サブカル界隈では、なぜか「死」を扱うことが多い。
それがメメント・モリ(死を想え)という思想の影響なのか、あるいは単純な興味や恐怖心が呼び起こすものなのか──理由はさておき、「人の死に様」にはどこか惹かれてしまう部分があるのは否めない。
暇なときについ読み返してしまうのがWikipediaにある《珍しい死の一覧》という項目(リンクは張らないけど、気になる人は探してみてほしい)。
笑っていいのか引くべきなのか判断に困るようなエピソードも多いが、死にざまがその人の“伝説”になることがあるのも事実。
日本国内でも「妙な死に方」「語り継がれる死」はいくつもある。
今回はその中から、昭和の中で特に印象深い「伝説の死」を3つ紹介してみようと思う。すべて「過剰に刺激的」なのでご注意を。
① 三島由紀夫の自決
まずは超有名なこの人から。
作家・三島由紀夫。1970年、自衛隊市ヶ谷駐屯地で幹部を一時監禁し、バルコニーから演説。その後、自らの信念に殉じるかたちで割腹自殺を遂げた。介錯までついた凄絶な自死。
彼が訴えた「憲法改正」や「天皇中心の国家像」に賛否はあるが、死のインパクトとその準備の周到さ、なにより「小説家が思想のために死んだ」という事実が、日本社会に与えた衝撃は大きかった。
この事件は「楯の会事件」として歴史に刻まれているが、三島が単なる作家ではなく、肉体美を追求し、武士道を語り、実際に行動に移したことで「思想と死」が直結してしまった稀有なケースとして語り継がれている。
「どう生きるか」と同じかそれ以上に、「どう死ぬか」を重視した生き様が、今なお伝説化されている所以だろう。
② デスマッチで命を落としたファイター
これは一部のプロレスマニアや裏イベント好きの間で密かに語られている話。
かつて都内のとある神社で、秘密裏に催行されたゲリライベント「ノーロープ絶対安全剃刀デスマッチ」。
その名の通り、リングロープの代わりに安全剃刀やらなんやらを配置した、冗談のような(でもマジな)過激イベントだった。
そこで出場していた若いファイターが、試合中に命を落とした。
詳細は闇に包まれていて、運営の情報も、死亡の経緯も一切公表されていない。
だがその一件以降、イベントは中止され、関係者は口を閉ざしたままだという。にもかかわらず、当時その場にいた人々の記憶と証言が、断片的にネットやイベント文脈に流れ続けている。
死因が不明瞭なまま語り継がれるせいで、事実なのか都市伝説なのかの線引きがつかない。
だからこそ、「伝説のデスマッチ」として今もひっそりと残されているわけだ。
③ 警視庁「伝説の刑事」の殉職
昭和の終わりごろ──警視庁に「伝説」と呼ばれた男がいた。
名前も階級もほとんど知られていないが、捜査一課の中でも群を抜いた検挙率、現場対応力、そして何より「その場にいるだけで空気が変わる」とまで言われた存在感。
そんな彼はある日、ヤクザの抗争に巻き込まれ、複数の銃弾を受けながらも倒れず、最後まで現場を守り抜いた末に絶命したという。
「撃たれても立っていた」という話は誇張かもしれないが、彼の死にざまが周囲の刑事たちに強烈な印象を残したのは確かだ。
ちなみにこの刑事、筆耕の腕も相当なもので、後進の警官たちに向けた想いを込めて、自らの手で数百枚以上の警視庁封筒を作ったという逸話も残っている。
その封筒は今も警視庁本庁に保管されており、極めて重要な案件のときだけ使われているらしい。
なお一般の警察封筒はこのようなものだが、自作された封筒は「警視庁」の文字を彼自身が書いており、封筒全体のデザインも少し異なるようだ。
死後に語り継がれるだけでなく、物的にも「残り続けている」数少ない伝説のひとつと言えるだろう。
「どう死んだか」は、ときに「どう生きたか」以上のインパクトを持つ。
とくに、その死に明確な意味やドラマが付随していると、人はそれを"伝説"として語り始める。
わからないからこそ美化され、曖昧だからこそ強く残る。
そんな「死のかたち」が、きっとこれからも語り継がれていくのだと思う。