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T-1コンディショニング院長のブログ

日吉にある鍼灸整体マッサージ治療院 T-1コンディショニング院長のひとりごとブログです。

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秋深し

というよりもう冬ですね。


イチョウが綺麗でした。





バランスを失うまいと

そのバランスにしがみつくことは

バランスをとっているとはいえません。


バランスをとるとは

バランスを失うこと。


バランスを失い

また新たなバランスを手にし

また失う。


その繰り返しがバランスをとることです。


バランスをとろうとすればするほど

バランスはとれないもの。


バランスをとるとは

バランスを失うこと。

なのです。





筋肉の緊張は

その部位が

何らかの主張をしている結果です。


身体は心のあらわれ。

もしかしたら心のどこかに

認めてもらいたい

主張したい何かがあるのかもしれません。


緊張があるからと

頭ごなしにほぐすのではなく

その緊張を見つめ

主張を聞いてあげることが

コリの解消につながるのです。





ドラマ「陸王」の影響で

ランニング足袋が

再び注目されているそうです。


以前も紹介しましたが

私も足袋ランナーの一人です。

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こんなのとか(ランニング足袋『Toe-bi』)

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こんなのを(ランニング足袋『無敵』)

履いて走っています。


裸足ランニングや

裸足感覚シューズ自体は

2009年位から2014年位の間に

日本でもブームになっていました。


ただ現在は

根付いているとはいえない状況です。


理由は

怪我が絶えないから。


そもそも

裸足ランニングが注目された理由は

衝撃吸収機能満載のスニーカーによる

ランニング障害が多発したことが

背景にありました。


ホモ・サピエンスは本来

裸足で走る構造になっていると。


それ自体は間違っていないんですが


じゃあ昨日まで

ハイスペックのスニーカーを履いていた人が

今日から

裸足感覚シューズを履いたからといって

そのランニング障害がなくなるかというと

そんなことは当然ないわけです。


だって今まで

自分がやるべき衝撃吸収の働きを

スニーカー任せで走っていたわけで

いきなり裸足感覚シューズを履いても

今まで眠らせていた衝撃吸収機能が

発動するわけはないのです。


そりゃ怪我しますわな。


じゃあ何故

裸足ランニングとか

裸足感覚シューズがあるのかというと


何からも守られない状態で

自分の身体の使い方に向き合い

動きを改善していくためです。


だけど現代人は

スニーカーに代表されるような

ハイスペックなモノや情報に守られ

生活しています。


そんな環境にいる我々にとって

素の自分と向き合うなんてことは

この上なく面倒臭いんですよね。


私のような変わり者は 笑

その面倒臭さが好きだったりするんですが

そんな物好きはそうそういないわけで。


だから現在は結局

ホカオネオネとか

ナイキのブレーキング2みたいな

衝撃吸収機能満載のスニーカーが

マラソンシューズの

主流になっちゃってるわけです。


履くだけでパフォーマンスアップする

みたいな。


まあこれも結局は

身体がうまく使えないと

履きこなせないはずなんですけどね。


それで怪我をした人が

この陸王ブームでまた

裸足感覚シューズに飛びついている

なんて状況なのかもしれません。


でまた

上記のような理由で

ブームで終わってしまうことでしょう。


だから

結局はモノに答えはないんですよ。

答えは自分の中にしかないのです。


そこがわかってくると

モノや情報に振り回されませんよ。





人が良くなる力は

もともと持ち合わせているもの。


それを促すのも

邪魔するのも

呼吸。





矢島優也選手のバタフライ

すごい。


ゆったり泳ぐのに速いの。

理想的ですよね。


だけど1ストローク中に全水没するのは

泳法違反で

失格になったこともあるとか。

https://m.youtube.com/watch?v=9H6zpBGVQL8



そんなルールあんのね。


でも頑張ってもらいたい。





自分がいるから動きがある

のではなくて

動きがあるから自分がいる。


私の動き

ではなくて

動きが私

ってことみたいです。





人間の動き

というよりも

人間が動きであり


身体の使い方

というよりも

身体自体が身体の使い方


なんてことを感じた。





過去の経験から予測し

準備して

備え

構え


そんなことすればするほど

直感は薄れていくんですよね〜。


ついやっちゃうんだけども。





痛みも違和感も病も

本来は流れているもの。


それにわざわざ執着するから

そこに留まる。


流す。

息で。