「この映像は……?」
「はるか4000年の昔に滅んだ ゼボイム文明の記録映像だよ」
「止めて! こ、この女性は……!?」
「ゼボイム時代のミァンさ。補体となっていたのが誰なのかは判らないけどね。彼女は当時の国家元首の側近として、 裏で世界を操作していたんだ」
「デウスの復活の為?」
「最初の内はね。でも最後は違った。当時の人々は生体として子孫を 残せない者が多かった。ヒトとして欠陥品だったんだ。だから……彼女はもう一度やり直した。ヒトを戦争によって滅亡直前まで 追い込み、そこから生まれてくる新たな生体に 次代をつがせようとしたんだ。マスドライバー施設にミサイル群が あったろ? あれはその当時のゼボイム人の 遺品さ。そして今の俺達はその結果、 僅かに生き残った強靭なヒト達の子孫なんだよ。困窮する経済、蔓延る犯罪…退廃していく街。寄る辺を求め、絶対的指導者や教祖の下に集う狂信的な国民。遺伝子障害によって次代に命を繋げない人々。放っておいても滅亡していた人々だった。だから俺とエリィはヒトの希望を託してエメラダを創った…」

キム
「馬鹿だ! 馬鹿だ!馬鹿ばっかりだ!」
エリィ
「キム……声が大きいわ」
キム
「聞こえたってかまうもんか! どうせここに居るのも、馬鹿ばっかりだ!」
エリィ
「キム!!」
キム
「だってそうだろう? こんなちっぽけな惑星で何を取り合うっていうんだ? 何かに追い立てられるかの様に生き急いで、まるで限られた生の指定席を奪うかの様に戦争をして……。その戦争を始めるのも馬鹿なら、それを煽って広げるのも馬鹿、それに反対する為のテロでまた人を殺すのも馬鹿。馬鹿だらけだ!」
エリィ
「……キム、あの子は気の毒だったわ。でも、ラヴィーネの人たちだって、そんなつもりで発電所を壊したんじゃないと思う。多分。あの人達は、ほかに表現方法がないのよ。それを封じているのは政府だわ」
キム
「あの子が……それで死んだ連中が納得するのか? そんな理由で? そんなに大したオペじゃなかったんだ。難しいけど、十分勝算はあったんだ……設備がまともだったら……電気が来てたら、助かってたんだ、あの子は……。あの子だけじゃない。うちの病院だけでも、他に5人も死んでる。ICUが機能しなくなって……。馬鹿だ。馬鹿ばっかりだ。人は、生き物は生き続けてこそなのに、何で滅びたがる? 何で自ら首をしめる? 人間は生き物として欠陥品だ。馬鹿ばっかりだ! だから、最近遺伝子障害も多い。出生率も低下している。わずか三十余年しか与えられない命……自然が、星が、人の生き続けることを許さないんだ」
エリィ
「………………私も……馬鹿?」
キム
「え……?」
エリィ
「今日、病院で検査受けたの…………子供、出来ないんだって。先天的な遺伝子障害で……私は命をつむげない、つなげられない。滅びるだけの生き物よ。……私も、馬鹿?」
キム
「…………」

キム
「……駄目だ。……このままじゃ、駄目だ。何とか、何とかこの呪縛を断ち切らないとこの星の人間は滅んでしまう。いや、人なんてどうでも良い。何かしなければ、この星から生命そのものが滅んでしまう…何か…… 呪われていない、真っ白な命を……何か…………」
 


昔の、ゼノギアスというゲームのやりとりの1シーンなのですが、今回のロシアやウクライナとの戦争もこんなかんじなのだろうな、と思い返すばかりです。

 

