政権ヨイショ記事を書くのは報道とは呼ばない。
権力を監視し、国民に真実を知らせる事こそが、報道人に課せられた使命。
岸井さん、筑紫さん・・権力に物申す 真のジャーナリストを次々と失い、
日本の報道の自由度は、先進国中最下位。中国や北朝鮮を笑えない惨状。
【2017】「報道の自由度ランキング」日本は72位!「政権側がメディア敵視を隠そうとしなくなっている」
報道の自由
Yahoo!ニュースの当該記事には、偏向報道など誹謗コメントの嵐。
岸井さんは、あの世で苦笑されていることだろう。
岸井成格さん死去「NEWS23」元アンカー 穏やかな語り口と鋭い舌鋒


Yahoo!ニュース・TBSNEWSより
岸井成格さん死去、原点は戦争そして権力の監視
【新聞からテレビまで、様々な場を通じて発信を続けてきた岸井成格さん。ジャーナリストとしての原点は、戦争、そして、権力の監視でした。
今から24年前、TBSテレビ「サンデーモーニング」に出演する岸井成格さんです。毎日新聞の記者を務めるかたわら、テレビでは常に舌鋒鋭くニュースに切り込む姿がありました。
「NEWS23」では、2013年4月から番組のアンカーに。2週間後、行政が水俣病と認めなかった患者を最高裁が初めて患者認定したニュースを取り上げた際には、記者の原点について、こう話しました。
Q.岸井さんは、新聞記者として新人で配属されたのが熊本県だったということで、その当時から取材をしてきているんですよね?
「私にとって、記者活動のスタートは水俣病取材」(岸井成格さん・2013年4月16日放送)
自身もがんと闘っていた岸井さんは、自らがん治療の最前線を取材。
「実は私も2度、ガンを経験しております」(岸井成格さん・2014年1月6日放送)
東日本大震災から3年がたった2014年3月11日には、被災地から中継を行いました。
「ちょうどあの時刻、私は新聞社でその日のニュースの打ち合わせをやっていたんですよね。もう立っていられないほどの激しい揺れだった」(岸井成格さん・2014年3月11日放送)
現地を歩き、被災者の声に耳を傾けました。
「震災は決して終わっていない。そして、この記憶を風化させてはならない」(岸井成格さん・2014年3月11日放送)
震災を機に、原発のあり方も問い続けました。
「原発の安全神話は崩壊した。再稼働前にもう1回、5年たって考え直してほしいなと思います」(岸井成格さん・2016年3月10日放送)
環境問題にも熱心に取り組み、植樹活動にも自ら携わりました。
歴史好きな一面をのぞかせることも。
「日本列島で一番最初にできたのが淡路島ということが、ちゃんと明記されているんですよ」(岸井成格さん・2015年5月20日放送)
そして、岸井さんは、激動するこの国の行く末に、厳しく注文をつけ続けました。特定秘密保護法案が衆議院を通過した日には・・・
「なぜそんなに強引に、しかも急いで成立させなければいけないのか。十分な説明がまだありません。また、多くの疑問や危険性の懸念も払拭されないままです」(岸井成格さん・2013年11月26日放送)
集団的自衛権の一部行使を容認した安保法制については、権力の暴走と厳しく批判しました。
「非常にあいまいな、そういう言葉が氾濫しちゃってて、とても国民の耳には届かない、そういうことが多いんですよね。その中で、唯一、だんだんわかってきたことは、アメリカから要請があれば自衛隊いつでもどこへでも出しますよ、自衛隊を派遣しますよということだけは非常にはっきりしてきた。やっぱりこういうことで、憲法学者や国民の声に耳を傾けないという、自由な言論を認めないということは本当に権力の暴走ではないかと言わざるを得ないと私は思いますね」(岸井成格さん・2015年7月15日放送)
戦中生まれの立場から、戦争の記憶が薄れゆくことを危惧。戦後70年の沖縄慰霊の日は、現地で取材に当りました。
「沖縄にとって戦争はなお身近にあり、平和は本当に切実な願いなんですね。それを踏まえて、私は、こちらのフリップにこう書かせていただきました。『沖縄の心』です。今、基地問題だけでなく、安保法制、憲法のあり方をめぐって、また国のあり方が大きく変わろうとしている、そういう転換点にあります。きょうの慰霊の日を沖縄だけでなく、私たち国民1人1人が考える、そうしたきっかけの日にしたいと思いました」(岸井成格さん・2015年6月23日放送)
そして2016年3月25日、岸井さんが「NEWS23」を去る日がやってきます。
「今、世界も日本も歴史的な激動期に入ったんですね。そういう中で、新しい秩序とか、あるいは枠組みづくりって模索が続いているんです」(岸井成格さん・2016年3月25日放送)
その後も「サンデーモーニング」に出演を続けましたが、去年12月から、病状の悪化を理由に出演を見合わせていました。
関口宏さんは、15日夜・・・
「でもね、いつかは来ちゃうかなって思いはあったな。最後に会ったのは、春ちょっと前だったかな。でも、もうその時ね、言葉がなかなか出ない、そんな状態だったんですよ。その時に何か言いたいことはないって聞いたら、一生懸命、彼は声に出そうとして。『たるんじゃったな、みんな』。最後に聞いた彼の言葉だった。残念です」(関口宏さん)
岸井さんが伝えたかったことは・・・
「報道は変化に敏感であると同時に、やっぱり極端な見方に偏らないで、そして、世の中や人間としての良識、常識を信じて、それを基本にすると。真実を伝えて権力を監視する、ジャーナリズムの姿勢を貫くということが、ますます重要になってきているなと感じています」(岸井成格さん)
(15日23:18)】
権力を監視し、国民に真実を知らせる事こそが、報道人に課せられた使命。
岸井さん、筑紫さん・・権力に物申す 真のジャーナリストを次々と失い、
日本の報道の自由度は、先進国中最下位。中国や北朝鮮を笑えない惨状。
【2017】「報道の自由度ランキング」日本は72位!「政権側がメディア敵視を隠そうとしなくなっている」
報道の自由
Yahoo!ニュースの当該記事には、偏向報道など誹謗コメントの嵐。
岸井さんは、あの世で苦笑されていることだろう。
岸井成格さん死去「NEWS23」元アンカー 穏やかな語り口と鋭い舌鋒


Yahoo!ニュース・TBSNEWSより
岸井成格さん死去、原点は戦争そして権力の監視
【新聞からテレビまで、様々な場を通じて発信を続けてきた岸井成格さん。ジャーナリストとしての原点は、戦争、そして、権力の監視でした。
今から24年前、TBSテレビ「サンデーモーニング」に出演する岸井成格さんです。毎日新聞の記者を務めるかたわら、テレビでは常に舌鋒鋭くニュースに切り込む姿がありました。
「NEWS23」では、2013年4月から番組のアンカーに。2週間後、行政が水俣病と認めなかった患者を最高裁が初めて患者認定したニュースを取り上げた際には、記者の原点について、こう話しました。
Q.岸井さんは、新聞記者として新人で配属されたのが熊本県だったということで、その当時から取材をしてきているんですよね?
