河北新報福島原発の101時間より
(1)3月12日午後3時36分/大揺れ3秒 免震棟騒然
【<対照的な光景>
3月12日午後3時36分、第1原発の免震重要棟会議室を映す画面が約3秒間大きく揺れた。音声は収録されていない。

 一斉に天井を見上げる発電所幹部ら。約50人が集まった円卓テーブルの中央に位置する幹部が立ち上がり、人を指さし、指示する。作業員の1人はヘルメットをかぶり、どこかへ向かおうとする。

 マイクが発言を拾うと、各会議室の分割画面は赤い枠で囲まれる。その状態が続き活発にやりとりしている様子がうかがえた。会議室1カ所が5センチ四方のモニターからは、一人一人の表情は見て取れない。

 爆発から数分後、免震重要棟にいた1人の女性従業員が両手を頭の上に広げ、手のひらを反転させて下に動かす。何かがひらひらと降ってきている様子を表現しているらしい。
 同じころの東電本店の非常災害対策室と、福島県大熊町のオフサイトセンター。原発構内と対照的に職員に動きはない。何も起こっていないかのようだ。

 12日午後4時50分、第1原発会議室のモニターがテレビのニュース画面に変わる。1号機の爆発を伝えた。
 東電とオフサイトセンターの動きが一気に慌ただしくなった。



 東電は事故直後の福島第1原発と東電本店のテレビ会議のやりとりを収めた映像を公開した。爆発に驚く作業員。官邸と東電のちぐはぐな関係。事故当事者の実像を映像と音声を基に再現する。】一部抜粋

(2)3月14日午前11時1分/3号機爆発 所長が叫ぶ
【<技術陣が緊張>
 昨年3月12日の福島第1原発1号機原子炉建屋の爆発は、冷却できなくなった燃料棒から生じる水素の破壊力を見せつけた。

 翌13日午前2時44分、3号機の高圧注水系を手動停止した。再起動を試みるが、バッテリーが不足して機能せず、原子炉を冷やせなくなった。午前5時ごろ、あと約5時間で炉心溶融との計算が第1原発から東電本店に伝えられ、技術陣に緊張が走った。

 「いま行かないと1号機の二の舞いだ。さっさとやるんだ」。本店はベントで水素を逃がすことを促す。放射線量が上昇していたが、爆発は避けなければならない。第1原発の吉田昌郎所長は「もう、やろう」と応じた。
 ベントは一時的にできたが、13日昼から再び冷却できない状態が続いた。13日午後2時すぎ、吉田所長は「水素を逃がす方法を本店さん、何かいいアイデアありますか。下手すると昨日(1号機爆発)のようになる」と助言を求めた。

 妙案はなかった。線量が高く、作業員は近寄れない。「ヘリコプターで接近し、何かで突き破れないか」。幾つかのアイデアが出されたが、現実的ではなかった。
 本店は3号機爆発の可能性を広報するかどうかを検討した。高橋明男フェローは「1号機のような爆発があることを言う必要があるのではないか」と呼び掛けた。

<会長は楽観視>
 これに勝俣恒久会長が待ったを掛けた。13日午後7時前、官邸に詰めた武黒一郎フェローとの電話でのやりとりの音声が記録されている。
 「確率的に(爆発は)非常に少ないと思う。そんな話をして国民を騒がせるのがいいのかどうかは首相判断だけど。社長会見で聞かれたら『あり得ない』と否定するよ」
勝俣会長の楽観的な見立てをあざ笑うように、3号機は危険水域に足を踏み入れた。

 翌14日午前6時半ごろ、吉田所長は「7時前に設計圧力超えちゃう。うえー。危機的状況ですよ、これ」と悲鳴に近い声を上げた。

 午前11時1分。吉田所長がマイクをつかんで叫んだ。「本店、本店。大変です。大変です。いま爆発が起きました」。本店でテレビのニュース映像を見た幹部は「あれ、1号機よりひどいじゃん」とうめいた。

 爆発から約3分後。本店非常災害対策室で慌ただしく席に着いた勝俣会長は、清水正孝社長と小声で話し込むだけだった。(肩書はいずれも当時)】

(3)3月14日午後6時22分/2号機燃料、むき出しか
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                2号機の炉心状態を予想したメモ。オフサイトセンターに詰めた
                当時の経済産業副大臣で現地対策本部長の池田元久氏が記録した
【<負の連鎖呼ぶ>
 昨年3月14日午前11時すぎに起きた福島第1原発3号機の水素爆発は負の連鎖を呼んだ。
 爆発の混乱が落ち着いた午後1時前。「ベント回路が爆発で駄目になった」と現場から東京電力本店に報告され、緊張が走る。清水正孝社長は本店で「2号機の対処方針、早急に決めて。本店は全面支援」と言った。

