報道ステーション、3月の特集一覧
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 2016年3月11日放送
原発事故と関係ないのか…福島の子どもたちの甲状腺がん
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【東日本大震災から5年。福島第一原発事故後、福島県は、当時の18歳以下の子どもに甲状腺検査を実施している。2011年から行われた先行検査、いわゆる1巡目では115人。そして、2014年から同じ子どもたちを対象に行われた本格検査、2巡目では現時点で51人、合わせて166人が『がん』または『がんの疑い』と診断された。甲状腺はのど仏にある小さな臓器だ。海藻などに含まれるヨウ素を取り込んで甲状腺ホルモンを作り、全身に送り出す。子どもの発育や成長を促したり、新陳代謝を高めたりする体に欠かせないホルモンだ。問題なのは、甲状腺は、原発事故で放出された放射性ヨウ素も取り込んでしまうこと。甲状腺に放射性ヨウ素が集まると、その放射線によって内部被ばくし、がんになるリスクが高まる。特に、子どもは大人より放射線の影響を受けやすい。原発事故の後、福島県が子どもの甲状腺検査を続けているのもそのためだ。

甲状腺がんにはいくつか種類があるが、中でも最も多い『甲状腺乳頭がん』は、体のほかのがんに比べて、命にかかわることは少ないとされる。一方で、子どもの場合は、首のリンパ節への転移が激しいという特徴がある。また、治療後の再発も多く、肺に転移する頻度も高いとされている。福島県による検査でも手術を行った子どものうち、実に74%がリンパ節に転移していた。子どもの甲状腺乳頭がんは、比較的珍しい疾患で、まだわかっていないことが多い

福島県中通り地方に住む直美さん(仮名)。福島県が2011年から行っている甲状腺検査で甲状腺に異常が見つかった。甲状腺を摘出する手術を受け、首元にはいまも手術の痕が残っている。直美さんは「腫瘍を取って、リンパ節にも転移していたから、周りも取る手術をした。3カ月くらい声がかすれてつらかった」と話す。原発事故後、当時、学生だった直美さんは通学や体育の授業、日々の買い物など、外にいる時間も多かったという。直美さんは「みんなと一緒にマスクはつけずに生活していた。マスクをしていて、変わっているとか思われたくなかった」と話す。

手術後、体調が悪くなり、進学した学校を辞めざるを得なかった直美さん。「進学したときに夢があった。それを追いかけて仕事にしたかったが、それを諦めたのが一番、つらい。治療に専念しないといけないというのは薄々思っていた。人生が大きく変わってしまった」と語る。そして、今もがんの再発や転移に怯える日々が続いている。直美さんは「自分がどのくらい被ばくしているのかわからない。『何で私なのか』と思ったけど、『誰かがならないといけないのかな』と思ったりもした。でもなったからには、がんと闘っていかないと。これからずっと向き合っていくしかない」と話す。

悩んでいるのは患者だけでなく、家族も同じだ。Aさんは、当時10代の息子が甲状腺がんと宣告された。「ストレートに医師に言われたとき、当然、私もびっくりしたけど、息子は顔面蒼白になって、相当ショックを受けていた」という。事故当時、10代の娘を持つBさんは「娘も甲状腺がんと聞いた瞬間、青ざめて涙を流した。女の子なので、いずれ結婚、出産を考えると思う。そのとき『自分はがん』という負い目があると思う。それを考えたら親としてはつらい」と話す。Cさんは「娘のがんが、将来、再発しないよう祈るしかない」と語る。県の部会が出した報告書には『甲状腺がん(乳頭がん)は発見時での病態が必ずしも生命に影響を与えるものではない。生命予後の良いがんであることを県民にはわかりやすく説明』と書かれている。治療をすれば命にかかわることはあまりないということだ。しかし、親はみな『死なないなら、たいしたことはない』と思ってほしくないと訴える。

この3人の親を含めて多くの家族を取材するなかで、『医師とのコミュニケーションがうまくいかない』『いわれなき差別を受けた』『ほかの病院でのセカンドオピニオンの受け方がわからない』など、さまざまな悩みを聞いた。しかし、その悩みを相談する相手がいない。孤立していった家族。彼らが中心となって【311甲状腺がん家族の会】を作った。地方の方などが世話人となり、原発事故後に甲状腺がんと診断された子どもらの家族に会への参加を呼びかけるという。現在、参加家族は、福島県中通り地方の4家族と浜通り地方の1家族。家族会で見えてきた問題を解決するため、随時、県や国などに働きかけるという。

甲状腺がんと原発事故との因果関係はあるのか。岡山大学の津田敏秀教授は、原発事故前の日本全体と比べ、事故後の福島県内での子どもの甲状腺がん発生率は20~50倍になっているとする論文を発表。「福島県内において放射線の影響による著しい甲状腺がんの多発が起こっている」と主張する。

