毎日JPより
【東京電力福島第1原発事故で、計画的避難区域になった福島県飯舘村から、隣接する伊達市月舘町相葭(あいよし)地区の住宅に避難直後、放射線量が推定年間20ミリシーベルトを超える「ホットスポット」と分かり、途方に暮れている男性がいる。

 政府は近く、伊達市内の「ホットスポット」を住居単位で「特定避難勧奨地点」に指定し、避難を支援する方針だが、強制ではないため、再び避難すべきかどうか迷っている。

 今月16日に避難してきた佐藤吉男さん(52)は、寝たきりの父親(79)の介護と、足が不自由な母親(79)の面倒をみている。

 佐藤さんは稲作で生計を立てていたが、3年前に首や腰を痛め、満足にかがめなくなった。「足元のものが取れねえんだ」。父親は04年にぼうこうがんを患い、寝たきりに。たまった尿の交換など近くに椅子を置かないと介護もできない。

 週1回の訪問看護も南相馬市の業者が津波で被災した。母親も7年前に骨折し骨を金属でつないだ左足が芳しくなく、昨年11月には心臓の弁を交換する大手術をしたばかり。思うような暮らしができない中、起きたのが原発事故だった。

 役所が用意した避難先では介護スペースが確保できず、つてをたどって伊達市の山あいの民家を「借り上げ住宅」にしてもらい、引っ越した。家賃負担はないが、トイレがなく、仮設トイレを玄関前に置いた。水道もなく、湧き水を家の中で使えるようにし、ガス工事など約40万円を、義援金や東電の仮払補償金から捻出した。

 「ようやく落ち着いて暮らせる」と思ったのもつかの間、今月20日に郵便配達員から、相葭地区が、毎時5・1マイクロシーベルトと伊達市内で最も高い放射線量だったことを知らされた。湧き水も汚染が怖くて使えず、週4個のポリタンクの水でしのぐ。父親のひげもそれない日の方が多い。

 「紙おむつを交換して体拭いてやるのにも足りねえ。もうめちゃくちゃだ」。妻も実家の両親の面倒を避難先で見ており、離ればなれの日々が続く。

 佐藤さんの避難宅が指定されるのかはっきりせず、再避難も両親のことを考えると決断できない。「原発が危ねえなんて考えたことはなかった」と言葉少なに肩を落とした。】

 当初から放射線量が高いと指摘されながら避難区域に指定されず、高い放射線の中で暮らし続け、ようやく計画的避難区域に指定され避難先を探して移転すると、そこがまた、放射線量が高い「ホットスポット」とは、いったいどこまで避難すれば安心してくらせるというのか。

 加害者の東電の社長は、6億円もの退職金で左うちわだというのに、なんと不公平なことか。
だいたい、福島の人々の故郷を奪い、日本中の人々に多大な迷惑をかける大事故を起こしながら、平然と6億円もの退職金を受け取れる、東電の社長の神経はどうなっているんだ?

 普通の人間らしい神経をもっているなら、6億円の退職金はすべて賠償金に充てるのが本当だろう。