきた。

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他のボルトも良く見ればピッチの間が伸びて破断寸前。

もしかして干瓢Ⅱ号も鈍らボルトか?
ベルトカバーを外して確認すると

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8.8の強化ボルトが入っていた。

一本外して長さをみると15mm!!

あの切子の原因はボルトが伸びて
エンジンケースを削っていたのか!

とりあえず走れるようにしてジュニアに丸投げ
ついでにギアセットも交換してもらいました。

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しかしZ部品の恐ろしさ、
組み込むとエンジン回りマッしぇン(涙)

ジュニアがあれこれ組み合わせを変えて
いちばんスムースに回るように組んでくれました。

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一番耳障りだったヒュワ~~ンというカムギアの泣き声は消え
普通のギアトレインの音になった。

それから800milesほど走りこみ
エンジンオイル交換

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一段と静かになるのを期待してSUPER ZOILを投入。

75milesまでストレス無く走れだした。

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めんたいセブンでルマン会議やGuzziRallyに
行こうと思えば風の抵抗を和らげるのに
スクリーンは必需品ぢゃろ?

干瓢Ⅱ号のデッカイのをつけると
風がヘルメットの後ろで巻いて
ヘルメットごと頭を揺すぶる。

気持ちわり~がな。

某オクで小ぶりな風防をポチった。

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取り付けてみると
カッコも今一、風のあたりも良くなかった。

この日一本松に来ていたビーマーが

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これをつけていた。

「アマゾンで3300円
120km出してもダイジョウブ!」

と言っていたのでダメもとで注文

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ビーマーはメインスイッチの関係で
ライトリムのあたりに装着していたが・・・
ブッサイクぢゃった(汗)

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やっぱりライトはむき出しにせんといかんバイ(^^)

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ライトの抉りが小さいので得意のサンダーで

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両側1cmくらい削った

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FBでドカマン議長から
「なんだか間が抜けておる」
と言うご指摘があったので

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これ貼っておきました(^^)
赤タンクのループが良かったかも(^^;;

乗ってみると見た目はイトマキエイぢゃが
空力はあなどれん!

75miles巡航が楽になったとです~(^^)

元来おちょうしものの性癖なので
エンジンOK、空力OKなら走らにゃいけんぢゃろ(^^)

11・9はガンダムを見に100milesほど

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翌日の11.10には高速も走らんとね~

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長~いトンネルの中でメーター読み85miles
出したのはナイショです(^^;;

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奥出雲へ紅葉狩り

帰りは下道をゆっくり帰っていた。
福山東ICのきた40kmほどにある道の駅さんわで
放水後めんたいセブンに跨ると

なんだか焦げ臭い!

やはりくるべきものがきたのでした。

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昨年の10月末 熊本と鹿児島の県境近くの
山江SAで干瓢Ⅱ号が炎上したのと同じく

ダイナム~ンの炎上!

前回は離れていても煙がモクモクでしたが
今回は良く見るとふわ~っと煙が出る程度

しかしながら走行は無理なので
速やかにレッカーの手配をしてコーヒー飲みながら
FBに投稿して時間つぶし

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夕方六時前にはジュニアのガレージへ持ち込めました。

この画像をみてがんばさんから

「レッカーの上に正立するV7が
妙に凛々しくみえるんですが(笑)」

そう言われればそのように見えまする(^^)

翌日ダイナムーンを取り外し
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そんなにダメージは無さそうでしたが、
干瓢Ⅱ号同様、スクランブラーサイクルの
オルタネーターキットを組むことにしました。

スクランブラーサイクルのサイトが更新されて
パスワードもアドレスも受け付けないし
国の選択で日本が無いので苦労しましたが
オーナーのケヴィンとメールのやりとりで
サイトを更新してもらいオーダーできました。

これで壊れるところは出尽くしたはず(^^;;

来年はめんたいセブンで東奔西走ですばい(^^)

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マレリーは、

ポポ ポンコツ~~~!