【また内容については、人の生死に関わる話題を取り上げています。貴方の現在の精神的状態を充分考慮した上でお読み下さいませ】──
こんにちは、お久しぶりの謎ぞぉ

私、滋賀県の某市の有り様を嘲笑えなくなってしまいました。
我が生まれ故郷での痛ましい事件…県立高校の男子生徒の“いじめを苦にした自殺”。
ご本人及びご遺族の方々には深くお悔やみを申し上げます。
それにしても何もかもがおかしい。
はっきり言えば気持ち悪い。ちょうど今日のこの天気のようにどんよりと重苦しく且つ、ざわざわとした何らかの予兆を感じさせる気配のよう。
生命(いのち)に対する畏敬や尊厳が全く感じられないコメントばかりが報道を通して伝わってくるのが本当に嫌だ。
だいたいからして自殺の事実があってから何日も経過しての今日になって、漸くの全校集会とは牛歩の進みにも悖る対応の遅さであろう。
校長の発言もいちいちおかしい。
「アンケート調査等で不安な気持ちにさせてしまい申し訳なかった」
全校生徒に向けてそう謝ったのだそうだ。
───ハァ?!?
本気で声を出してしまった。謝るのはまずそこなのかと。
いじめの事実は事実として、まず
阻止出来なかったこと、あるいは気付けなかったこと、それこそを謝罪すべきであって、その発言は謝意のベクトルが全く違っている。
“いじめがあった事”
そのものよりも
“いじめを調査した事”
に対して重く強い謝意を表してどうするんだ…?と。
あったいじめを隠蔽しようとしたことも報道されている。
……亡くなった生徒の両親に電話してきた教師──件の校長であったかは失念、面目ない──は、
「自殺の事実が生徒間に伝われば精神的影響が懸念される。生徒達へは“不慮の事故”だった、と報告させては貰えまいか?」
と持ち掛けていたというのだ。
両親はそれを断った、と報じられたが当然だろう。
一体ここの教師どもはどちらを向いているのか???
甚だ理解に苦しむ。というか私の理解の範疇を越えている。
《やむをえず苦渋の決断の上で悲しくも自らの生命を絶った“被害者”の心情》
と、
《それを看過してきた周囲の人間たち》。
全く知らなかった第三者的な立場の者をも含めた上で
一体そのどちらが大いに傷付き、取り返しの付かない事態に陥ってしまっているというのか。天秤にかけるまでもなく自明であろう。
知らぬ存ぜぬで済ませられる問題ではないのだ。
「ちょっとした“からかい”のつもりでも、本人にはいじめと感じられる事もあることを充分に……云々」
これも校長の言葉。
これではまるで
からかいの範疇であると認められるなら──誰が、誰と誰を、どんな基準で認める…?──
多少のやんちゃは容認される、とでも言いたい風ではないか。
もっと言えば教師側の発見に至らないいじめに対しての、セイフティーを予め設けているようにも受け取られていかにも姑息な印象が拭えない。
いじめていた方は
「いじめているつもりはなかった」
などとしゃあしゃあと語ったらしいが、相手に対して
「虫」「バイ菌」
などと発言し、あまつさえ昆虫の死骸を食べさせようとまで したその行為をいじめだと思わないとは
貴様らは一体どのパラレルワールドからやって来た高校生なのか、と問い正したくなる程に
その存在自体を疑いたくなってしまう。
そうまで悪びれずに済ませられるその神経構造が既に異常だ。そら恐ろしい気分で堪らない。
自殺した生徒にとっての学校は、監獄以下の存在だったのだろう。監獄ならまだ中で生きてはゆける。その“世界”からどんどん包囲され居場所を失った生命は…自らを消滅させてしまう選択をした。まことにもって悲惨なことだ。
そんな世界、ただのイビツな箱にしか過ぎないんだよ?すぐに抜け出せたはずだったよ?君は死んじゃいけなかったんだ、誰よりも君自身の為に。
今もたまに戻る故郷の空気…今度はどんな気分で吸っているのだろう?
=====
14時後半追記:その後のニュースより。
校長、いじめと自殺の因果関係は解らないと発言。早急なる事実関係の洗い出しを望むところ。
とりあえずこの稿、終わらせて頂きます。