琉球新報社説
 『フクシマの教訓 脱原発こそ現実的選択だ
【東日本大震災によって発生した福島第1原発事故はいまだ収束の気配を見せていない。
 政府、東京電力の対応は一貫して事故を過小評価し楽観的な見通しの下、動いているとの印象が拭えない。被災者、国民の不安は増している。政府、東電は放射性物質の対策に全力を尽くし、一刻も早く収束させるべきだ。
 今回の事故の教訓は「想定外の事故が連鎖すれば、どこでも同じような事故が起こり得る」ということだ。
 日本は自動車や機械などさまざまな分野で世界トップ水準の技術先進国だ。安全基準も高いと評価されてきた。その日本での事故は世界に衝撃を与えた。
 国際社会で「フクシマ」以後、原発リスクが意識され始めている。ドイツは脱原発の方針を表明、イタリアでは国民投票が予定されるなど、新たな潮流が生まれている。

 国際原子力機関(IAEA)は原発の是非を封印し、世界規模の「安全強化」を打ち出している。あくまで「安全を確保した上で原発を推進する」という姿勢だ。
 効果的な安全基準を世界規模で導入するのは困難を伴う。1基の建設費が数千億円にも上る原発にさらに高い安全基準を課せばコストは増大し、多くの既存原発も大規模な改修が迫られる。

 脱原発によって電力不足、電気料金の大幅な上乗せの可能性などが指摘されている。産業競争力の維持などのため、安全性を高め原発を活用することが現実的な選択というのが推進派の主張だ。
 だが福島の事故は原子力技術の安全性はそもそも完全に確立されておらず、原発のリスクはあまりに高過ぎる事実を突き付けている。

 世界で発生する全地震の約10%が日本に集中している現実を考えれば、原発建設に適さないのは明白だ。完璧な安全対策の模索より、新分野へのエネルギーシフトこそが容易であり、現実的な選択だ。

 放射性物質の再処理や最終処分の方法が未確立なのに、原発を推進するのは現在だけでなく、次世代の生存権をも脅かす犯罪的行為だ。

 国内外でこうした共通認識の確立こそ急ぎたい。私たちは電力に過度に依存した生活を見直すこと、太陽光、地熱、風力などを利用した再生可能エネルギーへの転換を急ぐことを考えたい。事故を教訓に日本は脱原発のモデルケースとなり、その姿を世界に示す役割を担うべきだ。】

 原発のない沖縄の新聞が真剣に原発問題を考えている。
米軍基地を沖縄に押し付けている私達は、米軍基地についてこんなに真剣に考えてきただろうか。