神奈川県へドライブ ⑭ 観音崎の灯台と観音像 。ラスト | KEN ituki

神奈川県へドライブ ⑭ 観音崎の灯台と観音像 。ラスト

 

長い一日の旅ですが

ここが最終目的地の

 

観音崎灯台の周辺

海へやって来ました。

 

どなたかに、あなたはワープ航法でも

持っているのですかと

 

質問を頂きそうなほど

一日を通したの間の移動の

 

箇所も多く、まあ、それも

京都に居たかと思えば

 

突然に関東に出没したりと

新田 義貞 公や、松尾芭蕉さん

 

のようで、この機動力も

自分的には面白いのではないかと

思っています。

 

だって、それらの偉人のことも

この記事で、ロケ場所の紹介で

 

ご紹介するので、彼らの同じような

気分を味わいながら、ブログの記事を

 

書いたほうが、よりリアリティーや

親近感が生まれて楽しいでしょ。

 

まあ、それは

私の都合なので

 

さっそく観音崎の

海の周辺を散策しに行きましょう!

 

 

 

 

ここは、横浜周辺の人などにも

人気の場所で、良く人が訪れる

観光地でもあります。

 

私の写真には人が写っていないですが

人を避けて写真を撮っているので

 

昼間の時間は、人も多い場所です。

しかし、時刻は夕方も迫っているので

 

これからの時間帯は、人影も少なく

なるので、風景写真を撮るには

 

その方が好都合だったりするのですよね。

 

写真は、旧日本軍が築いた、潜水艦探知用の

ソナー施設ですが、最初は折れた灯台の

 

跡地かと思いましたが、廃用された

ソナー施設の跡地です。

 

海の中ですね。

 

 

 

 

 

 

 

観音崎は、横須賀を訪れると

道路標識の案内板が出ていて

 

昔からいつも、なんとなく

気になっていた場所なのですが

 

なかなか、自宅から距離が

あって、いつも行けずに

 

横須賀あたりから、その

道路標識の案内板を

 

気になって

見ていただけなので

行けなかったのですよね。

 

いつの頃か、横浜のかたに

観音崎でデートに誘われたことも

 

あったのですが、その方とは

ご縁もなく、来れなかったのでした(笑)。

 

別に、想いを残して

想いの再チャレンジで観音崎に

 

来たわけではないですよ(笑)。

 

 

 

 

 

 

観音崎の名前の由来は

奈良時代の僧、行基菩薩が

 

船の航行と、停泊する港の

安全のために

 

十一面観音 (船守観音)を

観音寺付近にある海浸洞穴に

 

納めたことに

由来するそうですが
 

 

 

 

 

 

 

明治13年には、陸軍砲台が

この観音寺のある敷地近くに

 

築造され、用地も陸軍の

管理下の用地になったようで

 

明治14年には、観音寺は

鴨居の鴨崎に移転されましたが

 

 

 

 

 

 

昭和61年の火災により

鴨居観音寺は焼失し

 

三浦三十三観音としての

札所は、現在吉井にある

 

真福寺さんが

代行しているそうです。

 

写真は

観音崎から見える

千葉県の南房総国定公園に立つ

東京湾観音像です。

 

 

 

 

 

 

 

 

それでは

観音寺があった場所のほうに

行ってみましょう。

 

 

 

 

 

 

 

駐車場の閉門時間もあり

あまり長居は出来そうに

 

ないので、どうにか

早足で行かなくてはなりません。

 

知らない土地なので

どれくらい時間がかかるか

 

どれくらいの時間で

駐車場に戻ってこれるか

 

まったく、想像が

できないのでした。

 

まあ

それでも行ってみます。

 

 

 

 

 

 

 

岩盤をじかに掘り進んだ

壁のトンネルがあり

 

このあたりの地層も

こんなところで

見ることができます。

 

 

 

 

 

 

 

観音崎の

戦没慰霊塔だと

思いますが

 

ここは自衛隊用地のため

立ち入り禁止で入れません。

 

金網越しに望遠レンズで

撮影しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

昔のソナー施設の跡地も

別の方向から見えました。

 

なんの建物か

入口のドアの部分が

 

おだやかな海水面に

とっても近いので

 

建物の構造的に

違和感を感じますが

 

