知らぬとは恐ろしいことだ。「プルトニウムは飲んでも安全」と言った御用学者さんも顔負けの、キュリー夫人が活躍した当時の、放射能の危険性に対する無防備ぶりには驚かされてしまう。
現代ビジネスより
【放射能にまみれながら、キュリー夫人はポロニウムとラジウムという新たな放射性元素を発見する。
放射能時代の幕開けである。
美しき女性研究者の偉業を、当時のメディアはこぞって「世紀の大発見」と持て囃し、
彼女の研究室には報道陣が殺到したという。
そして1903年、キュリー夫妻とベクレルは、放射能発見の業績によりノーベル物理学賞を受賞する。
光り輝く放射性物質は、人類に幸せをもたらす魔法の物質、夢の新薬のように喧伝され、さまざまな商品が
作られることになる。
その狂騒ぶりを記す『被曝の世紀』(キャサリン・コーフィールド著)には、数々の実例が挙がっている。
コロンビア大学の薬学部長は、ラジウムを肥料にすれば『味の良い穀物を大量につくれる』と主張したという。
薬剤師はウラン薬やラジウム薬を薬局の棚に並べ、また医師たちもラジウム注射のような放射性物質を
使った治療法を次々と開発、糖尿病、胃潰瘍、結核、がんなど、あらゆる病に活用しようとした。
ほかにも、膨大なラジウム関連商品が欧米で販売されている。放射性歯磨き、放射性クリーム、
放射性ヘアトニック、ラジウム・ウォーター、ラジウム入りチョコバーなどなど。
「ラジウムはまったく毒性を持たない。天体が太陽光と調和するように、ラジウムは人体組織によく調和する」—これは当時の医学雑誌『ラジウム』(1916年)の一節だ。当然のことかもしれないが、放射性物質の危険性に
対する意識は、まったくのゼロだったのである。
「ベクレルはマリーからもらった塩化ラジウム入りのガラス管をいつもポケットに入れて持ち歩き、
人に見せびらかしていました。彼はノーベル賞受賞から5年後に、被曝が原因といわれる心疾患により
55歳で亡くなっています。キュリー夫妻も、発見当初はそれが人体に害をなすなど、思ってもいなかった」】
関連記事 BS歴史館 「キュリー夫人と放射能の時代~人は原子の力とどう出会ったのか?~」
現代ビジネスより
【放射能にまみれながら、キュリー夫人はポロニウムとラジウムという新たな放射性元素を発見する。
放射能時代の幕開けである。
美しき女性研究者の偉業を、当時のメディアはこぞって「世紀の大発見」と持て囃し、
彼女の研究室には報道陣が殺到したという。
そして1903年、キュリー夫妻とベクレルは、放射能発見の業績によりノーベル物理学賞を受賞する。
光り輝く放射性物質は、人類に幸せをもたらす魔法の物質、夢の新薬のように喧伝され、さまざまな商品が
作られることになる。
その狂騒ぶりを記す『被曝の世紀』(キャサリン・コーフィールド著)には、数々の実例が挙がっている。
コロンビア大学の薬学部長は、ラジウムを肥料にすれば『味の良い穀物を大量につくれる』と主張したという。
薬剤師はウラン薬やラジウム薬を薬局の棚に並べ、また医師たちもラジウム注射のような放射性物質を
使った治療法を次々と開発、糖尿病、胃潰瘍、結核、がんなど、あらゆる病に活用しようとした。
ほかにも、膨大なラジウム関連商品が欧米で販売されている。放射性歯磨き、放射性クリーム、
放射性ヘアトニック、ラジウム・ウォーター、ラジウム入りチョコバーなどなど。
「ラジウムはまったく毒性を持たない。天体が太陽光と調和するように、ラジウムは人体組織によく調和する」—これは当時の医学雑誌『ラジウム』(1916年)の一節だ。当然のことかもしれないが、放射性物質の危険性に
対する意識は、まったくのゼロだったのである。
「ベクレルはマリーからもらった塩化ラジウム入りのガラス管をいつもポケットに入れて持ち歩き、
人に見せびらかしていました。彼はノーベル賞受賞から5年後に、被曝が原因といわれる心疾患により
55歳で亡くなっています。キュリー夫妻も、発見当初はそれが人体に害をなすなど、思ってもいなかった」】
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