国がアメリカとの政治決着で、なかった事にした「第五福竜丸」以外のビキニ被ばく

 当時周辺海域にいた漁船延べ556隻の検査結果は2014年まで隠蔽され、
「第五福竜丸」以外のビキニ被ばく者への補償は一切行われなかった。

<ビキニ水爆実験>米、日本政府に圧力 「死の灰」報道不満:米公文書で判明
【当時のアメリカ政府が、「死の灰」報道に不満を持ち、日本政府に圧力を掛けた姿は、
そのまま、福島原発事故による放射能被害を小さく見せようとする、今の原子力ムラ、安倍政権の姿】

ビキニ水爆実験から60年、核兵器も原発も非人道的存在
【1954年3月の核実験で、ビキニ周辺の海に「死の灰」が降った。

周辺海域では日本のマグロ漁船が操業していた。静岡・焼津からやってきた「第五福竜丸」が象徴的だが、三崎から出漁していた漁船も多かった。

「原爆マグロ」の風評が三崎の街を襲う。船体は放射線検査の対象となった。水揚げされたマグロは次々に捨てられた。
そのころ米政府内では、事件の幕引きに向けた議論が進められていた。

「日本はおそらく魚の廃棄など間接的な被害も主張してくる。補償の提案額を引き上げ、早期に合意を得るべきだ」。秘密指定の解除された外交文書には、米政府高官の思惑がにじむ。結局、200万ドルの慰謝料を米側が支払うことで両政府は合意した。】

第五福竜丸 1959年公開
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南洋に降る雪?死の灰
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 日刊スポーツより
ビキニ被ばくで元漁船員ら45人が国賠初提訴
【1954年の米国による太平洋・ビキニ環礁での水爆実験の際に周辺海域にいた元漁船員やその遺族ら45人が9日午後、被ばくに関する調査結果を日本政府が長年開示せず、米国への賠償請求の機会を奪われたなどとして、元船員1人当たり200万円の慰謝料を求める国家賠償請求訴訟を高知地裁に起こす。

原告は主に高知県の漁船の元船員とその遺族らで、高知、神奈川、兵庫の各県在住。訴訟では、国が事前に実験について知っていたのに漁船に周知しなかったと主張。さらに被ばくに関する調査結果を意図的に隠し、実験から60年もたった後に開示した結果、元船員らは米国への賠償請求権などを時効で失い、精神的打撃を被ったと訴える。また55年の米側の見舞金で政治決着して以降、一切の追加調査や補償を放置してきた国の不作為についても追及する。

 ことし2月には、周辺海域で被ばくし、後にがんなどを発症したとして今回の原告のうち高知県内の元船員やその遺族ら10人が船員保険適用を全国健康保険協会(東京)に申請している。】一部抜粋

 毎日新聞・過去記事より
ビキニ被ばく 労災申請へ 福竜丸以外、がん発症元船員ら
【 ビキニ水爆実験の被害を巡っては、1955年に米国が日本に200万ドル(当時で約7億2000万円)の「見舞金」を支払い政治決着した。第五福竜丸の元船員には1人200万円が分配されたが、他の船の被害については実態解明すらされていない。

 2014年9月には厚生労働省が同センターの請求に対し、第五福竜丸以外の被ばく状況を調査した文書を初めて開示した。ただ、当時の船員が浴びた被ばく線量は微量で、健康に影響する国際基準を下回るという見解だ。一方、岡山理科大の豊田新教授(放射線線量計測)らは同年、現場の東約1300キロで遭遇した元船員の歯のエナメル質を調査し、最大414ミリシーベルトを計測したと報告した。これは広島原爆の被爆者が爆心地から1.6キロで浴びた線量に匹敵するという。

 原爆被害では、被爆者援護法は爆心地から3.5キロ以内で被爆したなどの条件を満たす人が、がんなど特定の病気になると「原爆症」と認める仕組み。原発作業員の場合、年間の被ばく線量を加味して被ばくと病気の因果関係が認められれば労災認定される。

 ビキニ水爆実験に遭遇した元船員には救済制度はないが、第五福竜丸の元船員が船員保険の適用を受けた例がある。申請に当たっては豊田教授らの調査結果などを示す考えで、聞間医師は「保険適用の可能性は十分にある。元船員や遺族の長年の苦しい思いを少しでも晴らしたい」と話す。多数の船が被害に遭ったとされる高知県内には数百人が存命しているとされ、同県は昨年、元船員を対象にした健康相談を実施した。

 同県室戸市のマグロ漁船「第二幸成丸」で実験に遭遇し、胃がんを発症した桑野浩(ゆたか)さん(83)=高知市=は「これまで政府は無関係を通してきた。救済手段があることも知らず、あきらめの気持ちが強かった。事件を風化させないためにも協力したい」と語る。【最上和喜】

 【ことば】ビキニ水爆実験

 米国が1954年3月1日~5月14日、太平洋マーシャル諸島ビキニ環礁を中心に実施した6回の核実験。初回に東方約160キロの危険区域外にいた第五福竜丸が放射性降下物(死の灰)を浴びて被ばく、乗組員23人のうち無線長の久保山愛吉さん(当時40歳)が半年後に死亡した。日本船は広範囲で被災、漁獲物を廃棄するなどした。厚生労働省は「当該海域に延べ1000隻、(2回以上被災した船もあり)実数550隻程度と言われる」とし、1隻当たり約20人、実数で約1万人が影響を受けたとみられる。】一部抜粋