少なくとも、2・3号機のメルトダウンは防げた、東電経営陣が廃炉を惜しみ海水注入を躊躇しなければ・・

 3号機のベントがなければ、東日本中に撒き散らした死の灰の大半は、3号機原子炉内に留まっていた。

 その意味で、福島原発事故による被害の大半は、東電経営陣の誤った判断が引き起こしたといえる。 
これは明らかな人災、東電経営陣の刑事責任は免れない筈だが・・

 FUKUSHIMAプロジェクト委員会
メルトダウンを防げなかった本当の理由 図解付pdf

メルトダウンを防げなかった本当の理由
【*3号機は確実に救えた
3号機は11日15時5分から12日11時36分まで、隔離時冷却系によって「制御可能」の状態に保たれ、それが止まった後も、ほぼただちに稼働し始めた圧力注水系によって「制御可能」の状態に保たれ続けた。とくに12日20時頃から圧力容器内の圧力は8気圧以下になったので、逃がし安全弁を開くことで、ベント開放することなく消防車による海水注入が可能だった。

 しかもその圧力は、現場の運転員がリアルタイムで測定しており、それを現場は知っていた。
しかしながら13日2時44分、高圧注水系は稼働を停止する。その結果、約2時間後の5時までに原子炉水位はなんと-3.5mまで下がり、8気圧だった圧力容器は70気圧を超えてしまう。

 13日8時41分、ベント操作作業が開始されるがなかなか開かない。ようやく約40分後の9時20分からドレイウェル内の圧力が下がり始め、圧力容器への注水が可能になる。こうして13日9時25分、消防ポンプによる原子炉への海水注入が行われた。
 すなわち3号機は12日2時44分から9時25分までの6時間43分、空焚き、つまり「制御不能」状態に放置されたままだった。13日9時25分から海水注入をしたところで、3号機の暴走を止めるには遅すぎた。
 しかもこの3号機のベント開放は福島の人々のみならず東日本の人々を長期的に苦しめ続けることになった。

 13日3時頃までであれば、たとえベント開放しても炉心が溶融し始めていないので、ベント開放で放出されるのは冷却水が蒸発して生じた水蒸気だけだ。この水蒸気はごく微量の放射性物質を含むのみで、ほとんど被害をもたらすことはない。

 ところが13日8時41分以降のベント開放は、炉心溶融がはじまって3時間以上も経っているので、燃料被覆体は破れており核反応生成物であるヨウ素131やセシウム134、などのセシウム137などの放射性同位体がすでに冷却水に漏れ出していた。ここでベントを開けてしまえば、これらが大気中に放出され最悪の事態に陥る。結局、この事態は起きた。福島第一原発を中心とする東日本一帯は、高濃度かつ長期的に放射能汚染されるという史上最悪の結末を迎えた。

もしも3月12日のうちに、あるいは遅くとも13日2時44分までに、東電が海水注入を行っていれば、この事態は確実に回避できていたはずだ。

*2号機も確実に救えた
 2号機は3月11日14時50分から14日13時までの70時間、隔離時冷却系によって原子炉水位は4mに保たれ、炉心はずっと「制御可能」の次元にあった。圧力容器内の圧力は63気圧以下に保たれており、かつドライウェル内の圧力は12日の深夜まで1気圧程度であって、逃がし安全弁を開ければ圧力容器内の圧力を6気圧以下にすることは容易であった。その後もその状態が続いていた。実際、14日18時03分にその操作がなされた。すなわち14日13時までに、いつでもベント開放することなく消防ポンプによる海水注入が可能であったということである。しかも3号機同様、そのことを現場は知っていた。

もしも3月14日13時までに、東電が圧力容器の逃がし安全弁を開けて「海水注入」を行っていれば、2号機は物理限界を超えて「制御不能」の次元に陥ることはなかった。そして3号機同様、東電の経営者は「海水注入」の意志決定を確実にできた。しかし彼らは、ここでもその意志決定を行わなかった。かくて2号機からの放射能汚染が追い打ちをかけた。
 
 ところが、2号機が「制御不能」になった14日の夜、東電の経営者の態度は一変する。
なんと清水正孝社長は、海江田万里経済産業大臣に「(制御不能になった原発を放置して)撤退したい」と要請する電話をかけたのだ。
 一部の政府関係者および専門家も、撤退やむなしと判断。15日3時に菅総理に伝える。
 しかし、菅は「いま撤退したら日本がどうなるか分かっているのか」とどなりつけ、清水を呼びつけたうえで東電の「撤退要請」を却下。即座に東電本社に乗り込んで、そこに統合対策本部を設置した。15日5時35分のことであった。】一部抜粋

 日経BPコンサルティング
 FUKUSHIMAレポート~原発事故の本質~
【【目次】
第1章 メルトダウンを防げなかった本当の理由―福島第一原子力発電所事故の核心
1・1 はじめに─何かが見逃されている
1・2 事故は、どのように起こったか
1・3 1号機は、どのように制御不能になったか
1・4 3号機、次いで2号機は、どのように制御不能になったか
1・5 5月15日の豹変
1・6 日比野靖の証言
1・7 JR福知山線事故との類似性
1・8 何があきらかになり、何をあきらかにすべきか
1・9 おわりに─新しい曙光に向かって

第2章 3・11に至るまでの日本の原子力安全規制
─国はなぜ「全交流電源喪失を考慮する必要はない」としたのか
2・1 事故を防げなかった国の安全規制
2・2 すべて想定されていた
2・3 国策民営体制─責任の所在が不明確

第3章 日本の原子力政策─核兵器製造力とエネルギー自給を高速増殖炉に託す
3・1 核兵器製造のポテンシャルを保持する
3・2 高速増殖炉によるエネルギー自給に固執
3・3 核燃料サイクルと再処理
3・4 放射性廃棄物の処分
3・5 日本の原子力政策への提案

第4章 原発が地域にもたらしたもの
4・1 米国─中央─地方─ムラ
4・2 原子力は雇用増と所得増をもたらす
4・3 原発依存症─原発なしには、立ち行かない経済
4・4 原発立地─近年は既設発電所敷地内の増設が主流
4・5 放射能被害
4・6 これからの原子力政策と原発立地地域の今後

第5章 風評被害を考える
5・1 風評の恐ろしさ
5・2 各種メディアの取り上げ方
5・3 打ち手としてのWall of Shame(恥辱の壁)
5・4 「検証屋」機能のトライアル
5・5 別の可視化装置
5・6 総論としての日本論

第6章 電力事業における原子力発電の位置
6・1 そもそも発電コストパフォーマンス論
6・2 原子力発電のコスト
6・3 電気料金の決め方─総括原価方式
6・4 原子力損害賠償スキーム
6・5 発送配電分離
6・6 人口の減少とエネルギー需給

第7章 原発普及の今後
7・1 原発普及は先進国から新興国へ
7・2 原発の安全保障上の役割
7・3 新興国が電力の未来を決める】