 原発では吉田昌郎所長が次々に指示を出す。「3号機と同じことになる。燃料を露出させないよう最優先で」
 2号機を冷やした蒸気駆動の隔離時冷却系装置はいつ止まってもおかしくなかった。

吉田所長は代わりの手段として消防車を使う注水を計画し、送水ラインも出来上がりつつあった。
 現場から悪い情報がもたらされた。2号機に注水するポンプが3号機の爆発でがれきに埋まったという。「炉の圧力が上がっている。非常に危機的な状況です」。吉田所長は危機感を強めた。

<「早くベント」>
 ベントで原子炉圧力を下げる作業は難航した。逃がし安全弁を開けて減圧しようと試みるが、うまくいかない。海水をくみ上げるポンプとして使っていた消防車の燃料が切れ、注水が途切れる不手際も重なった。

 注水できないとメルトダウンは避けられない。オフサイトセンターに詰めた武藤栄副社長は「早くベントしないとヨウ素とかがいっぱい出ちゃう。1、3(号機)より悪くなるよ」と警告した。

 午後6時半。原発の社員が計算結果を口にした。「18時22分ぐらいに燃料がむき出しになっているんじゃないか。2時間で完全に燃料が溶ける。22時ぐらいには圧力容器が抜ける可能性がある」

 東電は作業員の退避の検討に入った。本店非常災害対策室は「炉心溶融の1時間前に退避。その30分前から退避準備」との方針を示す。「とにかくベントだ」。本店から悲鳴に近い指示が飛ぶ。

 午後9時半すぎ、原発正門で毎時3.2ミリシーベルトの放射線量を計測。本店に戻った武藤副社長は「なんか出ているんだよ、やっぱり」とつぶやいた。

 原発事故で最も放射性物質をまき散らしたのは2号機とされる。社内テレビ会議の映像は東電が深刻な事態を予想していたことを物語っている。(肩書はいずれも当時)】

(4)3月15日午前6時12分/水素爆発、矮小化に奔走
【<防護服を装着>
 昨年3月15日午前6時12分、福島第1原発に爆発音が響き渡った。
 現場関係者の頭に真っ先に浮かんだのは2号機。前日午後から危機的状況に陥っていた。だが、爆発したのは4号機の原子炉建屋だった。3号機から出た水素が共通配管から逆流して水素爆発を起こしたとされる。

 原発と東京電力本店の社内テレビ会議の映像にはこの時間帯の音声が記録されていないが、映像には原発の吉田昌郎所長が部下と話し込み、マイクで発言している姿が映っている。それまで着用していなかったヘルメットをかぶった。

 本店の小部屋には菅直人首相ら政府首脳がいた。今後の事故対応について東電幹部と直接話すためだ。勝俣恒久会長や武藤栄副社長は事態悪化を受け、首相の応対をしばらく中断した。

 現場の動きは慌ただしさを増す。第1原発の緊急対策本部は人がせわしなく動き回り、第2原発では作業員が防護服を着込んだ。菅首相もテレビ会議画面を心配そうにのぞき込んだり、携帯電話でやりとりしたりした。

<「水温78度に」>
 4号機は使用済み燃料プールの冷却が早い段階から現場の不安材料だった。吉田所長は13日昼の時点で「4号機のプールの温度が78度まで上がってきていて」と不安を口にしている。

 プールの水が沸騰すれば、蒸気と共に大量の放射性物質が放出される可能性がある。東電は4号機建屋内に汚染された水蒸気が充満し、近づけなくなることを懸念していた。建屋の大破は事態が一層悪い方向に動いたことを意味した。汚染された蒸気が大気中に相当量漏れ出したとみられる。

 15日午前7時40分すぎ。テレビ会議の画面に第1原発で撮った写真が映し出された。4号機原子炉建屋の壁と天井が吹き飛んでいるのをはっきり捉えた写真もある。本店に残った海江田万里経済産業相の表情が曇った。

 政府と東電は事態の矮小(わいしょう)化に走る。東電の第1報は「5階屋根付近に損傷を確認」との表現にとどまり、原子力安全・保安院は「壁の一部が破損した」と説明するにすぎなかった。(肩書はいずれも当時)】