マタニティぽっとさん 〜産後うつ寛解からの妊娠記録〜 -6ページ目

マタニティぽっとさん 〜産後うつ寛解からの妊娠記録〜

33歳。娘1人。旦那は仏のような人。
 
うつ病、産後うつを乗り越えて、再びマタニティライフステージへ。
 
喜怒哀楽、大波小波のメンタル忙しめぽっとさんの日常。

おはよう。

今朝は少し肌寒い。



娘の服装に毎朝悩む。



朝は寒いのだが、少しすれば暑くなる。



長袖を選んだ日の昼が暑ければ

あぁ、今頃娘は暑くないだろうか、と心配になる。



側にいなくとも、娘の心配をする自分は、親になったんだなぁと思う。




自身の精神年齢の低さは、自覚があった。




謙遜ではなく、本当に精神年齢が低いと思う。





いつまでも、子どもでいるかのような感覚を常に持っていた。




小学生とは気が合うし、心は常に青春を追いかけていた。




27歳で娘を出産。人の親になった。




産まれるその時まで、我が子にどの様な愛情が沸くのか、わからなかった。




いや、産んだ瞬間は、壮絶な痛みからの解放に、心底安堵し、やっと終わった…というのが感想だった。




産まれたての赤子は、真っ赤になって泣いていた。




カンガルーケアは、胸の上に赤子を置かれるケアで、我が子への愛情に影響するケアだとかなんとか。




カンガルーケアで赤子を置かれた時は、愛おしさ、可愛さより、赤子がうっかり落ちそうで怖いからもう抱き上げてくれ…と思っていた。




病室に戻り、その日は赤子と再会する事なく終わった。




娘への感情が大きく動いたのは、翌日だった。





母子同室であったため、翌日、白い服に包まれて私の個室に娘が連れてこられたのだ。




ふにゃふにゃとして眠る娘を見た瞬間、ドキンッとした。




まるで、恋のような感情が芽生えたのだ。




片思いをしている気分だった。




娘は私を認識すらしていないが、私はあなたが好きです、とドキドキしたのだ。




母性とはまた違うような、不思議な愛情が芽生えた瞬間だった。




それから、娘を育てる、というよりむしろ、なんとか生かす事に必死な毎日が始まるわけだが、育てて行く中で、知らず知らずに自分は親になったと思う。




相変わらず精神年齢は平均よりは低いと思うが、自身の精神も大きく成長したように思う。




私は娘を育てながら、私自身も育てていたのだ。





娘を産むまでは、他人の結婚式をみると、結婚する側目線で涙腺が緩んだが、産後はなんと、親目線で、娘が結婚するのを想像して涙が出そうになった。




小さな子の事件は、胸が痛みすぎてあまり見られない。




娘と歳の近そうな子がいると、なんとなく目で追ってしまう。




自分の服を選ぶのも楽しいが、娘の服を選ぶ方が楽しくなった。





親になる、という知らない世界がそこにあったのだ。





今お腹で育つ第二子は、どの様な景色を見せてくれるのだろうか。




君が無事に外の世界へやってくる事を、心から願う。