今は、日本では「発達障碍者」という、心も身体もどこへも行く場所がないにも関わらず、福祉から切り捨てられ、政府の認識や対応の遅さから、苦しんでいる人たちばかりになっている。健康に働くこともできず、ただ死ぬか、死を待つか、家がある方は引きこもり、生をつなぐしかない現状である。
私は、政府に「発達障害年金」を提示する。

 

現代の資本主義社会では、発達障害が増えている現在、もう限界を迎えている気がします。
マルクスの考えはあらかじめ「人間は働くのが好きであり、そしてそれが自己肯定感であり、充溢しており、健康である」ことがまず大前提で語られているからです。その思想とは逆に、発達障碍者は、この「人間は働くのが好きであり、そしてそれが自己肯定感であり、充溢しており、健康である」社会では、「人間は働くのが辛く、それが自己肯定感を阻害し何かが常に欠損しており、健康ではない」ということが、発達障碍、今現代を読み解くと、それら事実が誤謬として浮き上がり見えてくるのです。
つまり、「労働」とは「生の志向性」であると考えられます。「生の志向性」はニューロンの発達段階で決定しており、そしてそのニューロンは「生」を分泌する。そのことで畑を耕したり通勤で歩いたり、議事をしたり、老齢の方の介助をしたり、カウンセラーはコミュニケーションをとったり、とにかく「外的」に意思が働くのです。それが「生の志向性分泌」と捉えられます。そして「生」の充溢を感じたその者は新たな「生」をまた作りだします。そのため、「生」が負に傾くことはほとんどない、どんどん「生の志向性」を産む しかし、発達障害の方はこの「生の志向性」が「人間は働くのが辛く、それが自己肯定感を阻害し何かが常に欠損しており、健康ではない」により欠けている――ととらえられるのです。
資本主義の幻想が破壊されたとき、まず、中級層(高齢者層を含む)が犯罪のターゲットとして狙われるでしょう。それは発達障害によるものでもあるし、また非行によるものでもある可能性があります。そのことで治安が急激に低下。平時で働くことの意義を振り返り、新しい概念による生き方を提示。それは「少しのお金で寄り添い合う」概念にシフト。経済をできる限り回さない方策に転換。物品の調達や食料は徐々に海外企業に任せ、安価な輸入品ばかりになるでしょう。日本産は珍しくなり日本産の物品の価値が高騰化。日本の文化や伝統の喪失。こういったことが、おそらく、云えるのです。
その原因は、発達障碍者の「働くことができない」、「生の志向の不分泌」といった事実に基づくのです。
私たちは、「私たちは健全で健康である」という、誤った信念をもう一度振り返る必要性に今問われているのです。

 

 

 

彼らの心の数字は子供の数字と一緒であり、お年玉1万円で喜ぶ方ばかりである。そして、昔、お年玉というような「誰かからプレゼント」されたことがない子たちばかりであり、少しの金銭で満たされる。そのくらい、定型発達者とのお金との感覚が「圧倒的に」ずれているのだ。
また、成長とともに鬱病や統合失調症を併発する可能性が高い。心身のために抗精神病薬も併用すべきだと考える。

 

日本に限らず――諸外国も同様に、発達障害はどの国家も問題を抱えており、難問でもあるように思える。しかしながら、発達障害のことを差別的に見ていても、仮に、彼らが過ちを犯していたとしても、彼らと定型発達を包括し国家の1定義問題としてとらえない限りは、日本の定型発達の不完全を問うているものと考えられる。またそれは、ひいては国家の不完全性にもつながる。
また、成人後は義務教育は終わるが、人生はまだ二十歳後も続く。彼らはそこでやはり就労についていけず躓く確率は非常に高い。
専門の医師の診断による、年金や生活保護のバックアップも重要になる。
これらを実行することで、国家の不完全性は補填できる。