ヘイトや嫌がらせ 誹謗中傷は論外だが、コメント欄には、記事の言葉足りずの部分を補完したり、あらぬ方向にズレた記事の論点を軌道修正したりする役割もあるのでは?

表面だけを撫で深層に迫らない記事、誰かさんへの忖度で?肝心なことをわざと?暈かす記事、行き過ぎた自主規制で?毒にも薬にもならない記事、真実を語らないフェイクまがニュース、ファクトを捻じ曲げあらぬ方向に世論を誘導するニュース・・

そんな記事・ニュースしか書かない、書けないマスごみ?
だから、あらゆる角度から考察し深堀した、多様なコメントが必要だと思うのだが・・

関電報道、共同通信に新聞協会賞 金品受領問題のスクープ
【国税からの情報で共同通信がスクープ。一方 他紙は「関西電力良くし隊」からの告発文が届いていながら、安倍原子力ムラの陰に怯え報道できず。

報道機関自ら安倍原子力ムラの軍門に下り、斯くして(かくして)日本の報道の自由度は67位に・・】

 人の振り見て・・「明るい記事」だけ求める中国 不正暴いた記者は去った
【新聞・テレビ各局は、中国の振り見て・・おおいに反省する必要があるのでは?
日本が、いつか来た道・戦争への道に戻らぬよう・・

実際、日本の報道の自由は、安倍政権に先駆けた?原子力ムラに拠る大攻勢で、
瀕死状態に陥るのだが・・】

福島原発事故:過去に学ばない総理と国民、真実を伝えなかったマスコミ
【300万の同胞の命を奪ったあの無謀な戦争さえ反省せずにやり過ごした、
過去を振り返らない無責任な国民性?は、今も変わっていない?
<日本人はなぜ戦争へと向かったのか> 過ちを繰り返さないために・・

 その証拠?に、太平洋戦争・福島原発事故・・過去の過ちを反省しない
安倍総理ら国民会議が率いる政権に、政治を任せ平然?としている。

今日くらい、あの日を省みて反省してみよう。

 真実を伝えなかったマスコミも、「”デマ”と嘘と真実」を見抜けなかった私たちも、
福島原発事故を防げなかった共犯者?として・・】

ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ  問われなかった 人の道に外れた罪

福島原発事故:あの日、テレビが伝えた 「”デマ”と嘘と真実」 


 論座 RONZA 2022年01月18日
ニュースサイトや言論サイトのコメント欄は有害無益である
【様々なニュースサイト、言論サイトに当たり前のように存在するコメント欄。

 ニュースや論評に対していろいろな見地から書き込むことは、ニュースの理解を深め、さまざまな考察を生んでくれる。

 そんなふうにコメント欄がその記事を補完してくれる存在であれば良いのだが、近年はどうもそういう存在ではなくなりつつある。平気で記事の意図を無視したり、ちゃんと読んでいなかったり、つまらない揚げ足取りをしたり、中には記事の筆者を腐すこともある。


 特に特定の民族や女性、そして障害を持つ人や貧しい人の権利など、マイノリティや弱者に関わる記事で、そうした傾向が強いように感じられる。

 サイトが自らのサイトに記載された記事内容に責任を負うのは当然である。だが誰もが自由に書き込むことができるコメントに対する全ての責任を負うことはできない。

 ならばできないことはしない、コメント欄を設置しないことが真っ当なニュースサイト、言論サイトとしての責任なのである。

 もし、かつてのようにコメント欄が自由闊達な意見の場であるならば、それを維持する意味もあったであろう。

 しかし現在のコメント欄には「ストレス解消のために他人を罵倒する」「賛同されたくてネットで受ける意見ばかりを書き込む」ような人が少なくない。

 そうなればコメント欄には同じような目的の人しか近づかなくなる。建設的な議論をしたい人は書き込むどころか、目を通すこともしなくなるのである。


 もはや、こうしたサイトに誰でも気軽に書けるコメント欄を設置することは、有害無益であると僕は考えている。

 Yahoo!ニュースでいう「オーサー」や朝日新聞デジタルの「コメントプラス」のような、サイト側が選出した人たちがコメントできる制度ならまだしも、その分野に対する知識があるのか無いのかも分からない不特定多数の人にコメント欄を解放する必要性はないだろう。

 記事へのコメントは、書きたい人が自身のSNSに書いたり、5chやはてなブックマークなどの外部に書けば良いのである。

 ニュースサイトや言論サイトは責任を負える内容をサイト内に置き、責任を負えないコメント欄を設置しつづけるべきではない。もはやこうしたサイトにコメント欄が必要な時代は終わっているのである。】一部抜粋