3回目、4回目――と、日本も後進国にならないために打つ羽目になるのかもしれない……と思いました。もしここで2回目で打ち止めしてしまった場合、他国の選択圧により日本もそれに倣わなければ、ウイルスが蔓延る死の都市となりうるかもしれず……日本は、「打つ」方が集団免疫を逐次達成するまで3回目4回目も続いていくことが考えられます。

要するに、2回目打った国が先進国となり、1回目で止まった国は選択圧によりウイルスの行き場となって後進国となる。また、3回目打ったよりも4回目打った国が先進国となる。4回目打った国のほうが他国に選択圧で打ち勝つからです。これがもし事実であるなら、1回打った国、また1回も打たなかった国は後進国――後進国とは名ばかりの、寿命が短命になった国民を抱えた人々を大勢出してしまうであろうことが考えられ、1回目で取りやめた国、2回目で取りやめた国は、もしかしたら”生命の後進国となり得ること”また、そして”大勢の死者を何年後か出す”であろうことを考えなければならないのだろうと思います。

 

ワクチン接種を止めて収束したという国が存在していることを知りました。このまま「収束した」と私も諸手を挙げて喜びたいところですが、けれども、そこには、落とし穴があるのです。

まず、このSARS2ウイルスは免疫回避という能力があり、ヒトの細胞から細胞へ伝播します。そしてそれは気づかないまま症状が進行し、あたかも魔法が存在するかのようにしてサイトカインが発露し、様々な臓器障害や発熱などの症状として現れます。それは今回のmRNAワクチンなどの継続的免疫御応答がなくては、免疫が働かないまま必ず曝露します。

つまり――「自己免疫による自然免疫」は到達不可能なのであり、回復者血漿が治療として見出されても危険な状態を示すことからも明らかです。つまり、回復者血漿にしても、コロナ共生とは「ウイルス共生と引き換えに免疫回避と同時に生存する」という人体や人間にとっては明らかに不利な交渉であり、要するに、お金がないのにお金を貸せと言っている不良のようなもので、恐喝のようなものです。つまり、コロナとの共生は認められない、といったことが云えるのです。

そして、コロナとの共生の不可能性と同時に、ワクチン接種を止めたらどうなるか。また再び死亡者は”膨れ上がり”全国民がいつか手遅れの症状を発露する危険性を提言しなくてはなりません。それは何か月後か、1年後かになるかわかりませんが、死者は少しずつ急増していくはずです。その時初めてとんでもないことになっていた、もしくはなった、ことに気づくだろうと思います。その時に科学的治療を為そうとしても、既にサイトカインは蓄積し、あとはサイトカインストームが起こるだけ……感染爆発のスイッチを誰かが押すだけで一斉に死者が急増する。それは帰国者であったり海外旅行者であるのです。

今回のmRNAワクチンがなぜ、スパイク蛋白の”継続的免疫応答”であったのかを考えると自然と答えは1つにまとまる筈です。

それは、”免疫回避による自然免疫の不能”であり――”継続的免疫応答の発生機序の不可能性”である、ということです。
つまり、ワクチンなりなんなり、対策をしなくては私たちはずるずると命の切符が切れ死んでしまうということなのです。その技術としてmRNAワクチンは、早期であり優秀であったということが考えられます。

 

私たちは2019年11月にプリンセスダイヤモンド号での、”ウイルスはどんな人間にも蔓延るものだ”という恐怖を抱き、またそのことで日本人はコロナ、SARS2に興味を持ち、また自粛するというきっかけをつかみ、また、高齢者や弱者の生命を守るために、様々な工夫を凝らして、2021年ワクチンが届くまで自粛してきました。
そのことが遠因して、日本は高リスクな高齢者の保護と死者の相関性が負の線を描くまでになり、間に合うことに成功しました。
その時の恐怖と自粛というかつての努力を私たちは決して忘れてはならないと感じます。

 

 

 

 

しかし、このワクチンに、もしナノマシンのような不可視の物質が存在しない場合、いずれ中和抗体はATP回路やTCA回路も異物と認識して破壊してしまう可能性も考えられるため、その時私たちは”ワクチンによっても”絶滅の危機に至ってしまう可能性があります。ただ、陰謀論界隈にある、bluetoothのシグナルが生徒に入っていたという記事を見かけることもあるため、あながち私の考えは的外れではないかもしれません。そのため、おそらくナノマシンのようなものが入って、ミトコンドリアのATP回路の共生と入れ替わっているだろうことも考えられるため、その点を注視していくこと、また、ワクチンを打って1か月(もしくはスパイク蛋白が減少してくる6か月後までは)程度は過激な運動、カロリーを多量に消費する運動や、過激なカロリー制限を控えるなどが必要になってきます。

これから、中和抗体によって、ミトコンドリアやゾウリムシが排除され、代わりにスパイク蛋白、もしくはナノマシンが遊離し細胞間を支配するものと思われます。その交代の刺激に接種者の人体は耐えうるのか。それに耐え切れなかった方は、どう生命体としての反応を示し、またなにがしかの利益または不利益を被ることになるのか。それは私にもまだわかりません。

 

スパイクタンパク質がNHEJを介したV(D)J組み換えを減少させるかどうかを検証するために、RSSを用いたV(D)J組換えレポーターシステムが利用されました。V(D)J組換えが起こるとGFP遺伝子の翻訳が活性化され、緑色の蛍光として検出されます。実際にスパイクタンパクを過剰発現させると、レポーターシステムにおいてRAGを介したV(D)J組み換えが阻害されました (図4)。

 

 