嵐の日や荒波の日には

おそらく、海中ソナーは

 

波の雑音で使用できな

かったと思うので

 

たぶんこれで

良いのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

今は、鳥たちが

羽を休めています。

 

 

 

 

 

 

 

カモメは

 

自由に

空を飛べていいな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たぶんこの先の

海沿いの遊歩道の先が

 

観音寺跡地ですが

だんだん夕暮れ時刻が

せまって来ました。

 

 

 

 

 

 

漁師さんの

網の養殖の

 

生簀でしょうか

海にウキが見えました。

 

 

 

 

 

 

 

駐車場の閉門時間は

残り40分少々

 

けっこう追い詰められて

焦ります。

 

終始、早足早足

という感じです。

 

 

 

 

 

 

 

観音崎のまつわる

神話は、古事記や日本書紀にある

 

日本武尊の東征伝説において

相模国から、上総国に

 

渡ったとされる場所が

この目の前に広がる

 

海だったそうで、当時も

海運など、航海技術も

 

とても発展していたの

だと思います。

 

 

 

 

 

 

日本武尊が上総に出航して間もなく

暴風雨が船団を襲い、これを海神の

 

怒りと悟った、尊の妃

弟椿姫は、私が海に入り海神の怒りを

 

沈めましょうと言い残して、入水したところ

それまでの暴風雨が嘘のように鎮まり

 

日本武尊一行は上総国に無事に

渡ることが叶い、日本武尊は東征の

使命を果たすことができたそうです。

 

不思議な伝説ですね。

 

 

 

そして、もう一つの

観音崎の伝説は

 

二度消えた観音像様の

お話しです。

 

天平13年、行基上人によって

掘られ人々に愛されていた

 

観音崎の観音様は

1213年の和田氏と北条氏の合戦

 

和田義鷹の乱の渦中に

忽然と姿を消し、村人の必死の

 

捜索にも関わらず、その後

100年の時が流れたそうです。

 

 

 

 

 

 

そして、鎌倉時代の末期

ある漁師が夜の観音崎の沖から

 

光が漏れていることに気がつき

翌朝に海底を探したところ

 

百年前に姿を消した観音像が

発見されたそうです。

 

 

 

 

 

 

 

その後、観音崎の観音像は

明治時代に陸軍の砲台の建造が

 

始まり、鴨居の亀崎に

移転されましたが

 

人々は、この観音様を変わらずに

大切にし、明治、大正、昭和の

 

時代を、この観音崎の観音様と

共に過ごしてきました。

 

 

 

 

 

 

 

ところが、昭和61年11月

観音像を納めた鴨居の観音寺が

 

火事になり、観音様も

また完全に焼失して

 

観音崎は、「無」観音崎と

なってしまったそうです。

 

 

写真は

 

トンネル手前のコンクリートの

構造物は、旧陸軍が作ったもの

でしょうかね。

 

 

 

 

 

 

 

トンネルには、横穴があり

横穴の入口は、現在は

こんな感じで塞がれていました。

 

まあ、洞窟探検はしない

のですけれどね。

 

最近は動画などのそんな

企画も視聴回数が上がるので

 

そんな企画チャレンジなんて

考える人も、いるのでしょうね。

 

 

 

 

 

 

 

駐車場の閉門時間が

あと15分しかないので

 

ここで切り上げ足早に

駐車場にもどります。

 

夕暮れ間際で、人影もなくなり

少し不安な時間帯です。

 

 

 

 

 

 

 

 

観音崎自然公園の

展望園地に戻って来ました。

 

オブジェも海も、夕暮れ時の光に

染まり始めました。

 

 

 

 

 

 

 

ここで、寂しくなったので

写真の撮影を終了して

 

帰宅する気でいましたが

まだ、夕暮れ夕日の写真が美しく

 

撮れる可能性があるので

心は、ここで少しばかり

 

踏みとどまります。(笑)

 

きっと、人生は寂しいような

寂しくないようなものだから。

 

 

 

 

 

 

 

そんな、ハッキリしない

思いをかかえながら

 

レストランの自動販売機の

近くまで来ると、レストランも

 

駐車場の閉門時間に

近い時刻には、もうしまって

行くところもないのでした。

 

 

 

 

 

 

