誰が双葉病院の患者さん50人を殺したのか?
東電の、原子力ムラの罪を問わなければ、亡くなった『じいちゃん』の霊が浮かばれない。
関連記事 原発さえなければ・・救えなかった命~双葉病院 50人の死~
apitalより
東電の責任、白日の下に じいちゃんなぜ…事故なければ
【東京電力福島第一原発の事故から間もなく2年。避難、救出が遅れ、多数の入院患者の死亡につながった
双葉病院(福島県大熊町)の患者の遺族が東電を相手取り、損害賠償を求める訴訟を起こす。
賠償制度の枠のなかで東電に請求する方法もあるが、遺族は訴訟の道を選ぶことにした。「裁判にしないと東電の責任がうやむやにされる」との思いからだ。
双葉病院患者遺族、近く提訴
原発から約8キロ。安倍ノリ子さん(71)と夫の正義さん(76)は同県浪江町の自宅を津波で流され、同県相馬市に避難している。避難先の家の居間の仏壇には、99歳で亡くなった正義さんの父、正さんの遺影が飾られている。
正さんは2004年、双葉病院系列の老健施設に入所したあと、脳梗塞(こうそく)や肺炎を患い、同病院へ入退院を繰り返していた。3歳で父を亡くしているノリ子さんは結婚後、正さんを実の父のように慕ってきた。ほぼ毎日、正さんの顔を見に病院に通っていた。
双葉病院の敷地内には入院患者を避難させるために使ったベッドがそのまま残っていた=2012年7月23日、福島県大熊町、本社ヘリから
震災の前日も訪れた。正さんは耳が遠いので、いつも大きめの声で話しかける。「じいちゃん、変わりはない? 11月には100歳のお祝いをしようね」。正さんが答えた。「大丈夫だ。120まで生きるんだから」。それが、交わした最後の会話となった。
震災の日、ノリ子さんは津波と放射能から逃げながら、病院に何度も電話した。しかし、通じない。数日後、双葉病院の患者が搬送先の体育館などで大勢死亡しているとのニュースを見た。不安にかられた。
3月20日。義父と10日ぶりに再会した。いわき市の体育館に敷かれたブルーシートの上に並んだ棺の中にいた。】
東電の、原子力ムラの罪を問わなければ、亡くなった『じいちゃん』の霊が浮かばれない。
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双葉病院(福島県大熊町)の患者の遺族が東電を相手取り、損害賠償を求める訴訟を起こす。
賠償制度の枠のなかで東電に請求する方法もあるが、遺族は訴訟の道を選ぶことにした。「裁判にしないと東電の責任がうやむやにされる」との思いからだ。
双葉病院患者遺族、近く提訴
原発から約8キロ。安倍ノリ子さん(71)と夫の正義さん(76)は同県浪江町の自宅を津波で流され、同県相馬市に避難している。避難先の家の居間の仏壇には、99歳で亡くなった正義さんの父、正さんの遺影が飾られている。
正さんは2004年、双葉病院系列の老健施設に入所したあと、脳梗塞(こうそく)や肺炎を患い、同病院へ入退院を繰り返していた。3歳で父を亡くしているノリ子さんは結婚後、正さんを実の父のように慕ってきた。ほぼ毎日、正さんの顔を見に病院に通っていた。
双葉病院の敷地内には入院患者を避難させるために使ったベッドがそのまま残っていた=2012年7月23日、福島県大熊町、本社ヘリから
震災の前日も訪れた。正さんは耳が遠いので、いつも大きめの声で話しかける。「じいちゃん、変わりはない? 11月には100歳のお祝いをしようね」。正さんが答えた。「大丈夫だ。120まで生きるんだから」。それが、交わした最後の会話となった。
震災の日、ノリ子さんは津波と放射能から逃げながら、病院に何度も電話した。しかし、通じない。数日後、双葉病院の患者が搬送先の体育館などで大勢死亡しているとのニュースを見た。不安にかられた。
3月20日。義父と10日ぶりに再会した。いわき市の体育館に敷かれたブルーシートの上に並んだ棺の中にいた。】