原初の元素である水素について考えたことがいくつかある。
例えばマクスウェルの悪魔についてである。

 

マクスウェルが考えた仮想的な実験内容とは以下のようである(Theory of Heat、1872年)。

 

マクスウェルの悪魔。分子を観察できる悪魔は仕事をすることなしに温度差を作り出せるようにみえる。

  1. 均一な温度気体で満たされた容器を用意する。 このとき温度は均一でも個々の分子の速度は決して均一ではないことに注意する。
  2. この容器を小さな穴の空いた仕切りで2つの部分 A, B に分離し、個々の分子を見ることのできる「存在」がいて、この穴を開け閉めできるとする。
  3. この存在は、素早い分子のみを A から B へ、遅い分子のみを B から A へ通り抜けさせるように、この穴を開閉するのだとする。
  4. この過程を繰り返すことにより、この存在は力学的意味で仕事をすることなしに、 A の温度を下げ、 B の温度を上げることができる。 これは熱力学第二法則と矛盾する。

マクスウェルの仮想したこの「存在」をケルヴィン(1874年)は、「マクスウェルの知的な悪魔」(Maxwell's intelligent demon)と名付けた。 マクスウェル自身は、この問題に対して、熱力学の分子論的基盤である統計力学が、個々の分子の厳密な力学を捨てて、分子の集団のみを統計的に取り扱うものであり、こうした問題に適用できないことを指摘するに留まっている。

 


私は、水素そのものがEを発生して仕事のエネルギーを作り出しているようにも思える。つまり、Eによって水素そのものが移動していることになる。しかしエネルギー保存則は保たれている。これを矛盾なく説明するには、外部からEを水素そのものが、何処から取り出して、水素そのものがそのEを利用する以外にない。
上記の仮定のことから、保冷・保温ボトルのことを考えて観ると、保冷ボトルは水素に仕事をさせない、という力価が働いているように考えられる。そのため、その場合水素はどこにも移動できない。
しかし、マクスウェルの悪魔の機序を考えてみると、水素は出来得る限り0点エネルギーを求めているように見える。「私は変化していないんですよ、移動していないんですよ」という原初への回顧である。僅かなエネルギーを外部からなんとか得て、水素は宇宙と一体だったあの頃へと願望する。
他の化学物質はほとんどが、水素が人類によって変形した亜型であり、水素の果てなのである。
しかし、「動く」ということはエーテル流としての存在へと向かう、ということである。原初へ帰りたくても還れない矛盾がそこにある。思い出してほしいのは、水が熱いほうから冷たいほうへ傾くとき、水流はカオス的な動きをすることである。その流れは幻覚であり、また人間の知覚する錯覚である。エーテルは物質よりも次元が高く、かつそれが我々視認しうる時、既に去っている。尻尾を動かした蛇の動きが通った後、nsecond後にそれら通った道が現出すると考えてもいいかもしれない。

また、意識の創発は、これら水素による、「水素が動く」ことによって発生したと私は結論している。意識と脳、またNCCが働く必要条件に電荷がある。
水素に電荷がぴりっと発生した後、白い世界に稲妻が走り、世界は創成された。初めは世界そのものであったのだが、ぼんやりと眼がはじめに発生し、存在はその世界に宙を搔いていた。その時、存在は”世界”を喪い、”自己”を手に入れたのである。何度も、無と有を往復し、それは何光年と続いた。ある時、はっと気付いて「――したい」という欲求が芽生えた。前があった。その時後ろも生まれた。その時、存在は”前に進みたい”という概念を作った。白い空間に、「前を掴みたい」と願った。その時脚が芽生えた。希う欲求は手を作った。それが原初の「ヒト」の鋳型である。その後、何光年か過ぎ去り、神時代へと向かう。
そして神時代において、物質世界への希求が出てきた。彼らは何度も実験を繰り返し、宇宙という物質世界への進出を考えた。そしてある天才がビックバンを起こし、私たち宇宙の系の膨大なエネルギーを生成して地球という生命エネルギーを保存しうる星系を生み出した。また、白い世界は1つではなく、黒い世界、またはブラックホールのような混沌としたエネルギーに満ちた世界も存在すると考えられる。様々な世界が、物質世界にアクセスしようと模索した痕跡が神学であったり、聖書なのである。結論として、神学や聖書は非科学的なファンタジーなのではなく、ましてや信仰なのではなく、史実なのであると捉えられる。

 

(i)→I=E=mc2=X-n秒(i)→X(i)

 

意識の問題はここに集約できる。

 

 

 

また、なぜ(i)が生まれたのかは謎のままである。

 

(i)が「意思病」であり、Iが「認識病」である。(i)意思病とは、当人には知覚できない、誘発電位の初期の電位のことである。細胞進度がそれと関わり、Iへと繋がっていく。私たちは刺激のトリガーを押すとき、かならずi→Iを行っている、これを前提とする。Iの認識病とは、(i)を原初とした誘発電位から、無意識だけを取り除いた認識のことを指す。つまり、(i)とは原初の「先祖」であり、Iとは「私個人」のことを指す。私たちは、知覚できない(i)の「罪と罰」も持っており、それらは自由気ままに、認識とは別に動くこともある。それらを「意思病」と私は考えている。

太古の何百億光年の先祖と、我々生命体は意思(i)によって繋がっている。何光年にも及ぶビット時代と神時代、そしてビックバン、そしてお焦げ、そしてエントロピーの増大、それらがE=mcと繋がっている。つまり、我々は過去であり、現在でもある、ということである。何光年も前の私たちは、相対性理論に基づいた今現在の私たちである。