展望園地の周りの海を

見渡すと、暗くなりかけた

 

この時間、誰もいないので

すが、良い夕暮れの美しい

 

写真は、なんとか撮れそうな

ロケーションなので

 

ここは決意して

 

 

 

 

 

 

 

 

駐車場に止めた車を

24時間利用できる、コインパーキングに

 

移動して、写真撮影を続行する

ことにしました。

 

 

 

 

 

 

 

夕暮れ時は近いですが

再度、見切れなかった

 

観音寺跡に向けて

歩いて行きます。

 

深夜から長い一日の旅なので

気力も、もうありませんし

 

足も体もとても重い

状態ですけれど

 

遠すぎてもうここには

来れそうもないので

 

カラ元気のまま

行くことにします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

観音寺灯台の

案内標識が出ています。

 

どうやら、ここから

灯台に行くようです。

 

それでは、この標識が

示す方向に行ってみましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

旧陸軍の作った砲台跡は

ここのようですね。

 

この付近は、旧陸軍の管轄用地と

なったために、観音寺は

移転したのでしょう。

 

観音寺の跡地は、この砲台跡地の

山の海側の、海岸沿いにあったと

聞いているますからね。

 

 

 

 

 

 

昔のレンガ張りです。

明治時代の東京駅とか

 

東京府庁舎などは

こんな感じで、レンガ造り

だったんですよ。

 

今では、見かけない

当時のレンガですね。

 

モダンな感じでステキですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

砲台跡の構造物なので、強度も

必要なのでコンクリートに

 

レンガ張りの構造を

取っているようです。

 

 

 

 

 

 

 

このレンガ積み風の

トンネルの向こう側に

抜けてみましょう。

 

 

 

 

 

 

 

トンネルの上には

今は木や草が生えています。

 

昔は、この上に砲台が

あったのかもしれません。

 

カムフラージュの意味で

山風にというわけでは

ないのでしょう。

 

だだ長い年月放置された

からかな。

 

 

 

 

 

 

 

砲台跡を過ぎて次は

どこに行きましょうかね。

 

駐車場の閉門時間を

気にしないで済むように

 

なっただけ、とっても

気が楽で楽しいです。

 

灯台に向かいましょう。

 

 

 

 

 

 

 

入口の車道を登って来てから

絶好といえる写真のロケーションは

 

この時間帯では、今のところ

見つかりませんが、気にせずに

進んで行きましょう。

 

歩いて行けば、きっと

感動の景色に偶然にも

あたるものですからね。

 

今までも、そうだったからね。

 

 

 

 

 

 

観音崎の灯台に

着き来ました。

 

観音崎の灯台は

明治時代から今までに

 

3度造られていて

これが3代目の灯台だそうです。

 

 

 

 

 

 

この時間は閉門していて

この灯台に昇ることは出来ませんが

 

時間があえば、この灯台を

見学することもできるので

 

明るい昼間の時間帯に

観音崎の灯台を見学したい方は

訪れるようにして下さいね。

 

 

 

 

 

 

 

観音崎の灯台のある山を下りて

海辺のほうに向かってゆきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんな、大きな岩があって

山道の隙間からだんだんと

海が見えてきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

大きな岩の下の落書き

落書きがって

 

好きではないのですが

今の時代も、昔の時代も

こうやってあるのですね。

 

明治時代から歴代岩に

刻まれた落書きですが

 

ここは、日本軍の管理用地

だったので、軍人の若人が

 

自然石に刻んだ

落書きなのでしょう。

 

ただ、意味が違うのは

この落書きを刻んだ人の命は

 

明日おもしれない人々

だったということでしょうかね。

 

刻まれた文字の意味や思いは

それぞれですが、人生の

重さを感じます。

 

 

 

 

 

 

観音崎の灯台は

目にしたので

 

展望園地の方向に

もどることにします。

 

 

 

 

 

 

今は、観音崎の

どの辺りに居るのかなと。

 

確認します。

 

 

 

 

 

 

観音寺跡地にも

寄りたいのですが

 

案内板を確認すると

立ち寄ったトイレの

 

横の自動販売機と

東屋があるあたりが

 

観音寺の

跡地だったようです。

 

とういうことは

この近くに、海浸洞穴が

あるはずですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

観音様の像の写真が

飾られていました。

 

