意見の相違 | 極真・柴田の「言いたいことは言う、ブログ!」

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でも、気を使って言いたいことなんか言ってませんけど…

 多くの道場生を抱えるようになって、前回のブログに掲載させていただいたような嬉しいメールをいただくこともありますが、時には指導・運営方針を充分ご理解いただけない場合もあります。以下、参考にお聞き下さい。


 道場生に対し指導をする場合(特に取り組み方や精神的な部分について注意する場合)は、「良い、悪い」を出来るだけ分かり易く説明するように努めている。そして、そこには学級会的要素が多分に含まれていおり、仲間の行動や立振舞を見て・考えて、自分自身の反省に繋げてもらいたいと考えている。

 Aさんに対しては、その場にいたので直接注意をし、反省を促した。
 Bさんに対しては、その場にいなかったので他のみんなに話をし、その行動を注意し、自分の行動に置き換えて考えてもらいたかった。
 しかし、Aさんの保護者からは「Aはみんなの前で注意をされて恥かしかった、と言ってました。注意する際はみんなの前で注意せず、恥をかかさないように個別に注意をしては頂けませんか。」とお話を受けた。
 Bさんの保護者からは「本人のいないところで話をするのは良くないのではないでしょうか。せめて本人のいるところで・・・」と言われた。
 私はどちらの保護者にも同じ返答をした。
 「良い事は良い、悪い事は悪い、出来るべき事は出来る、その実力がまだ付いていない場合はもう少し努力の必要がある、とはっきり説明し指導していきたい。本人が居ても居なくても、その状況を説明し、本人以外の道場生にも考えてもらうきっかけにしたい。」と。

 同じような事象でも全く正反対の受け止め方をされることに改めて驚かされた。こんなことではそれこそ「学級会」さえも行えなくなると思う。
 例えば、掃除をサボった子がいたとしよう。学級会でそれを取り上げ注意をすると、下手をするとクラス全体で一人をいじめた、と言われかねないのが現代の親の姿なのだろうか。しかし、そんなことでは子供たちの成長過程で正しい事を伝えられなくなるのではないだろうか。
 例の場合、冷静に判断すれば掃除をサボった本人が悪い事は事実で、親がそのことを棚に上げ、「クラス全体で一人をいじめた」的な発想で、先生に意見するなどは全くもって本末転倒といえるのではないだろうか。

 現在、学級崩壊ということをよく聞く、教師の精神的負担増という話題も日常茶番時だ。その原因となっているのは価値観の多様化した保護者の意見が多数寄せられるからだといわれている。
 しかし、よくよく考えてみると親の側にも大きく反省する点があるのではないだろうか。特に、我が子可愛さだけの考え方はその成長(年齢)を見ながら変化させていく必要があるだろう。
 もし、道場へお子さんを預けているならそこでの経験がどういったものでどのようにお子さんが変化してきたのかを冷静に判断していただきたい。又、どういったところで躓きがあるのかもお考え頂きたい。