神奈川県 足柄郡中井町 厳島湿生公園へ。弟橘姫と弁財天 櫛と鏡 ⑨ その3
可愛らしい
鴨たちの群れを
見ながら
それでは
この地域に伝わる
昔話と伝説の
お話を始めて
行きましょう。
このお話を始めると
お話のエリアが広くなり
神奈川県中井町の
範囲の中では
おさまらなくなり
時代も2000年近く
刻を遡るお話となって
このお話を
書こうと思う自分も
自分の意識的思考や
結構や説明も苦労をする
ジャンルなのですが
そのお話を
してみましょう。
厳島湿生公園にある
この弁財天から
直線距離で南に
4~5kmほど行くと
相模湾の海の海岸に
出るのですが
現在のJR東海道本線の通る
国府津駅と二宮駅の
JR 二宮の駅近くに
二宮吾妻山公園があり
神奈川県中郡二宮町山西1084
たぶんこの場所のことを
いっているのだと思いますが
吾妻山公園の山の中に
二宮 吾妻神社という神社があって
吾妻神社の御祭神は
弟橘媛で
ご神体は
弟橘姫の櫛だそうですが
西暦110年の頃
景行天皇の皇子である
日本武尊命が上総に船で渡る際
海の暴風雨にあい
今に沈没する船を思い
日本武尊命の妃である
弟橘姫は
海神の怒りを鎮める際
その場でこしらえた筏に乗り
命を落としてしまった
伝説が現在の
東京湾の入り口にあたる
神奈川県の観音崎には
今も残っていています。
以前
私が観音崎に訪れた時の記事です。
ご興味があったら読んでみて下さいね。↓
神奈川県へドライブ ⑭ 観音崎の灯台と観音像 。ラスト | KEN ituki (ameblo.jp)
弟橘媛
二宮 吾妻神社のご神体は
吾妻神社の御祭神は
弟橘媛で
海神の怒りを鎮める際
その場でこしらえた筏に乗った
弟橘姫の持ち物で
旧山西村梅沢の漁師の投げた
海中の網にかかった
ものだそうです。
弟橘姫の櫛を海中から
拾い上げた
旧山西村梅沢の漁師の
枕元には
過日、網で曳き上げた鏡が
いまは、葛川上流の泉の湧き出る
神社に安置されている
ことを伝え
貴重な品故に
大切にすることを
伝えたそうです。
そこで翌朝
網子の漁民たちを集めて
昨夜のお告げを伝え
葛川流域一帯を隈なく
探させたところ
その鏡は、この北窪の
厳島神社であることが
わかったそうです。
櫛と鏡は別に海から
引きあがったようですが
おそらく
砂浜から
地引き網のように村民が
魚や貝などの入った
網を大勢で曳いたときに
見つけた鏡を
大切なものとおもい
この厳島神社
別名は北窪の弁財天と
呼ばれるこの場所に
網子村民の誰かが
祀り届け
安置したものなのでしょう。
弟橘姫の
鏡と櫛の伝説
そして
神奈川県の鎌倉を
遠くまたいだ
横須賀 鴨居の 観音崎
と
二宮町山西の 吾妻神社
このように
日本武尊と弟橘姫
そして
景行天皇の
古い伝説で
深くてしっかりと
繋がっている
地域でした。
JR東海道線の二宮駅の
南側前の
二宮海岸沿いの道路を
西方向に歩いてゆくと
その先には
西湘バイパス 橘 IC (タチバナ インターチェンジ)
があり
現在も弟橘姫のことを
何も語らずに
地名として名前を
伝えているのでしょう。
2000年近く刻は
たったのですが
それらのことを
知る人は
現在では
ほとんど
いないのでしょう。
厳島湿生公園の弁財天
この場所には
そんな
過去の歴史と
伝説がありました。
この場所も現在では
市街地整備化が進み
だんだんと湧水が
減少し陸化することとなり
多様な生物の復元と維持を
目的に、平成15年に
水と緑の拠点として
整備されたのが
現在の
厳島湿生公園の
姿だそうです。
そんな
厳島湿生公園の
木道を歩き
弟橘姫と
日本武尊命の生涯と
櫛と鏡の伝説を
感じる旅ができました。
いろいろな
恋と悲しみと
日本の古い歴史と
伝説が交じり逢う
神奈川県 海沿いの
お話し
何かを心に思に
感じていただけたでしょうか
そうであれば
私の散策の旅もきっと
何らかの意味合いが
生まれてくるのでは
ないかな
なんて思っています。
そろそろ
この場所をはなれますが
向こう側には
何か不思議に見える
オブジェがあるので
そこに立ち寄ってから
また別の場所に
移動することにしましょう。
それでは
また
次回の記事へと
つづきます。