福島の事故前、原発について正論を唱えれば、あいつは左翼だ、アカだと偏見の目で見られていた。
では、その逆は右翼か?いうと、そうでもなくて、中庸、まともで現実的な考え方との評価のようだ。

つまり、自分達が信ずる、原発は絶対安全、原発は資源の少ない日本の産業を支えている、ありがたい存在という価値観に異を唱える者は、和を乱す異端者として排除しなければならない。

 そんな村意識に基ずく『左翼・アカ=社会秩序の破壊者』との差別意識による偏見が、多くの日本人を、原発推進で利益を享受する原子力村の発する、非科学的で、ミエミエな虚構の安全神話や偽の低コスト計算を見抜けないような『アキメクラ』にしてしまった。

 わたしは、なんでも左翼とか右翼とかいう訳のわからない価値観で区別、あるいは差別して、その主張をイデオロギーの違いと封殺することは間違っているし、社会にとってマイナスにしかならないと思う。

 例えば、今回の福島原発の事故について言えば、当初、政府やマスコミは、原子力村のインチキ専門家?に、原発は5重の安全で守られている、事故は軽微ですぐに収束する、原発の吐き出す放射能の影響は、レントゲンや、旅客機搭乗と大差ないから健康に害を及ぼさない、と悪質なウソを語らせて国民を騙し、結果的に付近住民の避難を遅らせるなどの悪影響を及ぼした。

 事故から一月あまりは、この明らかなウソ・デマ報道を信じきり、週刊誌やネットでの、事故の重大性、健康に対する危険性を警告する情報を、逆に、悪質なデマ、風評被害だと逆恨みする者さえいた。

 これは、ひとえに左翼・右翼という思想からくる情報を最初から拒絶する、了見の狭さに起因している。
あるいは、キリスト教とイスラム教の関係のような、相互否定と根は同じだと思う。

 お互いにその存在を否定せず、個々の主義主張、宗教をお互いに尊重し、謙虚に耳を傾けていれば、地震の巣の日本列島に、54期の原発などという原子力村の狂気の暴走も防げたし、福島原発の事故も起こさずに済んだのかも知れない。

 そして、いま緊急の問題は、真っ赤なウソが前提の原発の存在を必死に守ろうとする原子力村の猛烈な巻き返しで、国の方針が、原発堅持、あるいは積極的推進に傾きつつあるということだ。

 民主党、自民党の主力に浸透する原子力村の勢力は、残念ながら、脱原発を唱える勢力を遥かに凌駕している。
 原発応援団には、鳩山元首相、渡部黄門様、亀井国民新党党首、谷垣自民党総裁、安倍元首相、石破元防衛相・・・与野党の大物議員がずらりと顔を並べている。
 
 浜岡原発の停止で、彼らから恨みを買った菅総理は、ついに期限付き退陣に追い込まれてしまった。
曲がりなりにも、脱原発に軸足を移そうとしていただけに痛い。

 菅総理を降ろせば、後は怖い者はいない、国民不在の増税計画、東電無罪放免救済案、電力不足デマ、原発堅持・推進政策にもう立ちふさがる者はいない。

こんな時は、デモでもするのが一番か?昨日の新宿には2万にが集まったらしい。
近年稀に見る大規模デモだ。 しかし、チュニジアのジャスミン革命やドイツの反原発デモには遠く及ばない。

今、日本を間違った方向へ行くのを防ぐには、政治家や、官僚も暴走を止めなければならない。
 その力に成り得るのは、一人ひとりの切実な声の集まり、どこかへ置き忘れてきてしまったマスコミの正義、青臭い若手の政治家、官僚の反乱(理念上の)しかない。
 
日本は、いま大きな転換点にある。
ここで誤った選択をすれば、日本は早晩破滅を迎えるかも知れない。