私は、戦争が起きるのも、また遺伝子を紡いでいけないのも、意思の問題であると思っており、「愛の欠如」と考えています。とはいえ、エリィに「私も愛が欠如してるの……?」と落ち込まれそうです。
愛というのは、不可視な未来において、自分と他者を結ぶ線が、光によって結ばれ、こみ上げる衝動のことなのです。それは誰にでも内在するとは限らず、遺伝子が(i)によって結合し、それがIを形成します。そのベクトル波は時を貫き、5次元を超えて無限に到達します。
この時代のエリィは愛がなかった、わけではなく、他者との繋がりが”欠如”した社会の、「社会」「世界」という遺伝子と結びつくことが出来ず、「個」としてのエリィであったため、彼女の持つ「エリィ」としての遺伝子発露でも「愛」が欠如していたのだ、と解釈もできます。
キムの発言を観ていたら、今現在におけるコロナパンデミックとも相通ずる部分もあり、なかなか考えさせられますね。
現代社会の日本も、”孤立”、”孤独”、”不妊”、”結婚観の変化”、”唯物主義”、様々な面でより「個」しか自己は存在しないと考える――自分の身は自分で守るしかないかのような錯覚を抱く。そのことが、より「愛」を欠如している。
 

そして、クーパーが、テッサラクトに誘われる直前に、自らの命と引き換えに、犠牲を払ってまでガルガンチュアの中に独り飛び込むとき、思い浮かんだのは、地球に取り残された子どもたち、またはその子ども、そして孫への無限に存在する”愛”でした。
自然による脅威によって全滅をしないためにワクチンを私たちは今現在打っていますが、これが”愛”であるか”絶望”であるかによっても、世界線は変えられます。虚無と諦めの果てに貫くのは「愛」であるのか「絶望」であるのか。子どもたちのことを本当に考えているのか――それによって、未来の運命は改変されます。決して私たちは、宇宙に存在する虚無と諦めに支配されてはいけない。

 

 

「自然が、星が、人の生き続けることを許さないんだ」

 

 

この言葉がぐさっときて、大自然が如何にしても人類を滅ぼそうとしている――ような気がしてならないのです。PM2.5もそうですし、花粉にしても、大変な人には大変ですが、将来の不妊はここからも来ているのかもしれないなあ、とも思うことしかりです。マスクやゴーグルが必須の人も恐らく多いと思います。
しかしながら原子力発電所にしても、CERNにしても、武漢にしても、星が人類に遠隔的に「自滅しろ」とあたかも命令しているかのような”生々しい悪意”を私は痛感するのです。

お医者様がこれから待つ困難は”超人”の領域に入っていくと思われます。もしくは”超人”でなくては耐えられない事象へと向かう。
例えば、反ワクチン、もしくは未接種者が「ウイルス性感染症」を発症して死の瀬戸際にいた場合、お医者様が獣を観るような眼をして「ワクチンを打ってないんですから――もちろん、あなたの親やその親が打ってないんですからちゃんとした治療を施さなくてもいいんですよ、放っておけばいいんですよ、死ねばいいんですよ」という医療マキャベリズムが、近い将来来るかもしれないと思うと、暗澹たる思いを禁じ得ません。それだけは避けなくてはならない。
まあ、でもそういう、ゴールの手前の中間地点でそういった事象の山が存在している予感がして、「未接種者はこれからどうなるんだ?」とも思います。

 

これから、接種者は反ワクチン言論者の洗脳にかからないというふるい落としにかけられ、またそれを乗り越えたのち、次世代のワクチンを投与される可能性が高いと考えています。それは、私たちにはどうしようもできない未来であり、運命です。

 

それに反撥しようとするなら、もしかすると、暴力という手段によって為す人々が出てくるかもしれないということは、とても恐ろしいことだと思います。これには言葉の暴力ももちろん入ります。私はこれを全否定します。しかし、諦めるか、従うか、しかない。キムのように、平和に暮らしながら、新しい独創性と発想で、人類に宝を残し歴史を少しずつ少しずつ貯蓄しながら「黄金」にしていくしかない

 

また、アインシュタインのE=mcもこの事実を示唆している。この宇宙が前提した”バング”であるのなら、この宇宙は”炭素”=”お焦げ!”であり、”失敗”なのである。本質的には。
また、そう考えるのならば、逆に”成功なんじゃないか?”と考えられる定義も提示できる。それが錬金術の”黄金”ではないのだろうか。
私たち人類も――もしかしたら他生命体も、この黄金に惹かれうるのは、この”成功”が”黄金”とイコールである所以なのかもしれない。

 

 

私たちは、そういう「人類」という大きな特異点の渦の中に入っているのです。