遠い昔、琉球王朝は薩摩の軍門に下り、太平洋戦争では、大日本帝国に本土防衛の捨て石にされた沖縄。
戦後、米軍は前線基地として好立地の沖縄を、強制収容で基地の島に・・

復帰後も、米軍の前線基地として位置づけは変わらず、
日米地位協定の下 沖縄は今も、米軍と本土政府の支配下にある。

日本国への復帰は、沖縄の人々にとって、果たして正しい判断だったのだろうか?

沖縄殺戮戦から70年 再び捨て石に・・二重支配下の沖縄

沖縄の民意無視! 闘う宰相・安倍晋三

沖縄が闘っているのは、自民党と日本国政府とアメリカ

沖縄復帰50年「お祝いにしてほしくない」 式典参加の県民、思い複雑 あいさつ淡々と

沖縄の復帰50年式典 新基地建設に触れない知事 参加者「それができない場所だったんだろう」

 福島民報 2022/05/16 09:00
沖縄復帰50周年記念式典 岸田首相と玉城知事の式辞全文
【沖縄県の玉城デニー知事の沖縄復帰五十周年記念式典での式辞全文は次の通り。

 はいさい、ぐすーよー ちゅーうがなびら。みなさま、こんにちは。本日ここに、天皇皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、政府との共催の下、沖縄復帰五十周年記念式典を開催できますことは、等しく県民の喜びとするところであります。

 岸田文雄内閣総理大臣、細田博之衆議院議長、山東昭子参議院議長、大谷直人最高裁判所長官をはじめ、ラーム・エマニュエル駐日米国特命全権大使、平井伸治全国知事会会長、そして多数の御来賓のご臨席を賜り、沖縄県民を代表して心から感謝を申し上げます。

 沖縄県は、日本本土と東アジアおよび東南アジアの海域の中心に位置し、古くからアジア諸国との貿易で栄え、たくさんの国々との交流の中で、多様性に富んだ独特の文化を育み、その歴史を刻んできました。

 しかしながら、先の大戦においては凄惨(せいさん)極まる地上戦により、二十万人を超える尊い命だけではなく、貴重な文化財や県民の財産のほとんどが失われるなど、県民は耐えがたい苦難を経験しました。

 その後、サンフランシスコ講和条約の締結による米国民政府の統治が、戦後二十七年間にも及び、産業の発展は立ち遅れ、パスポート無しでは日本本土への渡航も許されない時代が続きましたが、県内外で沖縄の日本復帰を願う全ての方々の努力や、佐藤栄作元総理大臣をはじめとする政府関係者の皆さまのご尽力が実り、五十年前の本日、昭和四十七年五月十五日に日本復帰を果たしました。

 一九七二年からの五次にわたる沖縄振興計画等により、社会基盤の整備等によって本土との格差は縮小され、社会経済は着実に進展しました。

 また、観光関連産業や情報通信産業等の成長が沖縄経済をけん引し、那覇空港第二滑走路の増設等、今後の沖縄の発展がますます期待されております。

 他方、一人当たり県民所得は全国平均の水準に達しておらず、自立型経済の構築はなお道半ばにあるとともに、子どもの貧困や離島における不利性、脆弱(ぜいじゃく)な産業構造など、依然として克服すべき多くの課題が残されています。

 沖縄県では、平成二十二年に策定した将来のあるべき沖縄の姿を描いた「沖縄二十一世紀ビジョン」の実現に向け、令和四年度からの一〇年を期間とする「新・沖縄二十一世紀ビジョン基本計画」を策定しました。本計画を着実に推進し、本県の自立的発展と県民一人一人が豊かさを実感できる「誰一人取り残さない社会」の実現に向けて取り組んでまいる所存であります。

 他方、復帰から五十年たった現在も、わが国の国土面積の0・6%に過ぎない沖縄県に全国の在日米軍専用施設面積の70・3%が集中し、米軍人・軍属による事件・事故、騒音、環境汚染等、県民は過重な基地負担を強いられ続けております。

 そのため、沖縄県は本土復帰にあたって沖縄県と政府が共有した「沖縄を平和の島とする」という目標が、復帰から五十年たってなお達成されていないことに鑑み、復帰五十周年の節目に「平和で豊かな沖縄の実現に向けた新たな建議書」を日本政府および衆参両議院へ建議するとともに、米国政府に対し協力を求めました。

 政府におかれましては、沖縄の本土復帰の意義と重要性について国民全体の認識の共有を図っていただき、すべての県民が真に幸福を実感できる平和で豊かな沖縄の実現に向けて誠心誠意取り組んでいただきますよう申し上げるものであります。

 我した「沖縄」には、大きな可能性や潜在力が秘められています。

 世界に誇る多様な自然環境を有しており、令和三年七月には「沖縄島北部および西表島」が世界自然遺産に登録されました。

 点在する多数の島々からなる広大な海域は、日本の国土総面積に匹敵し、広大な海洋から得られる多様な資源と多大な恩恵は、新たな発展に貢献できる、独自の可能性を有しております。

 私たち沖縄県民は、子や孫たちのために、豊かな自然を守り、県民一人一人が生きがいを感じられ、人と人とのつながりとチムグクルを大切にし、万国津梁(ばんこくしんりょう)の精神のもとアジア太平洋地域の持続的安定と平和に貢献し、われわれ県民が描く自立と自主性が尊重された「時代を切り拓き、世界と交流し、ともに支え合う平和で豊かな『美ら島』おきなわ」の未来に向かってさらに力強くまい進してまいります。