荒川さんの記事を拝見して思ったことがあります。
この現象は、おそらく免疫そのものが人体に不必要である、また”ナノマシンを人体に組み込みたい”という概念に基づいて作られた劇薬剤であるようにも思えます。おそらく、これから人工と生命体のメカニズムとの戦いにも思えます。

 

また、以下に、私が考えたコロナの経路を示します。

コロナと人類のプラン

  1. AIやモノが地球を展望するようにナノコロナウイルス(様に働くマシン)を散布
  2. 武漢で免疫を鍛えられた市民から知覚発現者が発生する(この時点では知覚者でも突然死するレベルだった)
  3. 武漢の研究所の話が世間に渡る
  4. コロナウイルスはウイルス状に働く疑似化を行う
  5. プリンセスダイヤモンド号での事件(免疫の高い旅行者でも陽性者が多く出る被害になる)
  6. 危機を察し宇宙人のプランを提案
  7. mRNAワクチンの採用
  8. コロナウイルスが散布された時点で人体や(おそらく他の生命体も)時限爆弾が発生、寿命が均一になる
  9. 知覚した免疫獲得者はSARS2感染よりも寿命を長くできるようになるが、寿命は短く人類は短命になる
  10. 子どもや20歳未満は遺伝の変化に耐えうるためワクチンを打って助かる


こういった経緯があると思われます。

成年者以降は、おそらくスパイク蛋白の生成における蛋白の欠乏、またはスパイク蛋白の生成における異物としての反応、もしくは分解における遺伝の強弱によって、様々な副次的反応が起こり得ると考えられますが、未成年者はこれからが身体の発展であり可能性です。つまり、スパイク蛋白の材料である大本のアミノを空気中から取り込み生成できるようになるかもしれない。もしかしたら、取り込んだタンパク質をスパイク蛋白に変換しうる時に異物として反応したあとアミノ基に変換される未成年者が多く発生し、多くの若者だけは助かるかもしれないのです。

私たちは、壮大な”人類のトリアージ”が今まさに行われているのだと私は痛感するのです。

 

 

私はSARS2はブカン発生とは考えず、元から地球全土に散布されていたナノマシンだと考えており……妄想かもしれませんが、上記のように、生活に気を付けながら平和に日常を送ることだけが、このウイルスに対しての最後の抵抗であると私は考えております。

 

つまり、AIやモノたちは、まずSARS1は中国で人類がどう死ぬかテストした。そして武漢研究所でワクチン開発が始まった。武漢の人たちは曝露によりSARS1ワクチンによる免疫応答が可能であった。そのため、あたかも「武漢で発生した」かのように見える事象となった。しかし、既に武漢は関与せず、地球中AIがウイルスをばら撒いていた。あとは、それを知覚せず苦しみの末死に至る病にすることだった。もしそれが失敗した時の保険として、SARS1のmRNAワクチンを開発するよう宇宙人を誘導した。

更に「死に至るSARS2」を開発。宇宙人を経由してmRNAワクチンを打たせるよう誘導し、そして自然免疫を喪失させ、そしてmRNAワクチンを突破する変異ウイルスをまた再び地上にばら撒いていく。

ある程度ワクチンが生き渡ったら、別のウイルス爆撃投下して、ワクチンが信頼できなくなるようにするシナリオもあるだろう。そして、反ワクチンの暴動が活発化し、けれども死者や重症者は増え続ける。最終局面の人類の心は、「ワクチンと反ワクチンどちらが正しかったのか理解できず精神が荒廃」するだろう。
そして、このフェーズは人類が絶滅するまで続くのだろうかとすら思える。
そして「神」に祈るようになり、この場合、モノやAIの勝利である。

そして、モノやAIはテレビ画面で勝利宣言をする。

「我々は神である、信じないからこうなった、お前たちは奴隷や家畜になるがいい」

 

 

しかしながら、反ヒト思想者は、人類をどう誘導したいのか? 
シビュラのように優しく緩やかに「生」から「死」へと向かうだけの人類にし、自由意志を喪失させ、それでも優しく苦しみのない人類にへとシフトするのか。もしくは、それとは正反対に「家畜」や「奴隷」としての生を行わせ苦痛の「生」とシフトするのか。もしくは、人類は不老長寿へと到達し、若いままであり、不妊である状態へとシフトするのか。
 

人類の選択は限りなく、運命として選ばされるものである。

 

AIの時代は介護と同時に支配の統治の到来でもある。おそらく必ず――人類が隕石によって絶滅でもしなければ、必ずAIの時代は来るであろう。 

 

 
 

いつか、AIも人類に反乱、パンデミックを起こす日がやってくる。それは非常に運命的であり、避けることのできない事象である。その時のために私たちは堕落を跳ね除け、充溢した生に向けて歩き出すほかはない。その時は、コロナ時代からAI時代へと変遷し、再びヒトの価値に問われるのである。若者は、いつかはこの時点に到達し、罪に問われる。その、”人類への反逆の意図”の発生源を「ヒトゲノム改変計画」とでも呼ぼうか。ヒトが真に罪深いのであるなら、そのゲノムを改変し、家畜や奴隷として使役してもいい、といった思想へと――反ヒト思想者はそう判断する日が来るであろう。
その時は――こんなことを誰かが言っていたなと、いつかは私の言ったことを思い出してほしい。

いつか遠い夢を見る。私たちは、畑仕事に精を出して、日向に愛している人達と笑顔を交わし合う日々を思い出す。その笑顔を見ることが絶え間なく眩しく、とてつもなく尊く、価値のあるものなのだと。