「私にとって、記者活動のスタートは水俣病取材」(岸井成格さん・2013年4月16日放送)
自身もがんと闘っていた岸井さんは、自らがん治療の最前線を取材。
「実は私も2度、ガンを経験しております」(岸井成格さん・2014年1月6日放送)
東日本大震災から3年がたった2014年3月11日には、被災地から中継を行いました。
「ちょうどあの時刻、私は新聞社でその日のニュースの打ち合わせをやっていたんですよね。もう立っていられないほどの激しい揺れだった」(岸井成格さん・2014年3月11日放送)
現地を歩き、被災者の声に耳を傾けました。
「震災は決して終わっていない。そして、この記憶を風化させてはならない」(岸井成格さん・2014年3月11日放送)
震災を機に、原発のあり方も問い続けました。
「原発の安全神話は崩壊した。再稼働前にもう1回、5年たって考え直してほしいなと思います」(岸井成格さん・2016年3月10日放送)
環境問題にも熱心に取り組み、植樹活動にも自ら携わりました。
歴史好きな一面をのぞかせることも。
「日本列島で一番最初にできたのが淡路島ということが、ちゃんと明記されているんですよ」(岸井成格さん・2015年5月20日放送)
そして、岸井さんは、激動するこの国の行く末に、厳しく注文をつけ続けました。特定秘密保護法案が衆議院を通過した日には・・・
「なぜそんなに強引に、しかも急いで成立させなければいけないのか。十分な説明がまだありません。また、多くの疑問や危険性の懸念も払拭されないままです」(岸井成格さん・2013年11月26日放送)
集団的自衛権の一部行使を容認した安保法制については、権力の暴走と厳しく批判しました。
「非常にあいまいな、そういう言葉が氾濫しちゃってて、とても国民の耳には届かない、そういうことが多いんですよね。その中で、唯一、だんだんわかってきたことは、アメリカから要請があれば自衛隊いつでもどこへでも出しますよ、自衛隊を派遣しますよということだけは非常にはっきりしてきた。やっぱりこういうことで、憲法学者や国民の声に耳を傾けないという、自由な言論を認めないということは本当に権力の暴走ではないかと言わざるを得ないと私は思いますね」(岸井成格さん・2015年7月15日放送)
戦中生まれの立場から、戦争の記憶が薄れゆくことを危惧。戦後70年の沖縄慰霊の日は、現地で取材に当りました。
「沖縄にとって戦争はなお身近にあり、平和は本当に切実な願いなんですね。それを踏まえて、私は、こちらのフリップにこう書かせていただきました。『沖縄の心』です。今、基地問題だけでなく、安保法制、憲法のあり方をめぐって、また国のあり方が大きく変わろうとしている、そういう転換点にあります。きょうの慰霊の日を沖縄だけでなく、私たち国民1人1人が考える、そうしたきっかけの日にしたいと思いました」(岸井成格さん・2015年6月23日放送)
そして2016年3月25日、岸井さんが「NEWS23」を去る日がやってきます。
「今、世界も日本も歴史的な激動期に入ったんですね。そういう中で、新しい秩序とか、あるいは枠組みづくりって模索が続いているんです」(岸井成格さん・2016年3月25日放送)
その後も「サンデーモーニング」に出演を続けましたが、去年12月から、病状の悪化を理由に出演を見合わせていました。
関口宏さんは、15日夜・・・
「でもね、いつかは来ちゃうかなって思いはあったな。最後に会ったのは、春ちょっと前だったかな。でも、もうその時ね、言葉がなかなか出ない、そんな状態だったんですよ。その時に何か言いたいことはないって聞いたら、一生懸命、彼は声に出そうとして。『たるんじゃったな、みんな』。最後に聞いた彼の言葉だった。残念です」(関口宏さん)
岸井さんが伝えたかったことは・・・
「報道は変化に敏感であると同時に、やっぱり極端な見方に偏らないで、そして、世の中や人間としての良識、常識を信じて、それを基本にすると。真実を伝えて権力を監視する、ジャーナリズムの姿勢を貫くということが、ますます重要になってきているなと感じています」(岸井成格さん)
(15日23:18)】