なんと共産党の不破元委員長が『「科学の目」で原発災害を考える』と題して解説しています。
かなり優れた考察ですので、毛嫌いせずにお読みください。

【原子力の利用をめぐる二つの不幸
 まず最初に、原子力発電で利用している核エネルギーとは何か。その“そもそも”論になりますが、人類が地球上に生まれて、火というものを発見したのは、大事件でした。それまで火というものを、人間は山火事で追われたりする時しか経験しなかったけれども、それを自分でつくって使いこなし、生活を豊かにする道具に変えた。これは、100万年以上も前のことですが、人類史上の大事件でした。

 ところが、1930年代に人間は核エネルギーを発見しました。これは、“第二の火の発見”と呼ばれたほどの人類史的な大事件でした。ものすごい巨大なエネルギーの発見でしたから。

 ただ、このエネルギーは巨大であると同時に、強烈な放射能がつきものでした。これに不用意に手をつけたら、強烈な放射能をどうするか、その手段・方法をきちんと見つけ出さない限り、このエネルギーが放射能を野放しにしたまま解き放たれたら巨大な災害が起きます。だからこのエネルギーを使いこなす、そして人間が人間の目的のために制御するには、たいへんな研究が必要でした。そのことは、最初からわかっていたのです。

最初の実用化が核兵器だった

 ところが、不幸なことが二つありました。一つは第2次世界大戦です。ヒトラー・ドイツが、最初に核エネルギーを使って爆弾ができないかという研究を始めたのです。そのことを知ったまじめな科学者たち、ドイツからアメリカに亡命したアインシュタインもその一人でしたが、ドイツが先に開発したらたいへんなことになる、それに対抗するためにアメリカが先に開発する必要があると、ルーズベルト米大統領に進言し、アメリカが多くの科学者を結集して原子爆弾開発の研究を始めたのです。その途中で、ことの危険性に気づいて、開発の続行に反対した科学者も少なからずいました(アインシュタインも後で自己批判しました)。しかし、ことは進みました。

 一番危ないと思っていたドイツが、原爆の製造に成功しないまま敗北して、1945年5月、降伏しました。原爆製造の最初の動機は消滅したのです。ところが、アメリカは研究を続けて、1945年7月、最初の原爆実験に成功しました。

 そうなると、ヒトラー・ドイツはなくなったけれども、せっかくつくった核兵器です。世界にその威力を示さないまま、戦争が終わったのでは、戦後世界でアメリカの威力を発揮できない。そういう政治的な打算から、もう日本の敗北必至という情勢のなかで、その日本に原爆を落とすことを計画しました。つくった原爆は2種類ありましたから、まずウラン型を広島に落とし(8月6日)、次にプルトニウム型を長崎に落としたのです(8月9日)。

 アメリカは、広島・長崎への原爆投下は、戦争を終結させるために必要だったといっていますが、実は何よりも戦後政治のために必要なことだったのでした。その犠牲になったのが広島・長崎だということは、日本の国民として肝に銘じておく必要があります。

 ここに、人類の核エネルギーの利用の第一の不幸がありました。

動力炉も戦争目的で開発された

 第二の不幸は何か。人間が核爆発という形で原子力エネルギーを使いだした。しかし、爆発という方法では、経済に利用できませんから、もっと温和なやり方で核を燃やして、経済的なエネルギーとして使えるようにしたいというのは、当然の願望になります。これもたいへんな危険をともなう問題で、本来だったら、災害の危険が絶対にない、放射能の心配などする必要がない、そこまで研究を尽くして、初めて実用化するというのが、当たり前の道筋のはずです。ところが、この開発もまた、戦争と結びついて始まってしまったのでした。

 アメリカの海軍が、潜水艦の動力にこれを使おうということで、開発の先頭に立ったのです。原子炉を潜水艦に積んでこれを動力にすることができたら、いままでの潜水艦よりも、ものすごく長い航続距離をもった潜水艦になって、地球上の海を走り回ることができる。その原子炉(動力炉)を開発したのです。超スピードの開発ぶりでした。原爆の開発成功が1945年でした。それから9年たった54年には、潜水艦用動力炉を積んだ原子力潜水艦の第1号・ノーチラス号が進水して、早くも活動を始めたのです。もともと戦争のための開発ですから、安全などは二の次、三の次でした。こうして軍用に開発した原子炉を、すぐ民間に転用し始めたのです。そのために、安全性を十分に考えないままあわててつくった原子炉の弱点が、いまの原子力発電には、そのまま残っているのです。

