カネミ油症事件の加害者は、カネミ倉庫だと認識していましたが、主因?は原因物質PCBを製造した鐘淵化学工業(現カネカ)にあったと、長崎新聞の記事に・・

イタイイタイ病、水俣病、森永ヒ素ミルク中毒事件・・公害裁判の例に漏れず、
原因企業側に立つ?国の無理解に患者らは苦しめられ、いまだ未認定患者も・・
カネミ油症50年、犠牲者悼む 被害救済なお課題
水俣と福島-チッソ、東電、国、そして御用学者・・企業救済を優先。

原発事故、生食肉食中毒、薬害エイズ、肝炎、年金記帳漏れ、汚染米も、狂牛病も・・・
すべては、優秀なはずの官僚と無能な政治家の無責任が原因だった。
なぜ、官僚を選挙で選べない?!無責任が生んだ悲劇。

食品公害「カネミ油症」


長崎新聞より
カネミ油症50年 次世代影響 尽きぬ不安 教訓継承 きょう五島で記念行事
【カネミ油症事件が1968年10月に発覚して50年。被害者が多い五島市では17日、犠牲者を追悼し教訓を考える記念行事「油症の経験を未来につなぐ集い」を開く。被害者が現在望んでいるのは子や孫ら次世代の救済制度などだが、国や原因企業の動きは依然鈍い。集いではこれらの問題も議論される。一方、母子手帳の記録から次世代の健康実態を探る長崎大の研究者らの調査が新たに始まっている。

 子や孫に影響があるのでは-。被害者は、原因物質ダイオキシン類による健康被害の世代を超えた連鎖に不安を抱えている。五島市奈留町の認定患者、岩村定子さん(69)もその一人。19歳のころ、奈留島で汚染油を摂取。4年後に結婚し、24歳で授かった長男は唇が裂け、肛門は閉じ、心臓にも重い障害があり、生後4カ月で亡くなった。その後、次男と長女が誕生。「五体満足で生まれてくれて、ほっとした」

 ただ次男と長女は幼い頃、歯茎の色素沈着や疲れやすさなど油症を疑う症状があった。2010年にやっと油症認定された岩村さんは、わが子2人に自らの症状や次世代被害の可能性を明かした。次男は昨年初めて油症検診を受けたが未認定。子どもがいる長女はまだ受診していない。「ダイオキシンが体に残る私から生まれた子や孫に何の影響もないとは思えない」。岩村さんは不安を募らせる。

 こうした被害者の思いに接し、7月から新たな調査を始めたのが、長崎大大学院地域医療学分野客員研究員で、県上五島病院小児科の小屋松淳医師(38)。4年前に五島中央病院で被害者の声を聞いたのがきっかけだった。

 ダイオキシン類は、母体から胎盤や母乳を通じ子に移行するとの研究報告があるが、診断基準設定を担う全国油症治療研究班は「次世代被害は医学的に確認されていない」との立場。このため次世代の大半は未認定。親と同様の症状でも補償や医療費支給を受けられない。

 小屋松医師は、22年3月末までに県内の認定患者の母親から生まれた子世代、孫世代の母子手帳から、出生時や1カ月~3歳の定期健診時の体重、身長、心理検査結果などのデータを集め、一般的な発達発育(心や体の成長)との「差異」があるかを統計的に探る。手帳のデータ収集は、子世代、孫世代それぞれ各100人分を目標としている。

 ダイオキシン類の血中濃度が高い母親から生まれた子は低体重の傾向との報告もあり「研究で(一般的な人との)差があると分かれば若い世代への予防的検査や治療につなげられる。差がないなら不安や偏見を取り除ける」と意義を語る。
 母子手帳が捨てられてしまえば貴重なデータは失われる。「研究記録を残し、次の世代の医療者に引き継がなければ」。小屋松医師はそう話す。】

 長崎新聞・2018/7/16付
<カネミ油症50年>「カネカが回収すべきだった」 カネミ倉庫社長インタビュー  CB処理負担に不満
【米ぬか油独特の香ばしい匂いが漂う工場敷地内。高さ10メートル近い機械や建屋が立ち並んでいる。カネミ油症事件の原因となった汚染油を製造、販売したカネミ倉庫(北九州市)は、今も食用油を作り続けている。
 過熱、ろ過、冷却-。さまざまな工程を通して油の不純物を取り除くのだという。「米ぬか油には結構な時間と手間が掛かるんです。もちろん安全面は徹底しています」。加藤大明社長(61)は年季の入った機械を見上げ、強調した。

 事件発覚当時、油症の原因物質ポリ塩化ビフェニール(PCB)の毒性は社会的に認知されていなかったとされる。PCBを製造した鐘淵化学工業(現カネカ)の当時のパンフレットには、次のような記述がある。

 「カネクロールによる金属材料の腐蝕は、高温、低温を問わず、実用上問題はなく、材質の選択は自由であります」
 PCBによる金属腐食性も否定しているように読める。食用油に大量混入したPCB。原因は裁判において、脱臭工程でステンレス管を流れるPCBが管を腐食させ、漏れて食用油を汚染したとみられ、PCBを製造販売したカネカの責任も追及された。だが、後にカネミ倉庫の人為的ミスと隠蔽(いんぺい)行為があったとの見方が強まり、全責任がカネミ倉庫にあるとの判断に一気に傾いた。

