なぜ沖縄は戦場となり、何のために、沖縄県民の命は奪われたのか?

米軍の差し出す核の傘の下、
大和人(やまとんちゅう)は今も、沖縄人(うちなんちゅう)に犠牲を強いる。
何処に、そんな権利があるというのだろうか?

沖縄・慰霊の日:朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争 「沖縄に戦後はなかった」
もし日本軍が沖縄に来なければ、住民の投降を日本軍が止めなければ・・米軍も鬼ではない、
10万人余の民間人が命を落とすことはなかった筈だ。

 どんな大義名分が有ろうと、戦争は殺し合い、
しかも沖縄県民は、味方の筈の日本軍のせいで殺された。

「戦争が終わっても、敗戦という現実は、沖縄に新たな戦争への加担を強いることになった。朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争。米軍が投入された戦後の大規模な戦争で沖縄の米軍がかかわらなかった戦争はない。」】


沖縄殺戮戦から70年 再び捨て石に・・二重支配下の沖縄
沖縄は日本であって日本ではない。

 戦時中日本軍は、本土防衛のため住民を盾に徹底抗戦し、県民の4人に1人が犠牲に。
いまも日米同盟の人身御供として、7割超の米軍基地が狭い沖縄に。

 沖縄守備隊に下された大本営からの指令は、住民を巻き込んだ徹底抗戦玉砕?)。
その結果、沖縄県民の四人に一人、約十五万人が犠牲に。

 そして今、属国?沖縄の民意を無視し、かつての敵・米軍のため、
辺野古基地建設を強行する、安倍・先祖帰り内閣。

 江戸時代には薩摩藩に、戦後は、アメリカと日本の二重支配に苦しめられてきた沖縄。
これ以上の忍従を強いられるなら、琉球国として 独立を目指す道もあるのでは?】


沖縄慰霊の日、74年経っても終わらぬ戦後=米軍基地と不平等条約・日米地位協定ある限り・・
【日米地位協定の見直しを頑として拒否!?沖縄の負担を、少しでも軽くしたくない!?
安倍総理のあいさつは、今年も血の通わぬコピペ、たった4時間で本土にご帰還。

本土決戦を遅らせるため民間人を盾に?仕立て、県民の4人にひとり、10万人近くの命を奪った反省もなく、今なお過度な基地負担を強いる本土政府。】


慰霊の日 「軍隊は住民を守らない」 歴史の忘却、歪曲許さず
【 「軍隊は住民を守らない」 沖縄戦で日本軍は、
  本土決戦を遅らせるため沖縄県民を盾に・・
  そして沖縄県民の4人にひとり、10万人近くが命を奪われた。

 「軍隊は住民を守らない」 時に軍隊は、自国民を弾圧する。

 「軍隊は住民を守らない」 時に軍隊は、戦争の口実を作り、国を滅ぼす。

 「軍隊は住民を守らない」 時に軍隊は、駐留地の住民を蹂躙する。】


「終戦の詔書」せめて後10日、昭和天皇の決断が早ければ・・
【もし「終戦の詔書」が後5ヶ月早ければ、
本土決戦を遅らせるため捨石にされた沖縄で、県民の四人に一人が犠牲になることも、
沖縄にだけ米軍基地を押し付けられることもなかったかも知れない。

 そもそも、戦争を始めなければ、数千万の命は奪われず・・】


 毎日新聞 2020年6月23日 09時39分
戦場の住民たち・沖縄戦75年「捕虜に行くとき殺してやる」 日本兵が沖縄に向けたスパイの視線、増えた犠牲
【「沖縄人は皆、スパイだ」。沖縄県宜野湾市の大城勇一さん(86)は11歳だった75年前、米軍の侵攻から家族で逃れた沖縄本島最南端の糸満市摩文仁(まぶに)の海岸で日本兵から吐き捨てるように言われた言葉が忘れられない。日本兵はこう続けたという。「捕虜に行くときは後ろから手榴弾(しゅりゅうだん)(手投げ弾)を投げて殺してやるから覚えておれ」。狭い島で軍民が混在した戦場となった沖縄戦では、多くの住民が日本軍からスパイの疑いをかけられて犠牲者が増えた。

 1945年4月1日、米軍は沖縄本島中部の西海岸に無血上陸した。日本軍は本土防衛のために持久戦に持ち込んで時間を稼ごうとし、中南部で迎え撃つ作戦を取った。だが、米軍は総戦力で日本軍を圧倒。首里にあった日本軍司令部は5月下旬に本島南部へ撤退し、そこに避難した住民は「鉄の暴風」と形容される海、空、陸からの激しい攻撃にさらされた。】一部抜粋