福島の原発災害から何をくみ取るべきか

 利潤第一主義の怖さも、新聞報道を読むだけでもよくわかります。今度の事故対策でも、初動の遅れがいわれています。原発への水の供給が止まった時、海水を注入して原発を冷やすことが何よりの急務だったのに、なぜすぐやらなかったのかが問題になっています。それをやっておけば、ここまでひどくはならなかったはずだ、と。報道によると、理由は、電力会社が迷ったのだというのですね。海水を入れるとその原発が使いものにならなくなる。それで対応が遅れたというのですが、あの事故を起こしてまだその原発を使い続けるつもりでいる。これも利潤第一主義ですね。

 また、日本では、原発を同じ場所に何基も集中して置くのが当たり前になっています。なぜこんな危ないことをやるのかというと、新しい土地を見つけてそこに原発を置くためには、カネも時間もかかるのです。だから一度土地を手に入れたら、いざという時の安全の問題など考えないで、建てられるだけ建てる。理由は簡単です。それが安上がりだからです。とくに日本は地震国です。集中立地をしたら、地震が起きた時の災害はたいへんなことになる。そんなことは当然わかることですが、そんなことはあえて想定からはずして、地震危険地帯でも、平気で原発を次から次へとつくってゆく。それが安上がりだというだけでつくる。これもひどい話です。

 さらにこんなこともあります。日本の原発は、かなり老朽化しているのです。いま現役の原発が54基ありますが、そのうち運転開始から30年以上のものが20基くらいあります。原発の寿命には、国際的にもまだ定説はないのですが、長く使えば材料に放射線による劣化が起きることは間違いありません。ただ、一つはっきりしているのは、税法上の減価償却は耐用年数16年で計算されていることです。つまり、16年たったら税法上の寿命が終わる。だから、電力会社から見ると、これからがもうけどころだということになるわけですね。老朽化の段階に入った原発でも、使えるだけ使おうということで、いつまでも使う。今度災害を起こした福島第1原発は6基全部が70年代に運転を開始したもので、税法上の耐用期間16年をとっくに卒業しているのですが、それでも、まだまだ使えると思って、緊急に必要だった海水の注入をためらう、利潤第一主義はそこまで徹底しているのです。

原発版「ルールなき資本主義」と歴代日本政府の責任

 そういう利潤第一主義が支配している電力業界に、国民の生命と安全をまるごと任せてきた日本政府の側も、世界一ひどい原発版「ルールなき資本主義」の実態に重大な責任があります。この事態をそのままにしていいのか、それがいま問われているのです。

 いま自民党は、菅内閣の責任をうんと追及します。(菅内閣は)ほんとにだらしないです。しかし、こういう事態をつくり出してきたのはだれか。私は、先ほど自分の国会質問を紹介しましたが、相手は三木内閣、大平内閣、鈴木内閣、そして小渕内閣です。全部、自民党内閣ですよ。2000年代に入って、吉井さんが、地震や津波の状況を具体的に取り上げて追及しました。最近の質問では福島原発の危険性をはっきり示して対策をとることを求めた。どの政府も警告を無視しましたが、それも、自民党の小泉純一郎内閣と安倍晋三内閣、最後の質問だけが民主党の鳩山由紀夫内閣でした。こういう無責任な原発増強政策を数十年にわたって取り続けて、現在の国民的大災害の根源をつくり出してきた自民党が、その歴史的責任に口をぬぐって、いまの対応のだらしなさを追及する。民主党政権の対応のだらしなさは、本当に政権党としては考えられないようなものですが、2年前まで政権を担ってきた自民党が、現瞬間の対応の問題点だけの追及でことをすまそうというのは、あまりにも無責任な態度だと私は思います】 一部抜粋