トヨタ博物館、再び。 | 酋長のひとりごと

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ようやく歴代のブログを1本にまとめました。最初からお楽しみ下さい。

2021年4月より、「夏男のひとりごと」に名前が変わりました。が、「それではつまらん」と外部からのご指摘を先程受けまして、戻します。てへっ☆

VT250Fに乗っていた学生時代からの友人、
ガゼール兄さんが遊びにきてくれました。
本来はイベントに参加して帰る予定でしたが
あいにくの台風接近で予定が狂い、
急遽お店の仲間とトヨタ博物館に
2年越しでGO!
トヨタ博物館、みどころが多すぎて
今回は個人的にテーマを絞って見学しました。
1955年にクラウンが発売されて、
それ以降の話はだいたい把握しているのですが
クラウン以前の日本のくるま事情って
あんまり資料がないように思うのです…。
そこで今回は「昭和初期からの車」で
日本の事情も含めてお送りします。
クラウン以前の日本の事情はと言うと、
シボレーとフォードが昭和元年と4年から
日本国内ノックダウン生産開始なので
欧州車が日本市場に参入することはなく
いるのはほとんどアメ車になってしまうそうです。
まあそんなわけで、本国で販売のモデルと
日本でノックダウン生産のモデルに
ある程度時間差があるであろうことは
ちょっと無視しますけれども、
 
シボレー コンフィデレイト 1932年
 

直立したラジエターグリルやフロントガラスが
いわゆるクラシックカーのデザインです。
車の起源が「馬車」にあったことが
何となく分かるようなデザインですね。
ここから太平洋戦争勃発までの10年足らず、
車のデザインも激動を迎えていきますよ。
 
フォード モデル40 1934年
 

この頃世間ではなぜか急に、流線型が大流行します。
京阪神でもそういう新快速列車(ではないが)が
投入されたりしてますね。
コンフィデレイト比でちょっとぺたんこに倒された
フロント周りが見て取れます。
この頃は重いエンジンの搭載位置が
前輪車軸の後ろに来るような設計ですので
それに押されて運転席の位置は
車体のほぼ真ん中むしろ後寄りくらいでしょうか。
極端に言うと人間の使えるスペースは
全体の半分以下しかなかったということですね。
 
デソート/クライスラー エアフロー 1934年
トヨダ AA型 1936年 
 

これもあんまり知られていませんが
突如野心的な意欲作が登場します。
それが写真後方のエアフロー。売れなかった…。
重量配分に遠慮したのか後方搭載のエンジンを、
思い切って前輪の真上まで前進させて載せました。
結果現代の車に車体の構成がだいぶ近くなり、
何となく今っぽいフォルムになったように思います。
手前のAA型は、エアフローの最先端の理論を輸入、
まだそれが売れるかどうか分からないというのに
かなり攻めた設計でデビューしました。
エンジンは3.4Lの直列6気筒、
国内で先行するアメ車に合わせた排気量です。
そう考えると当時の国内は本当に
アメ車一色だったんだろうな…。
ちなみにクラウンまでの黎明期のトヨタは
新技術に果敢に挑んで失敗したり、
さりとて保守的極まりない設計をして売れなかったり
けっこうブレブレなところがあったりします。
いやいやそういうの、すごくいいですよ!
 
リンカーン ゼファ 1937年
キャデラック シリーズ60 1938年(奥)
 

流線型が進化してきまして、
まあ何と2台とも流麗なデザインなんでしょう。
これが戦前に普通に売っていたとは。さすがアメリカ。
ちょっと写真の角度が宜しくなくてアレですが、
従来ドア下端にあった足掛け用のランニングボード、
これがだんだんなくなってきました。
恐らく設計が良くなって低床化が進んだので、
乗降用のそれらが必要なくなったのと思われます。
ランニングボードがなくなり、
そのぶんボディが拡幅できますので
前後フェンダーのふくらみが
徐々にボディに吸収されていきますよ。
 
キャデラック シリーズ60 1948年
 

トヨタ クラウン 1955年
 

ここは続けて見ていきましょう。
シリーズ60の戦後型はちょっと残っていますが
前後フェンダーはボディに吸収されてきました。
いわゆるフラッシュサイド形状です。
後輪はまだ何となくフェンダーっぽいですが
前輪はむしろヘッドライトハウジングのほうが
目的が強い感じですかね。
ボンネットと左右のフェンダー/ライトハウジングで
3つの山を型つくるようなデザインです。
 
キャデラック エルドラド 1959年
 

テールフィンのことが良く言われるこの時代ですが
今日は顔のデザインに注目しましょう。
しばらく3つ山の時代が続いたようですが、
この頃からボンネットとフェンダーはツライチになり
その境目の谷間はわずかに形を残すのみとなりました。
ヘッドライトの位置は押されるように下に移動し
グリルの真横に配置されるようになります。
1950年代は特に外観の変化が激しかったそうで
同じ名前でも毎年違うデザインで発売されます。
戦後アメリカの勢いが最もいい頃ですので、
ベビーブーマー世代の購入欲が旺盛だったのでしょう。
 
フォード ファルコン 1960年
 

この頃になるとヘッドライトの位置がさらに変化し
ラジエターグリルの中に吸い込まれて行きました。
ようやく今の車のデザインが完成してきたかな。
 
ニッサン ガゼール 1983年
トヨタ カローラレビン 1983年(奥)
 

おおむね80年代辺りからのようですが
(5マイルバンパー規制がきっかけでしょうか)
従来は独立していた金属製バンパーが
車体の内部に隠されるようになりました。
その前面は樹脂製のバンパーカバーに覆われます。
ガゼールの点灯しているマーカーランプから下、
巨大な樹脂のバンパーカバーを外すと
クロスメンバー/バンパーが一体溶接で付いています。
そう言われるとボンネット収納式の
リトラクタブルヘッドライト、流行りましたね。
一時期スポーツカーはボンネットを
なるべく低くするのがカッコいいという時代があり
収まらなくなったヘッドライトを収納式にしていました。
カローラレビンの兄弟車、スプリンタートレノも
リトラクタブルヘッドライトを採用していました。
80年代を代表するスポーツカーが揃い踏みです!
雨の中凄みのある写真が撮れました。
個人的にはこのくらいの時代がたまんねーな(笑)。
私も車はタウンエース(一応こだわりだけど)ですが
バイクは90年型のGPZ900R、
皆さん部品も少なくなってきましたけれど。
頑張りましょう!
はあ、今回も熱くなりすぎて、
まとめるのに1ヶ月かかりました…。