9.11後のアメリカで、「テロに屈せず」を合言葉に愛国心を煽って、突き進んだアフガン、イラクへの正義??の聖戦?? 今振り返れば、「テロに屈せず」の合言葉が、兵器産業と石油メジャーの為に、あの戦争を仕掛ける為の屁理屈だったと、気付く人も少なくないだろう。

 この「絆」という言葉も、放射能に汚染された米や牛乳、魚やきのこ、そして瓦礫を、風評被害に負けずに、
国民みんなで分かち合おうと、東電や政府に都合のいいように利用されている。

 福島原発の撒き散らした放射能は、今も消えることなく存在し、その脅威はまったく収まっていない。
しかし、放射能は決して風評被害ではなく実害だと言っても、多くの人が「けしからん、福島の人に失礼だ」と
的外れの正義感を発揮する始末。

 福島では『復興のシンボル』として東日本女子駅伝、ふくしま駅伝で、中高生の女の子に、放射能で高濃度に汚染された場所を走らせるような暴挙も平気で行われ、放射能瓦礫を断るのは、被災地の方に申し訳ないとの、間違った人道主義?も罷り通っている。

 被災地の方を思いやり、国を挙げて復興を助けるのは当たり前のことだが、福島原発事故、放射能の影響を過小評価して、『放射能、みんなで浴びれば怖くない』 という認識は間違っているし、東電や政府以外の誰の為にもならない。

 国民との「絆」を断ち切っているのは、政府、政治家、官僚、東電、財界、原子力村なのだ。
彼らを利するように、何でも『風評被害』にしてしまっては、何の解決にもならない、ただいたずらに、被ばく被害を広げるだけだ。

 マスコミも、『原発安全神話』 の形成を助けたように、『風評被害』 という幻を成長させ、とんでもない
モンスターに育て上げてしまっている。

 「絆」は大切だが、今の風潮は、間違っている、原発事故や放射能は、そんなに柔な相手ではないことを
皆さんに再認識していただきたい。

 産経ニュースより
 『「絆」 口で唱えて終わらせるな』??
【「今年の漢字」に「絆」が選ばれた。50万票にも迫る応募総数は過去最多で、2位以下にも「災」「震」「波」など東日本大震災関連の漢字が並んだ。

 「絆」がこれらを大きく上回って選ばれたのは、津波や原発事故などで多くのものを失った悲しみから
立ち直ろうとする被災者をはじめ、国民大多数の前向きな気持ちの表れと思われる。

 震災後、被災者らは互いに「一人じゃない」と励まし合い、手を取り合って困難に立ち向かった。救援を通して自衛隊員や在日米軍兵士らとの間にも心の交流が生まれた。絆の尊さをあらためて知った若い世代には結婚願望が広がっているともいわれる。

 震災によって紡がれた絆ではあったが、国民の間にそれが確実に育ってきていることを実感させる事例といえよう。

 ただ今回のような未曽有の大災害からの復興には、政治と国民とを結ぶ絆も不可欠である。
が、その絆はぷっつりと切れたままだ。震災から9カ月以上を経たというのに、復興施策を統括する復興庁も
まだ設置されておらず、政治への信頼は大きく崩れている。

 思い起こされるのは2001年の米中枢同時テロ事件で当時のブッシュ大統領が見せた対応だ。
事件から3日目に現地を訪れた大統領は、瓦礫(がれき)の上に立って消防隊員らの肩を抱き、ねぎらった。
この時のブッシュ氏の「テロには屈せず」の訴えが米国民との連帯をどれだけ強めたことか。

 かつての日本には、家族の絆、地域内の絆がしっかりと存在していた。それが急速に失われつつあるときに
起きた大震災で国民は、震災復興に欠かせぬ「絆の復興」に心を向けたのだった。

 しかし一方では、真に絆を強めることが口で唱えるほどには容易でないことも思い知らされた。

 安全宣言が出てもなお被災地の農産物が忌避されるといった風評被害がいまだ後を絶たず、
瓦礫処理の受け入れについても全国の自治体に協力態勢が広がっているとは言い難い。痛みを分かち合おう、絆を強めようとした当初の気持ちを今一度、思い出したい。

 「絆」は語源に「綱」を持つ。綱を太く縒(よ)るためには、政治が国民の心に「寄る」ことももちろん大切だが、
何より国民同士が「寄り添う」ことが肝要である。】

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