有識者による福島県の検討委員会は、事故から5年を機に「中間報告」をまとめようとしている。その最終案では、1巡目で発見された甲状腺がんについて、放射線の影響が「完全には否定できない」としながらも、『被ばく線量が少ない』『事故当時5歳以下からの発見はない』など、4つの項目を理由に挙げて『放射線の影響とは考えにくいと評価する』と結論付けた。
検討委員会のメンバーで、チェルノブイリを何度も訪れたことがある長崎大学の高村昇教授は「これまで福島で、事故当時0~5歳で甲状腺がんを発症した人がいない。チェルノブイリでは、事故当時0~3歳、あるいは0~5歳といった、非常に若い世代で甲状腺がんが多発している」と解説する。本当にそうなのか。我々には納得できない思いが残る。

かつて100万人に1人か2人といわれた子どもの甲状腺がんが、なぜこれほど見つかるのか。検討委員会メンバーの一人、国立がん研究センターの津金(つがね)昌一郎氏は「過剰診断である」と指摘する。これまで子どもの甲状腺がんは症状が現れ、治療を受けることで初めて見つかっていた。これが100万人に1人や2人という割合だった。津金氏は、現在の甲状腺検査が、県民全体を積極的に調べることで、それまで見つけていなかったがんを拾い上げているのだと説明。津金氏は、甲状腺がんの多くが極端に成長速度が遅く、長期間、症状として出ないものもあると考える。それらを子どものころの検査で発見しているというのが“過剰な診断”。見つける必要のないものを見つけているという。

しかし、そうすると大きな疑問が生じる。これまで甲状腺がんで手術を受けたのは116人。この中に、手術の必要ないものが含まれていたのか。ほとんどの手術を行っている福島県立医科大学の鈴木眞一主任教授は、摘出手術を行った甲状腺がんの74%にリンパ節への転移があったことなどから「過剰診断ではない」と強調。その一方で、放射線の影響は考えにくいとの立場だ。そうすると手術が必要なこれだけの数の甲状腺がんが潜在的に存在していたのか。鈴木教授は「そうだと思う」と話す。
リンパ節などへ転移していても今は症状がないが、将来発症し、しかも重い症状になるかもしれない甲状腺がんを検査で発見しているのだと説明する。一方で、それらが実際にいつ発症するかについて、確証は持てないという。鈴木教授は「それは、誰もわからないことなので、我々が治療したものでも、多分すぐにでも見つかったものもあれば、しばらく見つからないものを見つけている可能性もある。それが、この先、急に大きくなるのかならないのかは、予測して治療はしない」と語る。

論争は福島県の検討委員会内部でも激しくなっている。2月15日、被ばく医療の専門家、弘前大学の床次(とこなみ)眞司教授が、福島の住民の被ばく状況について説明した。

事故直後の混乱などのため、被ばく線量のデータは極めて少ないが、床次氏のグループは、事故の翌月、沿岸部から避難した住民62人の甲状腺被ばく線量を測定している。内部被ばくの線量が最も高かった子どもで23ミリシーベルトだったという。床次氏は「不確かさが常につきまとっているという理解のもとで、ただ総じて言えば、福島の事故における被ばく線量というのは、チェルノブイリ事故に比べて小さいということは言える」と説明。床次氏の説明を受け、福島県医師会副会長の星北斗座長は「福島での被ばく線量はチェルノブイリと比べて極めて低い」とまとめた。

増加している甲状腺がんについて「チェルノブイリとの比較の線量の話、あるいは、当時の年齢など、被ばく当時の年齢などから考えて、放射線の影響とは考えにくい」とした。「被ばく線量が低いから甲状腺がんへの影響は考えにくい」本当にそれでいいのか。改めて床次氏に真意を質した。

床次氏は「今回、私が説明したのは、あくまでも集団としてとらえた場合に、チェルノブイリ事故の線量と福島原発事故の線量、グループ、集団として捉えたときの線量を比較したわけで、個人のがんになった人たちの議論ではない」と強調。住民全体の被ばく線量を比較して甲状腺がんと放射線との因果関係に直接結びつけるのは乱暴だという。検討委員会の「中間報告」最終案に『放射線の影響が考えにくい』という見解が盛り込まれていることも批判。「『中間報告最終案には放射線の影響の可能性は小さいとはいえ現段階では完全には否定できず』と書いているのだったら、『考えにくい』と書かない方がいい。最終案を今の額面通りには受け入れるというのは、ちょっと難しい。まだ、端緒を開いたばかり」と語る。

