毎日新聞より
週刊テレビ評:テレビに政権があられもなく介入した国の末路 「バック・イン・ザ・USSR!」=金平茂紀
【毎日新聞 2015年04月24日 東京夕刊

 かつて僕がソ連末期のモスクワで勤務していた時代の話を書こう。今から四半世紀近くも前のことである。その当時の国営テレビ、ゴステレの夜の定時ニュースは「ブレーミャ」という名前で、その御用報道ぶりでよく知られていた。そんななかで、ゴルバチョフ大統領の登場と共に「グラスノスチ」=情報公開の波が徐々にではあるが、かのソ連においても広がりつつあるかにみえた時期があった。けれども、ゴステレにおいては、「言論の自由」を掲げて果敢に報道する姿勢をみせた記者、キャスターらには直ちに容赦のない弾圧が加えられていた。

「ブレーミャ」は生放送ではなく数秒遅れの疑似生放送の形式がとられていたが、それは政府に不都合なことをチェックする(=カットする)ためだと言われていた。

 1991年8月19日、ゴルバチョフが保守派の企てたクーデターで身柄を拘束された際に、「ブレーミャ」では、アナウンサーが重々しい口調で、ゴルバチョフ大統領が病気になったため、ヤナーエフ副大統領が大統領の職務を代行すると報じた。

 国民にうそをついていたのである。

 ところが、この保守派クーデターに反対するエリツィン・ロシア大統領に呼応して市民が蜂起し、クーデターが挫折し、ついにはソ連が崩壊するに至る事態が起きるや、ゴステレでは大変なことがおきた。

 それまで政権の言う通りの放送を流していたクラフチェンコ・ゴステレ会長がエリツィンによって解任された。それを聞いた市民らの間から歓声がわき起こった。

 クラフチェンコ会長はその後、ゴステレの放送に登場し、公開の場でその責任を追及されていた。僕はそれらの番組をリアルタイムでみていた。御用放送人の末路は必ずこのようになると確信した。かつての強大な政権与党=ソビエト共産党は、気に入らない放送を流すような事態が起これば、容赦なくその関係者らを呼びつけ処分した。

 さて、僕らの国にも放送法があって、報道の自由、言論の自由が守られている(はずだ)。

 それらの法律は、戦前・戦中の暗黒時代の反省の上に、究極的には国民の知る権利を守るために作られた法律だ。

 その放送法を盾に、政権党が個別番組の内容に絡んでテレビ局幹部を呼びつけ「事情聴取」した。僕は、ああ僕らの国はあのソ連時代に向かっているのかと思った

 来日中のポール・マッカートニーなら「バック・イン・ザ・USSR!」と皮肉まじりにシャウトするだろう。
でも、笑えないな。ソ連は滅びた。(テレビ報道記者)】