 結びに、天皇皇后両陛下の御健勝と、皇室の弥栄(いやさか)を心から御祈念申し上げますとともに、岸田文雄内閣総理大臣をはじめ、本日、沖縄会場ならびに東京会場に御参列いただいた皆さま、百四十六万沖縄県民のますますの幸せを願って、式辞といたします。】

【岸田文雄首相の沖縄復帰五十周年記念式典での式辞全文は次の通り。

 本日、天皇皇后両陛下のオンラインでのご臨席を賜り、東京、沖縄それぞれの会場に内外から多数の賓客のご参列をいただいて、沖縄県との共催の下で沖縄復帰五十周年記念式典を挙行できることは、大変喜ばしいことであり、沖縄県民のみならず、全ての日本国民にとって、誠に意義深いことと考えます。

 昭和四十七年(一九七二年)五月十五日、沖縄は本土復帰を果たしました。

 先の大戦で地上戦の舞台となった沖縄は、戦後、連合国によるわが国の占領が終了した後も、長きにわたり、米国の施政下に置かれました。沖縄復帰は、このような苦難を乗り越え、沖縄県民そして国民全体の悲願として実現したものです。戦争によって失われた領土を外交交渉で回復したことは史上まれなことであり、日米両国の友好と信頼により可能となったものでした。

 この五〇年、沖縄は着実に発展の歩みを進め、政府は五次にわたる振興計画や各種の特別措置等を講じ、その歩みを後押ししてまいりました。

 復帰から五〇年を迎える本日、沖縄の歩んだ歴史に改めて思いを致し、沖縄県民のひたむきな努力に深甚なる敬意を表したいと思います。

 アジアの玄関口に位置する地理的特性。亜熱帯の豊かな自然。独自の歴史の中で育まれてきた国際色豊かな文化や伝統。これらはいずれも沖縄ならではの魅力・可能性です。一方で、一人当たり県民所得の向上、子どもの貧困の解消などの課題は、今なお残されております。

 全会一致で成立した改正沖縄振興特別措置法等の政策手段により、沖縄の潜在力を最大限に引き出し、「強い沖縄経済」を実現してまいります。

 「強い沖縄経済」の実現には沖縄産業の高度化・高付加価値化が重要です。私も担当大臣として創設に深く関与した沖縄科学技術大学院大学(OIST)では、多様な研究者や学生が切磋琢磨(せっさたくま)する中で、真理を追求しています。このOISTにおける量子、バイオなど幅広い分野に係る世界最高水準の教育研究を推進し、また、その成果が社会に還元されるよう強力に支援します。

 開業率が全国トップの沖縄は、創業意欲にあふれる地です。地元や民間の熱意により既に成果が出つつある取り組みをさらに後押しするため、科学技術スタートアップの拠点構築や支援を推進・強化します。

 さらに、那覇空港第二滑走路や名護東道路など、重点的に整備してきたインフラを最大限活用し、観光業をはじめ沖縄産業の振興に取り組みます。

 沖縄のさらなる発展の鍵は、未来を担う子どもたちにあります。引き続き、子どもの貧困対策を沖縄振興の重要課題の一つと位置付け、着実に取り組みを進めます。人材育成の充実を図るため、地域ニーズを踏まえつつ、国立沖縄工業高等専門学校における観光等のプログラムの新設に向けた取り組みを進めます。

 沖縄が独自の歴史の中で育んできた文化や伝統は、大きな魅力であり、沖縄は、国際的な交流拠点として大きな可能性を秘めています。

 「万国津梁(しんりょう)」の精神の下、島しょ地域に共通する課題の解決に貢献できる国際的な人材の育成や人材交流等を推進し、平和創造の拠点としての沖縄の発展、国際的なネットワークの形成を目指してまいります。また、沖縄の象徴であり、県民の皆さまの誇りである首里城の正殿について、令和八年(二〇二六年)秋の完成を目指し、本年十一月に建築に着手し、関連のセレモニーを開催いたします。

 復帰から五〇年がたつ今もなお、沖縄の皆さまには、大きな基地負担を担っていただいています。政府として、このことを重く受け止め、引き続き、基地負担軽減に全力で取り組んでまいります。

 在日米軍施設・区域の整理・統合・縮小を進めており、返還された跡地は、沖縄の将来の発展のためにご利用いただくものになります。その一環として、キャンプ瑞慶覧(ずけらん)のロウワー・プラザ住宅地区については、返還に先立って、緑地公園として県民の皆さまにご利用いただくことを、近く日米間で合意いたします。来年度中の利用開始に向け、必要な準備を進めてまいります。

 これからも、日米同盟の抑止力を維持しながら、基地負担軽減の目に見える成果を一つ一つ着実に積み上げてまいります。

 復帰から五〇年という大きな節目を迎えた今日、私は、沖縄が、アジア太平洋地域に、そして世界に、力強く羽ばたいていく、新たな時代の幕が開けたことを感じています。

 復帰から今日に至る沖縄県民のたゆまぬ努力と先人たちのご尽力に改めて敬意を表するとともに、世界の平和と沖縄のさらなる発展を祈念し、私の式辞といたします。】