メンバー間の認識の違いが明らかになった検討委員会の議論。キーワードは「チェルノブイリ」だ。

我々は現地に向かった。チェルノブイリ原発事故から30年。爆発した4号炉は、溶け落ちた核燃料ごとコンクリートの塊、石棺に覆われた。隣には巨大なシェルターの建設が進む。完成後、スライドさせ、老朽化した石棺を丸ごと覆う計画だ。
30年前、ここから大量の放射性物質がまき散らされた。現在のウクライナとベラルーシ、そして、ロシアの3カ国で、35万人が強制避難。事故当時18歳以下の子ども7000人以上から、被ばくが原因とみられる甲状腺がんが発生した。

原発から約80キロ離れたウクライナ北部の街・チェルニーヒウは、地域の汚染度は比較的少ないとされ、避難区域にはならなかった。一方で事故当時に子どもだった50人以上から甲状腺がんが見つかっているという。事故当時、生後11カ月だったエカテリーナ・チュードワさん(30)。エカテリーナさんの母親は「具体的にどんな事故が起きたのかはまったく知らなかった。子どもたちへの避難指示も出されなかったので、外で娘を遊ばせていた」という。事故直後の風向きなどから得られたデータによると、事故の3日後に放射性ヨウ素が、この地域に流れていた。エカテリーナさんの甲状腺にがんが見つかったのは14歳のときだった。母親は「信じられなかった。娘が死んでしまうのではないかと恐ろしかったし、甲状腺がんが、どんな病気なのかもわからなかった」と話す。

福島では今のところ出ていない事故当時0~5歳の甲状腺がんは、チェルニーヒウでは発生している。チェルニーヒウ市立診療所のワレンチーナ・ワーヌシュ内科部長は「この年齢層の子どもたちの場合、すぐに甲状腺がんが発症したのではなく、12~14歳になってから初めて甲状腺がんが見つかった」という。5歳以下の子どもたちの発症は思春期に入ってからで、事故から7、8年経ってからだった。ただ、なぜそうなったのかはわかっていない。

2500人を超える子どもの甲状腺がんが発生したベラルーシ。その研究拠点となっているのが、首都ミンスクにある国立甲状腺がんセンターだ。長年、甲状腺がんの研究を続けてきたユーリ・デミチク医師は、被ばく線量と甲状腺がんの関係について「被ばく線量が低くても、甲状腺がんが発生する可能性はある。これ以下なら大丈夫という値はない」と指摘する。

福島県で行っている甲状腺検査の1巡目、2巡目の資料を見てもらった。彼の表情が変わったのは2巡目の検査結果を見たときだった。1巡目の検査で目立った異常がなかった人から、わずか2年後にがんが見つかったケースについて関心を持ったという。デミチク氏は「検査ミスがあったのかもしれない。あるいは信じがたいことが2年間で起きたのかもしれない。なぜ2年間で現れたのか、甲状腺がんを知り尽くしている私でも興味深いものだ」と話す。

日本の専門家も違和感を抱いていた。福島県の検討委員会では、唯一の甲状腺がんの専門家、日本医科大学の清水一雄名誉教授は「2巡目で51人は比較的多い。中でも、1巡目の検査のときに“異常なし”だった人が、がんまたはがんの疑いになったケースが一番多いのが気になる」と話す。清水氏は、2巡目で見つかった腫瘍の中に30ミリほどまで成長したものがあったことに注目。「2年間で3センチまで大きくなるということはあまり考えにくい」と指摘する。

『2巡目の数はおかしい』。専門家ではなく、まったく違う分野からこの異変を研究した神戸大学大学院の牧野淳一郎教授。専門は「計算科学」だ。驚きの結果が出た。1巡目、検査当時17歳以下で10万人当たり18人という甲状腺の数をイメージとして三角形にしてみる。もし放射線の影響がないとすると、2年後に行う2巡目検査でも、ほぼ同じ数の甲状腺がんが見つかるはずだ。ただし、実際は2つの三角形は2年分ずれて重なっている。2巡目の三角形から重なった部分を除いたものが、2巡目で見つかると予想される数だ。それが牧野教授の計算では10万人当たり7人となった。ところが、2014年に実際に発生したのは10万人当たり22人と予想を大幅に上回る値になってしまった。2巡目検査は今も続いているが、この時点で、これだけ違うことは誤差の範囲では説明できないという。

「被ばくの影響も考えの一つには入って来るのではないか」と話す。外国特派員協会で会見した検討委員会の星座長は、「今後も甲状腺がんは増えるのか」との質問に対し「放射線の影響があって増えていくのかという質問ならば、現時点では私はそういう風には見ていない。ただそれを頭から否定する気もない」と答えた。自分の身に何が起きたのか知りたい。それは甲状腺がん患者の切実な問いかけだ。直美さんは「本当に原発のせいなのか、違うのか…みんながそう思っている。一番はっきりしたい部分なので、早く白黒はっきりとつけてもらいたいとすごく思っている」と訴える。】