昭和の末期に行基菩薩が

備えた観音崎の感音像は

 

焼失してしまったので

写真が展示されている

のですけれど・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

行基菩薩が、観音像を備えたという

海浸洞穴の場所をみつけました。

 

この場所に観音崎の

観音様があったのですね。

 

 

 

 

 

 

 

いや、今もあります。

 

平成30年に、観音崎の観音像を

復元するべしと、有志達が立ち上がり

 

多くの海を愛する人たちの

協力で、観音崎の文化に対しての

 

深い理解を得て、市民活動として

観音崎観音像復元プロジェクトが

 

発足し、令和元年 ここに観音像の

歴史的復元がなされたそうで

 

千二百年以上に渡り観音崎に

想いを寄せてこられた全ての

 

人々の熱意の結実がこれを

実現したそうです!

 

 

これで、観音崎は

「無」観音崎ではなくなりましたね。

 

地元の方々も、きっと誇らしげな

気持ちで居られると思います。

 

 

 

過去、昔の人々と、現代の人々の

皆さんの思いが、観音崎の観音像を

 

ここに復元したのですね!

 

観音様良かったですね!

 

観音様もきっと

とても幸せだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この、観音崎の海の底に

夜輝いた観音像、そんなステキな

 

伝説の結末と、この新たな

観音像は、現代の新しい

 

伝説をここに

作りあげたのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

どの辺りで、輝いていたのかな。

 

 

 

 

 

 

海抜4.1m地点で

生まれたばかりの

 

若いこれから先の

時代への伝説へと

なるのでしょう。

 

 

 

 

 

 

木目の詰まった

比重の重い、硬い

 

良質な木材で造り

丁寧に削られた木像は

 

たやすく海へと沈み

そこで時を過ごす。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、いつの時か

海底が黄金色に輝き

 

また、姿を現す。

 

 

 

 

 

 

木は浮く

ばかりではなく

 

高級で乾燥のとれた

良質な目の詰まった

 

木材は水に沈むのです。

観音崎に納められた

 

行基菩薩の備えた

海浸洞穴の観音像は

 

そんな、素晴らしい

木の生命で造られて

いたのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

過去の不思議と

現代のロマン

 

そんなステキな

観音崎を体験出来ました。

 

 

 

 

 

 

 

折れた昔の灯台の破片。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大正11年4月26日

神奈川県東部地震の被害により

 

初代灯台は、亀裂を受け

倒壊、2代目に再建された

 

灯台は、大正12年9月1に

発生した、関東大震災により

 

倒壊、9月12日には

木造の仮灯台が点灯し

 

大正14年6月1日に

3代目の現在の灯台が

 

再建され、現在の

灯台は、大正14年に

再建されたその灯台です。

 

 

 

 

観音崎の灯台は被害を受け

立て直される。

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなことを、感じながら

一人海辺を歩いて行きます。

 

 

 

 

 

 

 

夕闇は、刻一刻とせまり

大正時代に造られた

 

3代目の灯台が明かりを

灯し、海を照らして

輝いています。

 

 

 

 

 

 

 

大きなリス君のお見送り

カメラの感度も、そろそろ厳しい時間帯。

 

 

 

 

 

 

夕暮れの観音崎を

撮影して、帰路につきます。

 

 

 

 

 

 

 

ここから自宅までは

一般道を通って、6時間はかかります。

 

 

 

 

 

 

 

観音崎の夕暮れ

美しい良い写真が撮れるでしょうか。

 

見送ってくれた

大リス君の様子では

 

暗くてカメラの感度が

厳しそうです。

 

撮れた写真は、芸術写真のコーナーに

これから順次掲載して行きます。

 

 

 

 

 お家に無事に到着して、ぐっすりと 

 眠ることにします。

 

 芸術写真のコーナーでお会いしましょう!

 

 

 

 

 

ps.

 

2024年6月に私が書いた

弟橘姫と日本武尊の命の

 

伝説のある場所を訪問し

その内容を追加して書いた記事です。

 

もしご興味がありましたら

読んで見て下さいね。↓

 

神奈川県 足柄郡中井町 厳島湿生公園へ。弟橘姫と弁財天 櫛と鏡 ⑨ その3 | KEN ituki (ameblo.jp)