おはよう。
今朝は少し肌寒い。
娘の服装に毎朝悩む。
朝は寒いのだが、少しすれば暑くなる。
長袖を選んだ日の昼が暑ければ
あぁ、今頃娘は暑くないだろうか、と心配になる。
側にいなくとも、娘の心配をする自分は、親になったんだなぁと思う。
自身の精神年齢の低さは、自覚があった。
謙遜ではなく、本当に精神年齢が低いと思う。
いつまでも、子どもでいるかのような感覚を常に持っていた。
小学生とは気が合うし、心は常に青春を追いかけていた。
27歳で娘を出産。人の親になった。
産まれるその時まで、我が子にどの様な愛情が沸くのか、わからなかった。
いや、産んだ瞬間は、壮絶な痛みからの解放に、心底安堵し、やっと終わった…というのが感想だった。
産まれたての赤子は、真っ赤になって泣いていた。
カンガルーケアは、胸の上に赤子を置かれるケアで、我が子への愛情に影響するケアだとかなんとか。
カンガルーケアで赤子を置かれた時は、愛おしさ、可愛さより、赤子がうっかり落ちそうで怖いからもう抱き上げてくれ…と思っていた。
病室に戻り、その日は赤子と再会する事なく終わった。
娘への感情が大きく動いたのは、翌日だった。
母子同室であったため、翌日、白い服に包まれて私の個室に娘が連れてこられたのだ。
ふにゃふにゃとして眠る娘を見た瞬間、ドキンッとした。
まるで、恋のような感情が芽生えたのだ。
片思いをしている気分だった。
娘は私を認識すらしていないが、私はあなたが好きです、とドキドキしたのだ。
母性とはまた違うような、不思議な愛情が芽生えた瞬間だった。
それから、娘を育てる、というよりむしろ、なんとか生かす事に必死な毎日が始まるわけだが、育てて行く中で、知らず知らずに自分は親になったと思う。
相変わらず精神年齢は平均よりは低いと思うが、自身の精神も大きく成長したように思う。
私は娘を育てながら、私自身も育てていたのだ。
娘を産むまでは、他人の結婚式をみると、結婚する側目線で涙腺が緩んだが、産後はなんと、親目線で、娘が結婚するのを想像して涙が出そうになった。
小さな子の事件は、胸が痛みすぎてあまり見られない。
娘と歳の近そうな子がいると、なんとなく目で追ってしまう。
自分の服を選ぶのも楽しいが、娘の服を選ぶ方が楽しくなった。
親になる、という知らない世界がそこにあったのだ。
今お腹で育つ第二子は、どの様な景色を見せてくれるのだろうか。
君が無事に外の世界へやってくる事を、心から願う。