安倍首相の大叔父・佐藤栄作首相(当時)は、非核三原則を掲げ、後にノーベル平和賞を受賞しているが、当時から、彼の平和賞受賞に疑問を呈する声が・・

ノーベル平和賞委員会は、『ノーベル賞 平和への100年』の中で
佐藤氏はベトナム戦争で、米政策を全面的に支持し、日本は米軍の補給基地として重要な役割を果たした。後に公開された米公文書によると、佐藤氏は日本の非核政策をナンセンスだと言っていた」と指摘。
※ 佐藤栄作 - ノーベル平和賞をめぐって - Weblio辞書より引用

図らずも、米政府の秘密指定解除で、
佐藤栄作首相(当時)のノーベル平和賞受賞は間違いだったと証明される結果に・・

どうやら、佐藤栄作首相(当時)も、安倍首相と同様、日本の核武装には前向きだったようだ。
安倍総理の持論「核兵器、保有も使用も合憲」と矛盾=『核兵器のない世界』実現へ国際社会を主導??

核兵器のない世界を目指す」と言いながら、核兵器禁止条約に立ちはだかる安倍首相と、ノーベル平和賞を(結果的に)詐取?した佐藤栄作氏、岸家の血がそうさせるのだろうか?
血は争えない? 首相の冷静さ欠いた 朝日新聞「捏造」発言

 Yahoo!・朝日新聞デジタルより
核ミサイル防衛、日本も検討していた 50年前極秘協議

【日本政府が1960年代後半に核兵器である弾道弾迎撃ミサイル(ABM)の国内配備を検討し、米国政府と協議を重ねていたことがわかった。ABMは米国が東西冷戦期にソ連や中国と対立する中で開発。当時すでに日本政府が唱えていた「非核」の方針に反する極秘協議で可能性を探った。

 米政府が秘密指定を解除した日米安全保障高級事務レベル協議(SSC)の議事録などから判明した。SSCは今も続く日米の外務・防衛当局間の高官協議で、佐藤栄作首相(当時)の了承を得て67年に発足。同年5月の初会合から68年1月の第3回まで、日本側の関心に米側が応じる形でABMが主要議題となった。

 議事録によると、初会合で米側は検討中のABMについて「大統領用資料」をもとに説明。日本側は牛場信彦外務事務次官が「『日本でも配備を』と国民から圧力があるだろう」とし、日本に届く中国の中距離ミサイルをABMで迎撃することへの関心を伝えた。

 米国は67年9月にABM導入を発表。ソ連を刺激すれば核大国同士の軍拡競争に陥る恐れから、急速に核ミサイル開発を進めていた中国向けとされた。同盟国にも配備するかが焦点となり、前月の第2回会合でジョンソン駐日大使が日本の意向を「確実に考慮する」と表明。第3回会合では、米側が「日本のミサイル防衛と防空」や中国の核能力を説明し、議論は海上配備の特性や迎撃高度による地上の放射能汚染の差など、自衛隊での運用も視野に入れた具体論に踏み込んだ。】