SARS2はこのmRNA製剤において鎮静化しました。けれども、ウイルスは地球上、自然界に当然のように、空気として存在しています。接触感染であろうと、性感染であろうと、空気感染であろうと、です。これからも、接種者の人体は24時間、病と闘い続けると仮定できます。これを許容、看過しますか、それともしませんか、という岐路に私たちは立たされています。また、闘うか否かの選択を1人1人が選んで答えを導いていくしかない世界になっています。 

 

 

もちろん、この”チェルノブイリ級のウイルス”を考慮した場合のベネフィットである。先述したリスクを、もし考慮に入れたら違った答えを出す人もいるだろう。

 

もしそれでも、「ベネフィットが上回るのだ」という指導者の聲、「ワクチンを受けなさい」という声が
「ウイルスで死ぬより、ワクチンで運命を奪われないまま死んだほうがましだ」
という声として、各国指導者の心中の聲に、私には聞こえるのである。

 

 

今回のmRNAワクチンは、”安らかに死ぬための薬剤”であったと私は考えており、おそらくこの修飾mRNA剤は、ロスチャイルド氏も打ったのだろうな、という印象を持ちました。それでもロスチャイルド氏は57歳という若さで心臓発作でお亡くなりになるなどの不幸な死を遂げていますが、おそらく天国へは行けたのだろうなと思います。そしてこれは、”安らかに死ぬための薬剤”であって、”健康に生きるための薬剤”ではなく、本来の用途としては違っているのではないかと思うのですが、もし、この事態が”安らかに死ぬための薬剤”が必要な事象であったとするなら、私たちはこの薬剤とSARS2の両者の組み合わせがなぜセットになっているのか、を考えなくてはならないのだと思います。

 

 

人類の中にある「人体」と「魂」は別の次元にある。
ウイルスはその中で、人体と共生と喧伝しながら、人体を騙し、魂を裏切らせ続けてきた。魂は死ぬときにおぼれ死ぬような苦しみを味わい、裏切りの肺と戦ってきた。ウイルスは人間の魂を悪魔にし、絶滅しても死ねない存在にまで追いやられた。それはウイルスの、魂の苦しみが理解できないといった知覚障害なのである。

 

 
パラサイト・イブという話を知っているだろうか。瀬名秀明氏の小説である。

 

 

もしかしたら、この作品のように、イヴの叛乱が存在している、もしくはこれから起こるのかもしれない。もしくは、もう起こっていて、事後を私たちはP運動として知覚しているだけなのかもしれない。P運動はP1からPnに繋がる運動の連鎖であり、または細胞の共振である。仮説に過ぎないが、ミトコンドリアは人類に”時間”を24時間与えている可能性を提議できる。仮に人体nが60兆個の細胞を持っていたとしよう。そしてCの速度で60兆個を点と線でつなぐ。その結果が24時間である。人によっては1時間かもしれない、また、地獄のような50時間であるかもしれない。それは、その人の認識病の傾向による。私たちはよく「年を取ったら時間が流れるのが速い」というが、私はまだその境地に立てない。いまだに自閉症の24時間である。

 

その24時間を――地獄のような煮えたぎる苦痛を、もし、変えられるとしたらどうだろう。
 
カレン・キングストンさんのファイザー内部情報によると、死を跨いだトランスヒューマン実験である、ということらしい。私自身もそのような結論に達している。けれども、それは0.000001%の確率だと考えている。ほとんどの人は薬理効果により99%死滅してしまう。
 

”打たせるため”にはどんな手段も使う、という上層部のお気持ちだったのかもしれませんが、このお薬であるmRNA製剤自体が、薬理効果として”死”の機序が強力にあるのかもしれない、と思い至った次第です。つまり”100%”死ぬ、という意味でです。
薬というのは、”体質によって違う””プラセボがある”わけにはいかないんですよね。サプリは食品であるので、この”体質によって違う””プラセボがある”でも売れるわけです。薬だとそうもいかない。必ず99%命中しなくてはいけない。それが薬理効果だと考えられます。例えば、痛み止めを飲んだ時「効果がなかった」人というのはほとんどいなくて99%の人が必ず「効く」わけです。

 

それがもし”死ぬ”だったとしたら「99%死ぬ」という意味と直結してしまう

 

もしそうだとしたら、神に祈って、1%の人でも助かってほしいと願うばかりです。いや、もちろん私も5回打ってるんですが、覚悟はできていますが死ぬのは怖いです。1%で生き残って、「効果がなかったよ~」とジョークで笑ってみんなと手を取り抱き合いたい。しかし、tによる死の機序は、おそらくこれからが山場です。100万人が山場か、500万が山場か。

 

 
しかし、0.000001%の確率で実現”してしまった”ら、私たちはウイルスとミトコンドリアを超越した人類へと進化していくのかもしれない。その時は、ワクチン忌避をしていた方や反ワクチンの方たちもその恩恵にいつかは”預かれるときが来る”だろう。ただし、闘わずして得られたメリットに侮蔑してしまう上層部の気持ちが発生しないとは云えないのである。それは、子どもも大人も同じであると覚悟しておかなくてはならない。
 
私たちは、変遷してしまった世界に対して、若者に果たして「最期まで闘え」と胸を張って云えるだろうか?

 

最後の時にキスをし、お互いを温め合うといったヒトとしての尊厳を、ワクチンとして選択したのだろうと。

 

若者は、この先の未来をどうか見守ってほしい――これから、もしかしたらこの状況が好転する日が来るかもしれない。その奇跡を信じて1日1日を生きていこう。