沖縄は日本であって日本ではない。
戦時中日本軍は、本土防衛のため?住民を盾に徹底抗戦し、4人に1人が犠牲に。
いまも日米同盟の人身御供として、7割超の米軍基地が狭い沖縄に。

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 沖縄タイムスより
慰霊の日:「もう沖縄で日本軍を見たくない」
【終戦から68年目の慰霊の日。平和祈念公園(糸満市)での沖縄全戦没者追悼式には、安倍晋三首相のほか外相、防衛相が初めて、駐日米大使も18年ぶりに出席した。異例の対応に、沖縄戦体験者らは「不自然」といぶかり、夏のオスプレイの追加配備計画や、「国防軍」を明記する改憲への反発も相次いだ。安倍首相の「沖縄の負担を少しでも軽くする」とのあいさつも、体験者の心に響かなかった。各慰霊塔の慰霊祭は例年通り、しめやかに行われ、戦争の記憶の継承に工夫を凝らす若者の姿も各地で見られた。

 那覇市の安慶田サダ子さん(76)は「急にたくさん(大臣らが)来るのは不自然。普天間やオスプレイがあるからでしょう」と、冷めた視線を首相らに送った。父や弟、祖父母を沖縄戦で失った。自衛隊を「国防軍」化する改憲構想に「日本軍は住民を守らなかった。やっと戦を生き延びてきたのに、もう沖縄で日本軍を見たくない」とつぶやいた。

 沖縄戦で父と兄が犠牲になった久場川弘子さん(74)=八重瀬町=は、「戦場から帰ってきた叔父や兄は心がすさみ、私たちにつらく当たった。終戦後も、戦争の怖さを思い知らされた」と振り返る。「平和の詩」を読んだ安里有生くんの朗読には心を打たれたが、安倍首相のあいさつは、耳ざわりはいいが、人ごとのように聞こえた。「大臣らが来るのは結構だが、沖縄戦の痛みを直視し、政治に反映してほしい」と求めた。

 「沖縄戦の犠牲者に献花しながら、基地やオスプレイを沖縄にだけ押しつけるのは矛盾している」と、首相や国会議員らを批判したのは新屋春栄さん(76)=うるま市。「うわべだけいい顔して沖縄と仲良くしようとするが、戦後から続く過重な基地負担は沖縄を差別しているのと同じ」と怒りをあらわにした。 

 「政府は憎いけれど憎まないようにしている。どうしようもないから」。平和の礎を訪れた金城吉春さん(69)=糸満市=は、両手で抱えた孫の陽輝(はるき)ちゃん(1)を見つめて言った。戦争で父と兄を亡くした。当時1歳で顔は覚えていない。「父が生きていたら、どんなに生活が楽だったろう」と、慰霊の日が来ると悔しくなる。陽輝ちゃんとあの日の自分が重なるという。

 憎さの理由は、県民の反対を無視して強行した昨年10月のオスプレイ配備と、今夏に予定される追加配備。安倍首相は沖縄の負担軽減に言及したが、「口では沖縄のために、と言う。向こう(本土)に帰ったら話が違っている」と憤った。

 沖縄戦で父と祖父を亡くした屋宜盛廣さん(76)=金武町=は、首相が話した負担軽減とオスプレイ追加配備の矛盾を指摘し「かえって基地機能が強化される方向。口先だけでなく、県民の声に応えて」と求めた。】


 琉球日報より
首相あいさつ 胸に刻むなら県外移設を
【「沖縄が忍んだ犠牲、人々が流した血や涙が、自分たちを今日あらしめていることを深く胸に刻んで、静かに頭(こうべ)を垂れたい」
 美しい言葉にもかかわらずか、それだからこそなのか、沖縄全戦没者追悼式での安倍晋三首相のあいさつは空疎に響いた。それは、沖縄県民の切実な思いに正面から向き合っているようには到底見えなかった。

 首相は「沖縄の人々に刻み込まれた心の傷はあまりにも深く」として、沖縄戦と戦後の苦難の歴史に触れた上で、米軍基地負担を「少しでも軽くするよう、全力を尽くす」と述べた。
 沖縄県民の心の傷を踏まえて基地負担の軽減を図ると言うのなら「普天間」「オスプレイ」などに触れてしかるべきだろう。

 首相あいさつに「普天間」などの文言は一切なかった。それなのに追悼式後の会見では、米軍普天間飛行場の固定化回避を理由に名護市辺野古への移設を進める考えをあらためて示唆した。
 仲井真弘多知事は追悼式の「平和宣言」で、沖縄戦の教訓を踏まえた上で、日米両政府に対し普天間飛行場の県外移設と日米地位協定の抜本的見直しを求めた。
 それが戦没者への慰霊、戦没者の思いに報いることであり、大多数の県民が望む切実にして最低限の要求でもあるからだ。

 首相のあいさつや会見での発言は、知事や県民の要求をかわすことだけを考えているかのようだ。「より深く理解し、常に思いを致す」といくら言葉を弄(ろう)しても、導く結論が普天間県内移設である限り、戦没者を含めた県民の思いに寄り添ったことにはならない。
 追悼式には外相と防衛相が初めて出席したほか、駐日米大使が18年ぶりに参列した。日米政府挙げて沖縄に配慮する姿勢を示したつもりだろうが、普天間の辺野古移設強行の布石ならば、追悼式の政治利用と言われても仕方がない。
 基地の過重負担が続く限り、沖縄戦は終わらないとも言える。そして過重負担軽減の最たるものが、普天間飛行場の県外移設・早期返還だ。

 「戦争を憎み、平和を築く努力を惜しまぬ国民として」「未来に光明を求める歩みを始めなくてはならない」。首相はこうも述べた。これも美辞麗句にすぎないのか。そうではないのなら、首相は県民の思いを真摯(しんし)に受け止めて「県外移設」へと踏みだすべきだ。】