EX-SKF-JP様より
【日本で反原発の声

記事:タブチ・ヒロコ
2011年6月11日ニューヨークタイムズ

東京――太鼓を叩き、花を振る。破壊的な大津波で原発危機が始まってからちょうど3ヶ月目の土曜日、東京をはじめ日本各地の主要都市で反原発を訴えるデモ行進が行なわれた。

数週間前、福島第一原発の被害と放射性物質の放出量が予想よりはるかにひどかったことが明らかになってから、政府の事故対応に対して市民の怒りが噴き出している。子供の健康を心配する母親や、生活に打撃を受けた農家や漁師たちは、菅内閣にとりわけ鋭い批判の矛先を向けてきた。

また震災をきっかけに、日本がこのまま過度に原発に依存し続けていいのかどうか、全国レベルでの議論も巻き起こっている。なにしろ日本はこれまで何度も大地震に見舞われているうえ、原子力産業に対する市民の不信感には根深いものがあるからだ。菅氏が唯一民衆の支持を得たのは、津波対策を強化するまで浜岡原発の運転停止を命じたことだけだろう。しかし最近では、迷走を続ける国会で政争に明け暮れている姿を見て、国民の幻滅はよりいっそう大きくなっている。

「原発に依存することがいかに危険かをわれわれは知った。今こそ変化を起こすときだ」とデモ主催者の一人である松本哉氏は東京中心部の広場で群集に語りかける。主催者たちの推定によれば、最終的にこの広場に約20,000人が集まった。

「そうだ、日本は変われるんだ!」と松本が叫ぶと、群衆はそれに呼応して叫び返し、こぶしを突き上げた。

東京のみならず全国のさまざまな都市が連動して実施された6.11のデモ。支持者は次のように指摘する。今回のデモで特筆すべきは参加者の規模ではなく、秩序と従順が重んじられる国でそもそもこのようなデモが行なわれたこと自体だ、と。

「少なくとも最近は日本人が大きなデモを実施したことはありません」と語るのは、環境保護団体グリーンピースジャパンの事務局長である佐藤潤一氏。彼自身、デモを主催したものの参加者が十分に集まらないという経験を何度もしてきたという。「今日本人は、自分たちの声を聞いてもらうための最初の一歩を踏み出しつつあるのです」

参加者の多くが、デモに参加するのは初めてだと語る。

「私が参加したのは自分の子供のためです。」三歳の娘を連れたイシイ・アキさんは話す。「水も安全で空気もきれいだった以前の暮らしを取り戻したい。それだけです。」彼女の娘は「また外で遊ばせて」と書かれたプラカードを持っていた。

米と野菜を作る農家のフジモト・ヒロマサさんも、デモに参加するのは初めてだと語る。「土や水のことが心配でたまりません。その思いをみんなに伝えたいのです。今では片手に農具、片手にガイガーカウンターを持って農作業をしています。」

「こんなの絶対におかしいですよ」と彼は言葉を継いだ。

デモは日本らしく整然と始まった。開始時には主催者が「皆さん、ちゃんとしたマナーを忘れずに」と呼びかけ、参加者はきちんと列を作って並ぶ。が、群集は次第にマナーを忘れてくる。

東京の各地を練り歩いたデモ隊がとある広場に集結したときには、警官と揉める場面もあった。名乗ることを拒否した一人の警官は、デモ隊はこの広場で集会する許可を取っていないと声高に説明する。

「すぐに解散しなさい!」と警官隊はメガホンで叫ぶ。

「うるさい、消えろ!」と若い男性が怒鳴り返す。

しかし、午後9時ごろには警官が力づくで割って入って解散させた。深刻な事態には至らなかったものの、押したり突いたりといったちょっとした小競り合いはあった。

それでも、主催者の一人である松本氏は意気軒昂とした表情を浮かべる。「これほど大勢の人が参加すると誰が予想したでしょう? 日本は新しい段階に入りつつあるんだと思います。」

だが、通行人からは冷めた声も聞かれた。

「あの人たちに本当に何かできるのかな」と語るのは、ボーイフレンドと買い物に来てデモの様子を見物していた21歳のイシイ・アイリさん。「楽しそうだけど、あれで何かが変わると思っているんなら、ちょっと単純よね。」】

せっかくのデモ参加者の熱意に水をさすような、白けた女の子がいるのが残念。
「あの人たちに本当に何かできるのかな」ではなく、私は何をするか、出来るかと、考えられない後ろ向きな姿勢が残念。