 加藤社長は、「混入原因は、はっきり言って分からない。当時を知る社員はもういませんし。僕らはピンホール(腐食穴)が原因としか言いようがない。そしてPCBにもし毒性があると分かっていたら(食品製造工程で)使ってない」と断言。PCBそのものに問題があり、購入時のカネカの説明も不十分だったことを訴える。
 PCBは、カネミ油症をきっかけに製造中止となったが、既に社会環境に大量に存在。PCBの保管、処理は特措法などにより、メーカーではなく購入した企業側が費用負担することになっており、加藤社長はその不満もぶちまけた。

 「うちの場合、コンクリート小屋を造り、鉄板の大きな箱を入れ、その中にPCBを全部保管させられた。無害化処理する費用には2千万円もかかった。本来、カネカが全回収し処理するのが当たり前じゃないのか」
     ◆
 1968年の事件発覚当時のカネミ倉庫社長は故加藤三之輔氏。長男の現社長は20年ほど前、40歳のとき社長職を引き継いだ。68年当時は小学5年生だった。
「ある日学校に行くと誰も話してくれなくなった。近所のパン屋に『人殺しの子に売るパンはない』とか言われた。会社に大挙して来たマスコミに手をつかまれ、『お父さんどこおっとや!』と怒鳴られた」

 油症は、1年間に限っても約1万4千人が健康被害を届け出た。ひどい吹き出物や全身疾患で多くの被害者がもがき苦しみ、亡くなっていった。被害は甚大で、治療法はまだない。有害化学物質を経口摂取していない次世代(被害者の子や孫ら)の健康被害も懸念されている。そしてカネミ倉庫は、事件の責任を果たすべき立場にある。
 「ある日、飯を食っていると父から『明日から社長をしろ』と言われた。親子2代で事件をいい方向に持っていくのも運命かなと思い、引き受けた。患者さん、取引先、従業員への責任があり、トップがへこたれるわけにはいかんということでやっている」
 三之輔氏は2006年に死去。「おやじはもっと早く収束すると思っていただろうなと思う。原因が解明されて治療薬もできて、患者さんが健康を取り戻してくれてと。その見込みが甘かったんでしょうね」

 現在、政府米の保管料など国の支援も受けながら認定患者の医療費や見舞金などを支払っているカネミ倉庫。だが経営は厳しいという。カネカは被害者が求める協議にも応じていないが、同社の救済の枠組みへの参加が被害者支援の拡充に不可欠と考える。

 「うちの企業体だけではどうしようもないところまで来ている。カネカは法的に無責と言うが、自分たちが作った物で被害者が出ているんだから責任がゼロってことはあり得ない」。加藤社長は再び語気を強めた。】

 朝日新聞・2018/6/16付
私はカネミ油症だったの? 発生50年、被害気づく人も
【ダイオキシン類などで汚染された食用油による食中毒「カネミ油症」の事件発生から今年で50年。油は広く西日本一帯に流通したとされるが、被害の実態は不明な点も多い。首都圏に住む患者や支援者らが17日、東京で集会を開き、問題が今も未解決であることを訴える。近年になって「自分は油症かもしれない」と気づいた女性も声を上げる。

 被害が広く報じられた68年10月から約1年で、保健所に被害を届けたのは1万4千人を超え、近畿、中国地方、四国、九州のほぼ全県にわたった。だが、汚染された油の流通経路や購入先の調査は徹底されず、被害の広がりの実態は今日まで不明なままだ。

 女性は西日本の山あいの村で育った。10歳だった68年3月、顔や体の一面に黒い吹き出物が現れた。成人後は体のあちこちに脂肪腫ができ、手足の硬直、倦怠感や抑うつに悩まされた。月経は激しい痛みと大量の出血を伴い、流産と死産を繰り返して子どもはあきらめた。病院では「原因不明」と言われ続けた。

 発症当時、家族にも同様の症状が出たが、だれも医師から油症の疑いを指摘されなかった。今となっては自身も家族も、当時食べたのがカネミ油だったのか分からない。

 油症との関連を疑い、首都圏の患者らが集まるカネミ油症関東連絡会に相談した。多くの患者と交流のある佐藤礼子さん(79)は「皮膚症状や婦人科疾患など油症に特徴的な多くの症状と発症時期を考え合わせると、女性が油症である可能性は高い」と指摘する。

 カネミ油症は、国の全国油症治療研究班などが、皮膚症状やダイオキシン類の血中濃度などの診断基準で「総合的」に患者を認定する。近年は検診で新たに認定される患者はわずかで、昨年度は123人が受診して認定はわずか2人。女性も12年に検診を受けたが、認定されなかった。

 それでも、かつての自分のように被害を受けた可能性すら気付かずに苦しむ人が全国にいるのではないか、と考えた。再び連絡会の会合に通い、自分の体験を「私はなんの病気?」という題の紙芝居にした。17日の集会で披露する。「被害者が多く名乗り出れば、認定や救済のあり方が変わるかもしれない」と女性は望みをつなぐ。

 連絡会の集会「カネミ油症とPCB処理問題を考える」は東京都豊島区のとしま産業振興プラザで17日午後1~4時に開かれる。予約不要。】