国が認めた「黒い雨」の雨域以外にも、「黒い雨」は降り、「黒い雨」を浴びた人は多数いたが、国は頑として認めようとしなかった。

しかし今年7月、原爆の「黒い雨」を浴びた人たちが被爆者認定を求めた訴訟で原告側が全面勝訴とした。

菅首相(当時)は渋々、広島高裁判決を飲み、控訴を断念したが・・
「黒い雨」訴訟の原告ら「ようやく報われた」 菅首相 上告断念「国として受け入れがたい部分も・・」

 10年も前に、アメリカの研究機関ABCCが残した記録で、「黒い雨」に、1万3千人もの人があったことが明らかになっていたが、血も涙もない政府・厚労省は・・

黒い雨 ~活(い)かされなかった被爆者調査~:目的は人体実験?
【去年の暮れ、長崎の医師の問い合わせをきっかけに、被爆に関する「あるデータ」が突然公表された。

 原爆投下直後に降った放射性物質を含む雨「黒い雨」に、1万3千人もの人があったことを示す分布地図だ。

 データは、放射線の人体への影響を科学的に明らかにするためにアメリカの研究機関ABCCが集め、研究を引き継いだ放射線影響研究所(放影研)が保管していたものだった。

 多くの被爆者の協力のもと集められた“命の記録”。しかし今に至るまで、このデータを使って黒い雨の影響が研究されることはなかったという。】

「黒い雨」救済拡大、具体策を 岸田氏の地元・広島で被爆者が訴え


黒い雨はどこまで降ったか~気象専門家 増田善信 の約束


NHK特集 黒い雨~広島・長崎原爆の謎~


広島の「黒い雨」調査、97歳気象学者の後悔と約束


 Yahoo!ニュース・毎日新聞 最終更新:10/11(月) 18:18
「黒い雨」被爆者手帳、189人集団申請 一刻も早い救済求め
【午前10時から市内の会議室を本人ら100人以上が訪れ、原爆投下当時にいた場所や黒い雨の様子を書き込んだ申請書を手渡した。市職員約20人が対応し、内容に不備がないか点検。通常は約1カ月後に聞き取りの面接を実施するが、市職員は「国が救済方法を示していないため時間を頂きたい」と、まだ面接に入れないことを説明した。支援者によると、市以外でもこの日少なくとも20人以上が申請したとみられるという。

 9歳の時に旧砂谷村(現広島市佐伯区)で雨を浴びた前田勝司さん(85)はこの日、マイクロバスを手配し同村で雨に遭った24人を率いて申請した。「同じ空の下で、同じ黒い雨に遭った。今まで放置されてきたことが残念。できるだけ多くの人が手帳を受け取れるといい」と願った。

 過去に3回実施された雨が降った範囲に関する調査で「降雨域外」とされてきた地域から申請も。爆心地の西約30キロ、旧吉和村(現廿日市市)で雨を浴びた住田康雄さん(85)=広島市安佐南区=は「吉和村にも雨が降ったと訴えたい。諦めかけた時もあったけど、被害を認めない国に腹が立ってきた。今度こそ手帳がほしい」と話した。

 県・市は「降雨域外」にも雨が降った可能性を指摘し、「援護対象となりうるよう、控訴審判決を尊重した制度設計」をするよう、国に要請している。】一部抜粋