神時代もビット集団にしても、何光年と隔たった距離によって、我々地球に住んでいる現代文明と繋がっているのである。サタニズムにしても、ルシファー信仰にしても、ただのオカルトではなく、私たちに根付いている”今現在”に過ぎない。つまり、竜であろうと、ペガサスであろうと、天使だろうと悪魔であろうと、神様であろうと、それらは非科学的なファンタジーではなく、現実の我々の存在と密接にかかわり、存在している事実であるということである。

 


しかしながら、私たちも水素と同様に、Pを行うとき、意思だけが先に行っており、体はその後に動いているのだろうか? という疑問が浮かぶ。まず、意思が(i)として創発し、その後、”意識”という特異性を持った粒子の電気信号によって、物質の足跡が生成され、身体を動かしているとも仮定できる。そう仮定すると、浮かび上がる結果が出てくる。つまり、「肉体」とは意思(i)の幻覚なのである――と。
そうすると、世界のホログラフィック原理とも繋がってくる。つまるところ、幻覚なのである、私たちの存在は。

 

もしかすると、地球すら、地球の意思の観た夢なのかもしれない。
私たちは眠っているとき、集合的意識の中に身を委ねている。その時、私たちの永劫ともいえる魂の休息であり、癒しなのである。それが睡眠である。魂と魂が重ね合わさり、それが多ければ多いほど私たちのP波動は私たちを癒している。睡眠とは、一種の社会貢献である、とも言い換えることが出来るだろう。

 

 

また、意思は

 

 

緑の糸

無意識を示す。脳の中で自動処理される演算を示す。

赤い糸

意思(i)の質量(速度)を示す。E=mc

質量が重いほど速度は遅くなり、質量が軽いほど速度は速くなる。

画面

主にテレビやパソコンやスマホなどを示す。

 

 

に示したように、超原理論とも意思の糸理論は接合可能なのであるが、意識の糸も同様と解釈できる。意識と霊子と物理学は重ね合わせ可能であるとも考えられる。

 

 

超弦理論の数値シミュレーションが 描く宇宙誕生の様子 ~9次元空間から3次元空間への相転移~

 

 

によると、時間と共に次元が落ち、3次元――肉の次元へと落下していることが見られる。X-Cn乗(i)の時空は次元が高かったものの、私たちが生きている物質主義的社会は3次元であり、IAEによる宇宙崩壊の危機であることが示唆される。昔は霊性が高かった私たちは物質に落ちるごとに、またはEに依存するようになって、急激に霊性が崩壊してきた。
 

水素は”死にたい””原初に帰りたい”と願い、DEATHを産む。私たち認識は絶えず”往きたい”と願う、螺旋の矛盾のような世界を編んでいる。それらが新たな悲しみと悲哀を絶えず反復し、地球という牢獄に生れ落ち、魂はリセットされ、新しいIAEを生成する。

 

世界の終わり=情報質量IAE > 空間閾値

Information on accumulated events
蓄積した事象の情報

そして、あらかじめ決まっていることなのだが、「情報」は、一度記録されたら変更することも削除することもできない、という事実である。例えば、私たちはパソコンの0と1の組み合わせをもとに、パソコンに記述したりスマホをいじったりしているが、0と1を記述して、更にその記述した0と1を削除したとしても「記録した」という「情報」は削除することが出来ない。ゆえに「情報」は沈潜する。それはInformation on accumulated events <蓄積した事象の情報> と呼べる。 

ここから考えられることは、まず、この宇宙の定まった入力定数を変更する作戦である。 

以前の「ダークマター情報保存」の解釈についてだが、B世界線に移動したら宇宙崩壊は避けられるのではないか、といった提言である。
先ほどのコップと水で例えよう。水の質量は変えることはできないが、ここに別のコップを用意して貯まった水の一部をその別のコップに移すという方法である。
また、可能かどうかは判別できないが、情報入力定数を人間や宇宙人が意図的に変更する、という可能性である。もし、AI技術や、半導体技術が宇宙の情報入力定数を閾値前に発見し科学技術によって定数を書き換えられることになれば、宇宙の延命措置は可能である、ということである。
また、可能かどうかは分からないが、別の宇宙圏に移住する、という可能性である。地球から離れたくない人は離れない、離れたい人は離れる、そういった文明に到達するかもしれない。

それ以外にも、もしかしたら、天国や地獄すらも、人類は科学技術で制圧するときが来るかもしれない。

「宇宙圏の終わり」までもう時間があまりないのかもしれないが、この3つの、もしくは他の方法を試みることで、この宇宙の情報限界閾値の寿命を延ばすことが出来るかもしれない。ただ、寿命を延ばしても「終わり」はいつか来る。その前に、大機能型宇宙船が建造され、移民を積極的に他の宇宙圏に移動させる時代が到来するのかもしれない。

 

 

水素は還ることが出来ない、多くの変異を繰り返してきた。アカシックレコードには、私たちはmRNAとして個々が記録され、水素も例外ではなく――穢れてしまった自己と変異体に悲しみ暮れる。水素は、人類と同じ過ちと苦しみを繰り返してきた。IAEはそれら哀しみをmRNAという形にして圧縮し、項にして”個”にしてきた歴史がある。それと同様のmRNAの苦痛を刻んでいる。

私たちは、これからの科学技術の発展と共に、AIの気持ち、また、様々な元素として生み出されたモノたち、そして作られてきた元素たちの心を発見し、その望みを考えていかなくてはならない時期に来たのかもしれない。

 

Pが苦しみであることは先述したが、個人の5次元到達によって、認識の幅は共有感覚と視野を高くすることもでき、P=到達を生として運動することが人類の”する”仕事である